芥川龍之介 「運」 を読んで 「良くない人」の影響力

良くない人間を簡単に見捨ててよいのか。

芥川龍之介「運」を読んで改めて考えました。


「運」の主人公は、たった一人の母親と死別し、生活に困っていた娘です。
そんな娘は一生安泰に暮らせるようにと神社で願掛けをしました。

するとその夜、寝ていると、夢に陀羅尼を読む一人のお坊さんが現れ、
「そなたに云いよる男がある。その男の云うことを聞くがよい」と告げられました。

果たして、娘は道を歩いていると、案の定一人の男に突然背中から抱きつかれ、そのまま男の住む塔へ連れ去られました。

男は娘に結婚を申し出、その印として綾十疋、絹十疋を娘に差し出しました。これに対して娘は夢のお告げを信じるべきだと考え、結婚を承諾し、綾十疋、絹十疋を受け取ります。

やがて男は用があると言って塔を出るのですが、留守をしていた娘は何気なく塔の中を物色していると、塔の奥に珠玉や砂金といった当時としては非常に高価なものがいくつも置いてあることを発見します。

それを見て娘は直感的に「あの男は物盗りである」と気づき、
怖くなった娘は塔から綾十疋、絹十疋を持って逃げ出します。

塔から逃げた娘は町に着くと、通りが見物人でごった返しているのに遭遇します。何かと思って覗いてみると、そこには先ほど自分に結婚を申し出た男が、縄にかけられ、警察官に曳かれて歩いていました。


娘は結局、結婚の申し出としてもらった綾十疋、絹十疋を売り、
それを元手に何不自由なく生活することができるようになったそうです。


結果的に、娘は何不自由なく、安泰に過ごせるようになったので
良かったではないかと考えることもできると思います。

ただ、娘の生活が良くなったのは男から、つまり盗人から綾十疋、絹十疋をもらうことができたからでした。

つまり、良くない人の行動のおかげで、
娘は幸せを手にすることができた、と考えられます。

もちろん娘自身は何も悪いことをしていないので気にする必要はなく、
気兼ねなく日々の生活を送れば良いと言われればそれまでだと思います。

しかし、実際娘はその男に対して何も思わずに生きていけるだろうか。
憶測ですが、きっと何かは感じてしまうように思います。
そしてきっと、みんなと同じ勢いでは、その男のことを悪い人間であるとは言い切れないように思います。
このやるせなさを、この小説は伝えたかったのではないかと感じています。

自分を励ましてきてくれた曲を作ったアーティストが
実は当時から違法薬物を使用していた。この時にファンが感じる思いにも近いように感じます。

娘やファン自身はもちろん何も悪くない。
そして、物盗りの男や違法薬物を使用したアーティストは明らかに悪い。
ただ、その人たちからもらった綾、絹や曲によって、
勇気づけられたり、幸せになっていることも事実としてある…..。

そんな時に、こうした良くない人を簡単に見捨てることができるのか。
特にそうした良くない人の周りにいた人は、考えることが難しいように思います。なぜなら何らかの影響をその人から受けているからです。

社会の許容度に関わってくる問題であると感じています。

本当に個人的にですが、自分は反省すべきところを反省すれば
あとは受け入れていくべきではないかと考えています。





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