部活動顧問を拒否して感じたこと


 私は福岡市で中学校教諭を勤めて9年目の社会科です。講師経験も6年あります。教員生活15年ほどを通じて、2023年度、初めて顧問拒否をして感じたことを書きます。

 私自身も中学時代、卓球部、高校時代は陸上部投擲に所属し、部活動にはお世話になりました。高校時代の陸上部顧問の先生は体育科でラグビー専門でしたが、学校の都合で陸上部顧問をもたされていました。1990年代の土日祝日の顧問手当は900円~1000円ほどしか出なかったらしく、当時、顧問の先生はお子さんが生まれたばかりだったこともあり、時折、生徒の私たちに、部活動顧問は手当がほとんど出ず、ほぼタダ働きだと生徒の私たちにこぼしていたことを覚えています。子どもながら、「確かにありがたいけど、だからなんだ。嫌なら顧問やめりゃいいのに」と思ったのを20年以上前ですが、今でも脳の片隅に覚えています。私自身、当時は立場が生徒だったので単純にそう思っていました(今ではとても感謝しています)。

 立場が変わり、現在は私も教員となりました。講師時代は、部活動顧問は当然引き受けました。空気の読めない私でも、管理職や教育委員会の要求が手に取るように分かっていたからです。それは、「当然、部活動顧問もつよな。もたないならば任用しないぞ」ってことです。私にも生活がありましたし、講師を解雇されるのが怖かった私は、部活動が好きなふりをしていました。小学校時代、サッカークラブに所属していたことから、サッカー部顧問をもち、自ら「サッカーが専門だ」と管理職や同僚に吹聴してまわりました。本当は、かじった程度で専門でもなんでもありません。でも、そういうことが講師や若手の生きる道だと思っていたし、同僚や保護者からもそういう面で貢献することを求められていると思っていました。

 運よく教員採用試験に合格した後、初任校に配属されたとき、すでにサッカー部には前年度初任で配属された顧問の先生がいました。でも、その先生も別にサッカーが専門ではなく、体育科ではありましたが、野球とアメフトが専門の先生でした。その先生が、4月1日の夜、飲みに誘ってくれ、私にサッカー部の顧問を譲ってくれました。その先生はバスケ部顧問に配属され、以後、10年近くバスケ部の顧問をしています。高校時代の陸上部の恩師や、初任校で私にサッカー部顧問を譲ってくれたことなど一連の経験を通じて感じたことは、「体育科の先生は、一応専門はあるけれども、学校の都合でたらい回し。運動部ならなんでもやれ、体育科はすべて専門」そして、「講師や初任や若手や男性は運動部顧問をもって当然」みたいな独特の文化があるなと。教員採用試験や大学の教職課程では、部活動の適性は問われていないし、習ってもいません。当然、その部活動を教える免許などもありません。けれど、いざいったん教育現場に出れば、どんな部活動でももつのが当然、未経験だろうが関係無い、断ったらどうなるか分かってるよね!?という空気をひしひしと感じていました。よく世間で言われることに「部活動があることが分かって中学校や高校の先生になったんでしょ。じゃあやらないと」というのがあります。でも、自分が興味がなかったり、技術指導ができなかったり、つまり専門外のことを勤務時間外や土日祝日を潰してやらされるって、こんな酷なことはないですよね。顧問拒否をした今年一年間、沸々と思います。今まで顧問のありかたに疑問を感じながらもやってきた10数年間、決してその時間はすべてが無駄だったとまでは思いませんが、顧問を辞めてみて初めて俯瞰で過去の自分を見れたような気がします。初任校でサッカー部顧問をもっていたとき、自分が小学生時代所属していたクラブチームと、とある大会で試合をし、その後、懇親会がありました。お酒を酌み交わしながら、クラブチームのスタッフが語っていた言葉が今でも忘れられません。「学校のサッカー部顧問の先生は、半数以上、もともと競技経験がなく、専門外である。だけど、さすがに学校の先生になるだけあって、もともと学ぶ意欲が旺盛、さらに、目の前の生徒のためとあらば、みるみる指導知識を吸収し、クラブチームのコーチスタッフが目を見張るほどの指導力を発揮する教員が多数いることがすごい」と述べられていました。私は、確かにそんな先生もいるけど、それは一部のスーパー教師で、自分はとてもじゃないけど、そんな存在にはなれないなと思ったことを鮮明に覚えています。もしかしたら、そんなスーパー教師が管理職に出世していっているのかもしれませんし、そんな管理職の立場からしたら「俺らもやってきたんだから、当然若いあなたたちもやりなさい」っていう思考回路なのかもしれませんね。残念ながら、自分にはそこまでの能力はないですけど。

