見出し画像

『猫がいれば、そこが我が家』

『猫がいれば、そこが我が家』
ヤマザキ マリ 河出書房新社 


最近、ヤマザキマリさんの本を読み始めた。

お名前は存じ上げていたし、映画「テルマエ・ロマエ」も話題になっていたので聞いたことがあったが、本は読んだことがなかった。

Amazonを見ていて目に入った『貧乏ピッツァ』を最初に読んだことがきっかけで、他の作品も読むようになった。
ちなみに『貧乏ピッツァ』を読んでいたらいろんなものが食べたくなったが、特にサンドイッチが無性に食べたくなってしまった。


子供の頃から動物好きで、いつも昆虫や動物たちと一緒に暮らしていたヤマザキさん。

今一緒に暮らしている「ベレン」という猫の話を中心に、これまで一緒に暮らした猫のこと、様々な動物たちとの思い出、これまでに暮らした国々での出来事、お母様のこと、家族のこと、イタリアのこと。

面白くて、考えさせられて、いっきに読んでしまった。


印象的な一文があった。

外での仕事で疲れ果てて家に帰ってくると猫が全く次元の違う空気を放ちながら床で寝そべっていたりする。それを見ていると「私は魂の容れ物がたまたま人間だけど、あんたに比べると余計なツールがつき過ぎていて、なんだかダサいわ」などということを感じてしまう。

『猫がいれば、そこが我が家』より

人間以外の動物は基本的に身一つで生きていく(ペットや家畜は人間と暮らしているのでやや異なると思うが)。

食べものも水も寝る場所も子育てする場所も自分で探す。
油断していると敵に襲われるので、常に感覚を研ぎ澄ませ、周囲を警戒している。
自然の変化を肌でダイレクトに感じ、それに合わせて生きていく術を持っている。

一方で我々人間は、服飾品や日用品、そして家、電気、水道、医療、交通などあるゆるインフラに囲まれ、「不便さ」や「自然」を徹底的に排除した世の中で生きている。
全人類ではないが、日本や欧米、各国の都市部で暮らす人間はほとんどそんな感じだと思う。

科学技術の恩恵にどっぷり浸かり、それが当たり前になっている。

自然を肌で感じる余裕もなく、天気予報で天気や気温を知り、わざわざ今日は熱中症に注意と教えてもらう。

そしてお金という厄介なものに振り回され、人間関係に神経をすり減らす。もちろん、人間以外の動物たちだってそれぞれの社会を持っていて、その中でのルールや関係性に従い生きている。


人間以外の動物と私達人間とは根本的に生き方が違う。

自分たちとは全然違う生き方をしている人間がそばにいるから、
ペットとして人間と暮らす動物や家畜、動物園の動物たちはしんどいと思う。


人間同士でも、相手ときちんとコミュニケーションをとるには努力が必要だ。
言葉を持たない動物たちのことを、人間が理解するのはなおさら難しい。
理解できなくて、動物たちが求めていないものを良かれと思って押し付けてしまったりする。

単に猫が好きだから一緒に暮らしたい、と思って猫たちと暮らし始めた私だが、考えていたほど気楽なことでは全くなかった。
この子たちは何を望んでいるんだろう、と試行錯誤の日々である。


本当にたくさんの余計なものを背負って生きているのが私たち人間。

地球を制覇したような顔してのさばっている人間だけど、
いろんなものをくっつけて生きていかないといけない、実はとても弱い存在なのかもしれない。

話が逸れていったけど、ヤマザキさんの書いているように、
いろいろなモヤモヤを抱えて帰宅して猫たちを見ると、
私が生きている世界とは全然別の世界を生きる存在を目にしたような感覚になることがある。

そうすると、さっきまでぐずぐず考えていたことのアホらしさに気づいたりする。

仕事のことで、「今日のあの件、大丈夫だったかなぁ、あー、どうしようどうしよう」
みたいに悩んでいても、結局明日会社に行かないとどうなっているか分からないし、経験上、ほとんどの場合、たいしたことない。

「あーどうしようどうしよう」ではなく、こういう状態になるのを繰り返している自分に気づいて、
今悩んでも仕方ないと気持ちを切り替えたり、
なんでいつもそうなるのかを考えて、次はそうならないように自分の行動を変化させていく方がよほどいい。

ほんと無駄なことしてるよなぁ、私。
猫を見ているとそう思う。

こちらの本、ベレンちゃんの写真もたくさん載せられている。
息子のデルスさんが撮影されたそうだ。

ベンガル柄が美しい。
人見知りする子だそうで、ヤマザキさんやデルスさんなど限られた人にしか姿を見せないらしい。

どの写真もとてもいい表情をしていて、デルスさんが撮った他の写真も見たくなった。

本書はヤマザキさん初の猫エッセイだそうだ。
猫好きの方は是非。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?