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非嘔吐過食と歩む25年・私のダイエット遍歴⑤

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◆【18歳】突然引きこもりから卒業・大学受験

きっかけが何だったかは分からないが、私は突然引きこもりをやめた。ちょうど18歳になった頃だろうか。夏だったと思う。

ある日の朝、夢うつつの中で、仙人のような光が現れて「もういいんじゃよ」と言った(実際に言葉で発したわけではなくて、そういったニュアンスが胸に響いた)のである。

光も、実際に目に見えたかというとよく分からない。

おかしな話だと思うが、実際そうだったので、そうとしか言えない。
未だにあれが何だったのか、夢だったか幻だったのか、はたまたただの妄想だったのか、全然思い出せないが、とにかくそんなことがあった。そしてわたしは「あ、もういいのか」と思った。

その頃の記憶は本当に曖昧なので何もかもが定かではないのだが、その仙人と前後して、長いこと口を聞かなかった妹から「雨戸だけでも開けてみたら?陽の光を浴びると、良いみたいよ」と声をかけられた。

わたしは「ほう、そうなのか」と、素直にそれに従い、その日から毎日雨戸を開けるようになった。

それから、わたしはなんとなく外出するようになる。
かなり太っていたので外に出るのは恥ずかしかったし、着られる服もほとんどなかったんだが、スウェットとかオーバーサイズのシャツを着ればなんとかなった。
陽を浴びるとなるほど、リズムが整うようで、昼夜逆転が少しずつ治っていった。お風呂にも少しずつ入れるようになった。

過食は完全に治まったわけではないが、生活リズムが多少整ったことで、ピークよりは落ち着いてきたようだ。

そうしてわたしの活力が戻り始めた頃、母が言った。「大学だけでも出てみたらどうかしら?大検を取って、受験をすれば、大学には入れるのよ。そうしたらあなたの自信に繋がるかもしれない」と。

その時点でわたしの最終学歴は「高校中退」、つまり「中卒」なのである。何か手に職があったり、それこそ芸能人とかなら、まぁ良かろう。
しかし私には何もなかった。あるのは全身の脂肪と、急激に太ったためにあちこちにできた真っ赤な肉割ればかりだ(二の腕、腰、お尻、太もも、膝の裏、ふくらはぎにびっしり)。

こんなただの肉塊の最終学歴が「中卒」なのは、確かに心もとない。母の言うことは一理あると思った。大学さえ卒業すれば、最終学歴は塗り替えられる。
何かあった時に「中卒です」と言うよりも、胸を張って「大卒です」と答えられる自分になりたい。そんな気持ちがあった。

近所の個別指導塾に話を聞きに行った。すると、どうやら最短で秋に大検試験があるそうだ。大検自体はそんなに難しくないので、受かることを見越して、大学受験の勉強も並行すれば、同い年の子たちと同じタイミングで大学に入ることも可能だという。
大検の合格通知が年内には届くので、そこで大学の受験資格を得られれば、大学出願にも間に合うのだ。

半年以上引きこもっていたのに、ストレートで大学に行けるなんて、それは夢のようだった。人生を取り返せるのではないか?
期待に胸が膨らんだ。

そうしてわたしは、引きこもり生活を完全に脱し、週に2回の塾通いと勉強に打ち込んだ。
大検の勉強は、正直そこまで難しくはない。ただ、高校で単位を落とした科目は全て受験しないといけないので、覚えることが多岐にわたり大変だった。特に数学と地理と歴史、科学は苦手だったので勉強はしんどかった。

大学に関しては行きたいところがあったわけではないが、何しろ時間がないので安全な射程圏内を狙う。
わたしは国語だけは異様に得意だったので、受験科目は国語と英語2科目の、偏差値がそんなに高くない大学に絞った。2ヶ所ほど候補があったが、そのうちひとつがたまたま私の国語を指導してくれている先生が行ってる大学だったので、先生と同じ大学を受験することにした。掛け持ちとか苦手なので、単願で。

大検の試験自体もまた、たまたま姉の通ってた大学で開催されたため、試験前日に姉の家に泊めてもらい、心身共に余裕を持って受験することができた。

こうして、いろんな要素が奇跡的にうまく絡み合い、わたしは大検に一発合格。その後の大学受験にもストレートで合格した。

わたしは、わたしを見捨てた部活の友達と同じタイミングで、大学生になれるのだ。
いつかあいつらを見返してやると、鼻息荒かった。


ところで、受験勉強に打ち込むうちに、わたしはすっかり元気になった。姉が色々と気にかけてくれて、自分の好きなダンスボーカルグループを薦めてくれたのも大きかった。
わたしも見事に彼らにハマり、今で言う「推し活」に励んだ。