 二校目に配属された4月当初、いかにも部活大好きそうな体育科ベテランとトイレで隣になったときのことです。用を足している最中、「おまえの専門はなんや」と唐突にきかれました。空気の読めない私でも、「ああ、教科の事ではなく、部活動何部を持てるんや」と聞かれているのがわかりました。そこで私は、「専門というほどでもないんですが、サッカーはかじった程度で、競技経験三年と、顧問経験六年ほどはあります」と述べました。二校目でも、サッカー部をもたせてもらえるのかなと思っていましたが、結局、学校の事情で陸上部をもたされることになりました。まあ、組織の人間だし、自分がやってもいいと思う部活動をもてないのも致し方がないかなと割り切って渋々引き受けました。引き受けた陸上部には専属のコーチがおり、生徒も比較的真面目で特に問題はなかったです。本当にコーチや真面目な生徒のおんぶに抱っこ状態で、自分は顧問という神輿にのっかっているような感じでした。

 現在では部活動顧問を拒否したい教員をサポートする仕事をしていますが、スポーツや文化活動の魅力みたいなのは物凄く分かります。だから、私自身、他の部活動の試合や演奏会などは積極的に見に行きます。また、さきほどの部活大好き体育科ベテランの先生の話ですが、夏祭りのパトロールに行った時のことです。その先生は女子バスケの顧問だったのですが、祭りで、女子バスケを引退した三年生のグループと出くわしました。すると、顧問の先生に臆面もなく抱きついている光景をみました。一瞬、目の前で何が起こったんだろうと思いましたが、私の解釈は「それだけ、部活動を通じての信頼関係を築いていたのだろうな。プレー面、技術面だけでなく、その顧問の先生が一人一人の生徒を大切に育てていたんだろうな」です。自分自身も、部活動は確かに時間外勤務で大変だけど、生徒と関わる機会が増え、成長に携われる、だから、自分も頑張ろうと言い聞かせていました。

 そうやって、なんとか部活動顧問へのモチベーションを保っていた自分が、もう無理だと感じたのはコロナ禍のときに、陸上部でコロナ感染者が出て、その責任を保護者や管理職に押し付けられたことです。当時陸上部は部員が80名ほどおり、市内でもトップクラスの大所帯部活でした。大会には大型バスをチャーターして会場に行っていましたが、そんなさなか部員の数名が試合後コロナに感染しました。当時のルールでは部員に感染者が出ると、1週間ほど部活動停止となり、次週の大会を辞退しなければならない事態が発生しました。その時に、コロナに感染した生徒の保護者から、顧問の先生のコロナ対策の指導が不徹底である、マスク着用や活動中しゃべらないことなど顧問は何も言っていなかったと子どもから聞いている。今後もバス移動するだろうから、顧問の先生に指導を徹底するように言ってほしいと、電話があり、事務の先生からその伝言をききました。私はそれを伝え聞いたとき、とても憤慨し、言い返そうとしましたが、当時の管理職に止められ、さらに私の指導力不足を指摘されました。「あなたが、マスクをしなさいとか、活動中しゃべらないようにと言っていたとしても、それを実際させれてないとしたらそれは結局、指導していないのと一緒だ」と。この言葉を当時の管理職からきいたとき、もう二度と顧問はしないと心の糸みたいなのがプツンと切れた思いがしました。部活動顧問を事実上強制しておいていけしゃあしゃあとよくそんなことを言えたものだなとあきれたのを覚えています。

