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親友にビックリするほど嫉妬した

親友に誘われて、一緒にとあるセミナーに参加した。
そのセミナーは親友が元々働いていた職場で開催され、親友の顔馴染みが揃っていた。

イモイモした性格の私は笑顔を顔に貼り付け、あまり肩肘を張ると周囲から浮いてしまうからと、自分の中の限りなく緩い力で初対面の人たちと接していた。

次々と初対面の方達が現れていく中、イモイモ度をフル発揮している私の隣で
親友はというと、なんていうことだろうか。
「こんにちわ〜!」「あ〜!お元気でしたか〜!」そして、ハグまでする。
まぁ明るい。そして自然体。
私が頭の中で意識していることが、バカらしくなるほど、自然に関わっていく。しかも、特定の人ではなく、不特定多数の人達に。私からしたら全く信じられない。
一体、頭の中が、心の中がどうなっているのか、わからない。

セミナー中も色々な人と関わる場面では、進んで声をかけ、素直にコメント。
どれだけキャラが濃い相手にも爽やかに答え、でも、相手の語り口に乗ることなく、自分の口調を崩さず、飲み込まれない。

この人は、何者なんだ。
人間関係のプロなのではないか・・・と心の口がぽかんと開く。
今まで会っていた親友像が、一体なんだったんだろうとさえ思えてしまう。

親友とは大学時代からの友達で、月に必ず1回以上は会う、家族に近い唯一の友達。
学生時代はカラフルな個性に溢れた人たちが多く、学生と社会人の狭間にあるモラトリアムな時期で、ほぼ全員がその色に染まろうとしていた。かくいう、私もそんな1人。
しかしその友達は、周囲がカラフルであることは認識しつつも、自分の中に染まらないものを持った、白色な人間。
そしてその白色は、社会人になった今も、持ち続けている。

初めて、親友に嫉妬した。ひどく嫉妬した。
私が今まで培ってきた、必要だと思っていた、相手の色を察知し、なるべく自分の色を相手近づけていく作業を、ガラガラと崩れおとされそうな感覚に陥った。
私の中の、人間国宝である。

私達の老後の目標は、「遊びに行く時は、元気に自分の足で歩いて会うこと」
しかし、個人的な目標は、親友のこの白色が、どのような白色になっていくのかを見続けていくこと。

このように思わせてくれた貴重な存在に感謝したい。
1番近くに居させてくれてありがとうという、尊い感情になる。
そして、私の得意能力である力を発揮して、白色に少しでも染まっていきたいと思う。




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