推しがいるって強い。最初は姉のために描いていた推しの似顔絵を、ウェブ上にまとめてイラストサイトを開いた。そして、同じく推しのイラストサイトを運営している絵師さんたちと交流し、オフ会を開催した。推しのライブを見るために大阪まで夜行バスで遠征し、関西住みの絵師さんの家に泊めてもらったのも楽しい思い出だ。

当時は学校に行っていないのを良いことに、髪の毛を自分で何度も染めたりブリーチしたりしていたのだが、繰り返すうちに頭は目黒川のドブみたいな色になっていた。
でもわたしはすごく楽しかった。太ってはいたけど、元気だからそこまで気にしていなかったと思う。

脂肪と肉割れで、着たい服を思うように着られないのはちょっと嫌だったけど、古着屋とかで安くて大きめの服を調達し、脚はスパッツで隠して重ね着風にすれば、まぁなんとかなったしそれなりにお洒落をしてる風にも見えた。

前回記事にも書いたが、この頃の体重が「163cm/72kg」である。
大学入学が決まったので、そのためにダイエットをしないといけないと思い、久々に測った時の数値だ。
まさか70kgを超えてるとは思わず卒倒しそうになったが、大学に入るまでに食事制限でなんとか68kgまでは落とした。


◆【大学時代】常に「ぽっちゃり⇄肥満」を行ったり来たり…

入学式の時点で68kgだった体重は、通学やアルバイト、大学生活等で生活消費カロリーが増えたせいか、その後いつの間にか少しずつ減っていき大体62〜63kgで安定した。
わたしは、新生活が始まると最初のひと月は痩せる傾向にある。
サークルに入り、異性との交流が増えたこともあるだろう。自然と痩せたい思いが強くなり、食欲も抑えられた。

サークルには、入学してすぐにできた仲の良い友達2人と一緒に入ったんだが、2人とも細くて可愛い子だった。
この2人は今でも仲良しだが、そのうちのひとりは学年でもトップ5に入るくらい可愛い子だった。彼女たちは本当に良い子で、大学デビューでコミュ障の私にもとても親切にしてくれたし、彼女たちといることで失った青春を取り戻せたような気分だった。

が、彼女らと一緒にいると、周りからは自然と容姿を比べられる。わたしのポジションは「可愛い○○ちゃんといつも一緒にいる、地味な子」という感じだった。彼女らと一緒にトイレに行ったりすると、鏡に映った自分だけが妙に身体も顔もデカくて恥ずかしかったのをよく覚えている。

サークルは運動系で、マネージャーとして入ったのだが(余談だが、結局その後プレーヤーになり、運動の習慣がつく)、ほかの2人が先輩達からチヤホヤされるのに比べ、わたしはギャグキャラ的ポジションを求められているようだった。紳士的な先輩は、こんなわたしでも女性として扱ってくれたが、そういう人には大体長く付き合ってる彼女がいる。

わたしは異性との交流など長いことしていない(塾の先生除く)ので、男子のノリにどう返したら良いかがよく分からない。いじられても上手く返せないし、かと言っていじられないで済むような美女でもない。非常に曖昧な立ち位置のまま、なんとなく「学生のノリ」というものを体得していくのに必死だった。

これが大学生なんだなー。

それでも4年間いるうちに、「学生生活」というものにはだいぶ馴染むことができた。

恋愛に免疫のないわたしは、4年間で次から次へといろんな人を好きになった。「見た目がかっこいいから」「親切にしてくれたから」など、理由はなんでもよくて、常にときめいていた。恋に恋してたんだと思う。

他者との距離の取り方が分からず、いきなり告白したりするので、ことごとく玉砕した。しかしそれらの失敗も全て「わたしが太ってるせいだから」と思っていた。プライドだけは高いのでフラれると相手のことを嫌いになるし、惚れっぽいのでコロコロ好きな人が変わる。