 私が顧問拒否をしたきっかけはこれだけではなく、もう一つありますが、それをここで書くのは差し控えます。長文になりましたが、まとめると、私が顧問拒否をするようになった経緯は、もともと部活動顧問に疑問を感じながらも、無理やり意義を見出しながら、部活動に前向きな振りをしながら取り組んでいたところ、管理職や保護者からとんでもないことを言われ、拒否するに至ったということです。今でもその管理職や保護者を許していないですが、別にその人たちの意見を変えてやろうとは思いません。言ってもどうせその管理職や保護者の考え方は変わらないでしょう。管理職や保護者は所詮、部活動顧問も含めて教師の仕事ってことで仕事していろっていうスタンスだということが、身をもって分かったからです。だったら、私からただ身を引いて、関わらない道を選びました。教員は奴隷ではありませんから。

 実際、2023年度、顧問から外れてみて。結論から言えばとても幸せです。もともとする必要がないものと決別できたのですから。もし、コロナ禍のあの出来事がなければ、私は今でも、部活動顧問のありかたに疑問を感じながらも、無理やり部活動顧問をする教育的意義を見出し、ズルズルと引き受けていたかもしれません。もう一度いいます。部活動顧問をやってきた10数年は決して無駄ではなかったかもしれませんが、やはり失った時間はでかいと思います。つまり、ほぼ無駄でした。スポーツや文化活動は素晴らしいです。教育的意義はとてもあります。実際、自分自身が生徒の影響から、陸上競技にドはまりしてしまい、おそらく一生続けていくだろうと思います。でも、別に教員が子どもたちのスポーツ等の世話をしなくても地域や保護者で十分できています。よくいわれることに「地域に受け皿がないのに地域に移行するのは無責任だ」というのがあります。しかし、受け皿が整うのを待ってから移行するのではなく、移行してから受け皿を整えるのが正解です。資本主義なのですから、習い事を供給したい人たちと、それを受けたい需要がたくさんあり、自動的に受け皿なんてすぐ整う。政府や自治体やSDGs団体なども絡めば、質の高い指導を適正、もしくは安価な価格で受けられる。

 顧問を拒否して、いろんな生徒や保護者から、「先生は勇気がありますね」と言われました。また、同僚からも「その行動力がすごい」と言われました。私は、せっかちで思い立ったら即行動に移す性格です。もしかしたら、あまり考えもせず動いているところがあり、単なるバカなのかもしれませんが、一つだけ言えることがあります。後で後悔する人生だけは送りたくありません。ただそれだけです。もし、部活動顧問のありかたで、私のように悩んでいるかたがいるのであれば、いつでも相談にのります。部活動顧問拒否に勇気などいりません。単にしませんといえばそれで終了です。ただし、個人で言っても相手の立場が上ですので、言いくるめられる可能性が極めて高いです。PLUMは教員の部活動問題に特化した労働組合で、福岡市人事委員会に登録されています。管理職とPLUMの立場は対等です。対等どころか、法の下では部活動顧問を教員に強いることは違法なので、組合の方が立場が上です。「あなたが拒否すると他の先生にしわよせがいく」など言われるかもしれませんが、「そうですか」と言ってしまえば終わりです。教育委員会や管理職は、「国が部活動廃止しますと言ってくれればいいけど、部活動がまだあるうちは結局教員がしなくてはいけない」といいます。つまり、自分たちも頼みたくて頼んでいるわけではない、国がさっさと部活動をやめるといわないからだと責任逃れをいいます。私は、教員がいつまでも顧問を引き受けようとすることを国から見透かされ、予算削減に教員の労働力が搾り取られているように思います。つまり、教員が部活動顧問を拒否しないといつまでも学校部活動廃止や地域移行が進まないのです。
 まもなく、新年度がスタートしますが、年度途中からでも部活動顧問拒否は当然可能です。いつでも相談ください。

 


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