映画 - 死刑にいたる病

怖い。怖すぎる。なにが怖いって、自分も獲物になり得てしまうことが怖すぎる。

榛村大和はその異常さから死刑まで至ったが、彼の足元にいる人って一定数いる。絶対にいる。ゴールが違うだけで。



なぜそんなに確信しているのか?


彼の近づき方、距離の縮め方・・・心当たりがありすぎる。

気になる人の名前をgoogleで検索、出てきたSNSアカウントから相手の好みを知り、あたかも自然に”○○好きなんだよね~”と話す。
海が好きな人だったら自分も江の島の夕焼けを投稿。意中のあの子のみ親しい友達に追加し、彼/彼女に向けたストーリーを投稿。

やったこと、やられたこと、聞いたことありませんか?
鍵をつけていない公開アカウントのSNSの特定なんてちょっとSNSを使ったことがあるなら誰だってできる。非公開アカウントでも、その人の友人になりすましてフォローしたりDMする人も、普通にいます。

だって私も気になる人のSNSアカウント、見るもん。投稿の感じとかフォローしている人、共通点を見つけるのに手っ取り早いし。


・・・少々話がずれましたが、目的はどうであれ、こうやって意図的に距離を縮めてくる人っていますよね。男女問わずに。

ただ幸いにも危険な目にあったことはなく。

榛原からみた”こっちの世界”を生きている人と出会わなかった、もしくは本能的に回避していたのだろうか。幸運にもたまたま彼らが病を患っていなかっただけで。

勉強頑張っているからサービスしてくれるパン屋さんなんて、中高生だったら、いや大人の私でも通ってしまう。

行きつけのカフェが同じだったら親近感なんて沸いてしまう。

 

特に女性は同じような経験をしたことがあるんではないか?
というのも私自身の経験からどうしても女性目線になってしまうのだが・・・

たいていの場合は相手の下心が顔を出してきちゃうから警戒心を持つことができるけど、榛村のように下心がなく(内なる狂気なんて言うまでもなく恐ろしいが)、ただの「良い人」ポジションが確立されてしまう。

最初はもちろん警戒するんだけど、たぶん良い人認定される人って、適切な距離感を保ったまま徐々に近づいてきて、

何度かこの人なんだ?どういうつもりだ?と思うタイミングが来るけど、それも承知の上で不快にならない程度で距離を縮めてくる。きっとそんな人。



気を付けよ。


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