見出し画像

冷や汗をかいたことを思い出した

 我が子は内弁慶で、慎重派でもあるので、あまり面白いエピソードはないけれど、一つ、思い出したことがあるので、忘れないように書き留めておくことにします。



 生まれた直後から7歳頃まで、ピナ吉(娘)には苦手なことがあった。

 それは車に一時間以上乗ること。

 チャイルドシートに乗った際の締付が嫌なようで、そのため、車で片道1時間半かかる配偶者の実家への帰省は、私とピナ吉だけ電車(特急で30分)で移動していた。
 電車での移動は、乗り降りする人の流れ、車窓からの風景、運転手さんの背中など、ピナ吉には面白いものがたくさんあるらしく、人が少ないときは靴を脱いで椅子の上にのぼり、おしりを振ってごきげんに過ごせる時間でもあった。

 そんな私とピナ吉のささやかな楽しみの一時に、事件は起こった。

 
 車内は、なぜか人がわりと多かった。あまり外の景色が見られず、イライラしだすピナ吉に焦った私は、とりあえず、大好きな幼稚園のことを思い出してもらおうと、小声で話をふってみた。
「明日からまた幼稚園だね。楽しみだね」
「…うん」
 周囲の人に警戒し、言葉数の少ないピナ吉。
「お外の遊び時間を増やすって先生言ってたから、目いっぱい遊べるね!」
「そうなんだ」
 うつむいて、まったく楽しみではなさそうなピナ吉。あまり車内で大声で盛り上げるわけにもいかず、焦る私。その時不意に、ピナ吉が顔をあげていった。
「あのね、ピナ吉ね、もう全部おぼえたんだよ」
「おぼえたの?何をかな?」
「あれだよ、あれ。えーっと」
 私が話しかけたことによって、褒めてもらいたいことを思い出したピナ吉が、やや大きめの声で言い出した。

「神さま、わたしたちに今日この食事をお与えくださったことを感謝します!」

 瞬間、周囲の人の目が私とピナ吉に突き刺さった。

「今も食事をえられず苦しんでいる人たちのために私たちはお祈りします!」

 当時、ピナ吉は幼稚園の年中さん。通っていた園はカトリック系列の幼稚園で、シスターがいてくださる、今どきめずらしいのではないかと思われる、割ときちんとしたカトリック教育が施されるところでもあった。まだまだ純粋なピナ吉は神様と天使様とマリア様の存在を信じ(小学生の今でも信じているが)、悪いことをしたら地獄に落ちると本気で怯える子どもに育っていた。朝、登園したら天使様に祈り、全員が揃ったら主の祈りを唱え、帰りの会ではマリア様に祈り… 
 そして、食事時にも、もちろん神さまに祈っていた。

「今日も私たちの罪をお許しください!」
 
 私は気付いた。この祈り文句は絶妙に、マリア様や天使様といった言葉が入っていない。そして周囲の妙に冷たい目。もしかして

「お祈りしないと、怒られるし、早くおぼえなさいって練習するんだよ。でもピナ吉はもうおぼえられたから、今度小さい子さんにも教えるんだよ!」

 なんか、違う宗教団体と間違われてる…!?



 その後、完璧に主の祈りと聖母賛歌を諳んじてみせたピナ吉。(止めようとしたが、お祈りを遮るのは悪だと教えられた、と怒らせてしまった)
車内の人々の目が冷たかったのは、単に子どもがうるさかったからか、それとも別の理由だったのか







急に話は変わりますが。

 いま、ピナ吉は、小学生となって、他者に害されることがあるということを知り、戦争のニュースを見て平和と神の存在に悩み、それでも、神さまはいると信じている。だから良い子でいよう、たとえ相手が神さまを信じていなくて、そのことでバカにされても、周りの子を傷つけることはやめようと、考えている。
 この心が曲がることなく、見えないものを信じるということを通じて、自らの心を強く磨いていってほしいと、私は思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?