わたしはずっと自分に自信がないから、それを埋めて欲しくて、誰かに自分を好きになって欲しかったんだと思う。

実際のところ、大学生活の4年間でわたしのことを好きになってくれた人はちらほらのいたのだが、わたしは自分がとことん好きになった相手から愛されたかった。
そして、自分が好きになる相手との恋愛は、結局一度も成就することがなかった。

高校時代の親友とのトラウマもあったわたしは「わたしが傾けるだけの想いを、相手は傾けてはくれない」「それはわたしが醜いからだ」という信念ばかりを強くしていった。
同じだけの想いを傾けてくれる素敵な友達が、すぐ近くにいたのにね。

さて、大学生の頃から、わたしは「春夏に痩せ、秋冬で太る」というサイクルを繰り返すようになる。
秋になると厚着になって気が緩むせいか太り始め、正月明けには5kgは肥えてる。久々に体重を測ってショックを受け、春休みに焦ってダイエットを始め、夏になる頃には5kg程度痩せてる…のエンドレスループ。

ダイエットの方法は、置き換えだったり、断食だったり。運動が嫌いなので、食事からのアプローチがメイン。蒟蒻畑を食べまくって、消化不良でお腹がパンパンに痛くなって泣きながら寝込んだこともある。

当たり前だが、一袋一気に食べてはいけない。

無理な食事制限で痩せては、反動でお菓子を食べまくって太る。それを延々と続けていたのだ。

大学時代で一番太っていたのは、4年生の卒業式の頃。サークルで鍛えられた固太りの下半身に、さまざまなストレス故の過食が重なり、70kgくらいまで太った。
卒業式の着物姿は往年の演歌歌手のような貫禄で、恥ずかしくていまだに見られない。


◆【社会人1年目】初(?)彼氏のモラハラで痩せる、むしろやつれる


大学入学時と同じ流れで、就職前に焦って少しダイエットをして、68kg程度まで落としてから社会人になった。
(若い頃は、食事を少し減らせば2週間で5kgくらい簡単に落ちた)

職種は、介護士。
介護士になりたかったわけではないんだが、大学時代に家庭に色々あってホームヘルパーの資格を取ったため、せっかくだからそれを活かして一度は正社員として働いてみようと思ったため。

その会社で、初めての彼氏ができた。いや、正確には4人目の彼氏なのだが、1人目2人目は付き合ったうちに入らないような関係性だったし、3人目は好きでもないのになんとなく付き合っちゃって2ヶ月もしないで別れたので、自分から好きになった相手と付き合うのは初めての経験だった。

6つ年上の、お洒落な大人の男性である。
新卒の女子には眩しいばかりの存在だ。

4月には彼を好きになり、共通の趣味(映画)で仲良くなって、5月の末には付き合っていた。
「相手が大人だと、こんなにスマートに事が運ぶんだな」と感動したものである。

しかしこの彼氏が曲者だった。
浮気症、モラハラ、浪費家、タバコは吸うわギャンブルはするわ、職場で見せる真面目でおとなしそうな顔とは裏腹に、男のダメな部分をギュギュッと凝縮したような人種だったのである。

付き合うと同時に横柄になる彼氏。わたしは彼から「痩せろ」「俺に釣り合う女になれ」「髪を切れ」「服のセンスを磨け」「メイクをもっと濃くしろ」と散々なじられ、精一杯頑張った。
何しろ初めての彼氏なので、嫌われないように必死である。

食事制限で5〜6kg落とし、髪の毛は彼好みのショートヘアにしてしっかり化粧をし、大人っぽいコンサバな服を着るようにした。

常に彼用のタバコとライターを持ち歩き、呼ばれれば夜だろうがいつでも向かい、都合の良い女に成り下がった。

結果的に、彼はわたし含め5人の女性と付き合っていたんだが、まぁ色々あって最終的にはわたしが本命で、他の女性が浮気相手ということになった。

あくまでもダイエット遍歴なので「色々」については割愛するが、この頃のわたしは心身共に異常をきたし、食事がうまく取れず、どんどんやつれていった。体重は57kg程度まで落ちていた。

