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青臭い女と擦れた男の話


「あのさ・・・・・ま、いっかあ!」
「え?なに?気持ち悪いなあ」
「俺たち付き合ってるよなあ」
「さあ、どうかなあ」
「焼肉食べに行こうか」
「いく!」

小さなアパートの一室、アルバイトを終えて帰宅した私を待っていた直也
大人になり切れていない私と、年齢だけは大人の彼の会話
姉しかいない私は、直也の事を優しいお兄ちゃんと思っていた。

部屋を出て階段を降りたら焼き肉屋!びっくりするほど近い。
外は夜の帳が降りて、色とりどりのネオンがそこかしこに光っていた。

実は、このアパートは、バイト先の店長が家主で、寮のごとく使わせて貰っているので家賃はタダだ。正社員でなくても、短時間アルバイトでも使わせてくれるお人好しな家主である。

こじんまりとした店内に入ると、マスターとママが笑顔で迎えてくれた。
一応私たちは常連さんで、私たちを引き合わせたのもマスターだった。
店内はその日に限って、閑古鳥の鳴き声が聞こえそうなほど空いていた。

暇を持て余したマスターが、直也の隣に腰を下して何か言いたげに私達を見ている。直也はマスターが居ることなど、まるで意に介してないみたいだ。

「あのさ・・・」
また彼が躊躇しながら私を見てる。
「だから何よ」
「親父が危篤なんだ、一緒に帰ってくれないか?」
口に入れようとした肉が橋から滑り落ちた。
「・・・・・・」
思考回路が止まった。
マスターに困惑した目を向けたが、彼は無言のままガタンと椅子を引いた。
そして、私の落とした肉を素手で掴み立ち去った。

椅子の音で我に帰った私は「行かない!」とだけ呟いた。
そこへ、仕組まれていたかのように直也の妹が入ってきた。
「迎えに来たよ、お兄ちゃんたち」
彼女は私が直也の婚約者と聞かされていたらしい。

寝耳に水の私は逃げるように部屋に帰った。
小さくノックしながら暫く私を呼んでいたが、時間がないからと2人はあきらめて帰って行った。

私は、ベッドに潜り込み布団を頭から被り、耳をふさいで外が静かになるのを待っていた。待っていた・・・筈だったが、窓の外から眩しい光が差し込んで目覚めた。鞄に教材を詰め込んで、慌てて階段を下りた。

きっと夢でも見ていたに違いないと、自分をなだめた。







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