新年度からは結婚を前提に同棲することになり、お互いの親にも挨拶を済ませた。職場内恋愛は隠していたため、彼が職場に残り、わたしは1年で退職することにした。

何か間違えている気がする。
間違っていることは分かる。
でも、道を修正する気力がないのだ。

なのでわたしは「彼と結婚できるなんて幸せ」と無理やり思い込もうとしていた。


◆【社会人2年目】人生2度目の拒食期、人生どん底

彼と同棲を始め、4月からは医療系の職場に転職したのだが、新しい環境と慣れない業務のストレスから、ますます食事ができなくなっていった。人生2度目の拒食期である。

とは言え、「163cm/57kg」って、ごくごく平均的な体重なんであって、「最近ご飯食べられなくて…」と言っても、「そのくらいの体型なら大丈夫でしょ」という感じで、そんなに大ごとには思われなかった。
実際は、頭がうまく回らないし、失敗ばっかだし、いつも胃が痛いし、泣いてばっかりでだいぶ病んでいたのだが。

新しい職場は個人経営でとてもこじんまりしたところで、経営者のドクターがひとりと、スタッフがわたし含めて5人。
新人で最年少のわたしは基本的に可愛がられたが、ドクターは元々厳しい性格の人だし、わたしがポンコツだったので、よく怒られていた。

家ではモラハラの彼氏に怒られ、仕事でも上司に怒られ、だんだん生きているのが辛くなってきた。仕事に行きたくない。でも行かなきゃ。家に帰りたくない。でも帰らなきゃ。

通勤の道中は、パン屋で買った安いメロンパンをちびちび齧りながら歩いた。感覚を鈍らせろ。何も考えるな。脳を麻痺させろ。もぐもぐ。もぐもぐ。

職場のランチは個人の自由だったので、いつもコンビニのお蕎麦だけを買って食べていた。夕飯は、彼が夜勤のことも多くて基本すれ違いの生活だったので、食べずに済ませることも少なくなかった。
大体、メロンパンともりそばだけで過ごす日々である。

大体300kcal程度の。

わたしの人生、これで合ってるんだろうか?
何か間違ってる気がする。

そう思いながらも、またメロンパンを齧りながらトボトボ通勤していた夏のある日、駅前の立ち食い蕎麦屋に目が留まる。わたしの足は何故かふらりとその店内に向かった。

めかぶそばを頼んで、食べた。そんなことしてたら仕事にはもちろん遅刻なんだが、もうどうでも良かった。わたしはめかぶそばを食べて、泣いた。そして、そのまま仕事をバックれた。入職から3ヶ月目のことである。

職場からの電話が怖くて、携帯は見ないようにした。すると、どうも緊急連絡先として履歴書に書いた実家の電話番号に連絡がいったようだ。

そこから先はよく覚えていないが、結果的にそのまま仕事は辞めることになった。
職場の人との最後のやりとりは、全て母がやってくれたはずだ。

すっかりやつれて泣いてばかりいるわたしに、母は「うちに帰ってきたら?」と言った。わたしは、彼との部屋の荷物は全部置きっぱなしのまま、実家に戻ることに決める。

彼と別れるのはなかなか大変だったが、秋口にはなんとか別れることができた。

わたしは、彼と過ごす1年強の間に、なんだかいろんなものを失ってしまった気がする。

自分が空っぽだった。空虚。なんにもない。
本当にいよいよ、生きている意味などないのかもしれないな。
1ヶ月くらいはただただ寝て過ごした。わたしはこの時期、気を抜くととにかく泣いてばかりいた。

このままだと、引きこもりのあの頃に、また暗いトンネルの中に引き戻されそうで、怖かった。

ずっと寝て少し体力が回復してきた頃、「ここで立ち止まってはいけない。どうせ一度は死んだような人生だ。好きに生きないと」と自分を奮い立たせて、次の仕事を探すことにした。アルバイトで良い。働いてる間だけでも、気が紛れればそれで良い。職種もなんでも良い。

家から電車で一本のオフィス街に、イタリアンレストランの求人を見つけた。オフィス街なので時給が高かった。
ランチ帯とディナー帯の募集があったが、わたしは時間ならいくらでもあったし、どっちで採用されても良かった。都合よく使ってもらえれば、それで良い。

後日面接に行き、その場で合格した。
暇人だったので、ランチもディナーも、フルで入ることになった。

最初は人手が足りないキッチンスタッフとして採用されたが、わたしはまるで即戦力にならなかったので、すぐホールに回された。

ただそのおかげで、いつもニコニコ忙しく過ごさなければいけなかったので、結果的に良かったのかもしれない。

何しろキッチンでは、包丁で野菜を切ってるだけで意味もなく泣きたくなる。少しでも考える時間があると、いけなかった。


〈つづく〉

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