過去、今、未来の自分へ


必死に足掻いても抗おうとしても、変えられないことや、この世の中の理不尽に正面から闘う必要はなくて、心が折れてしまうなら、その場所から逃げてしまえばいいし、自分自身が変わればいい。

わたしはずっと何かと闘って生きてきた。
人、世の中、時には自分自身。

それがなんなのか、今となっては忘れてしまっているようなことだけど、ずっと闘ってきた。
他人の気持ちや、流れで回っている世の中を変えようと躍起になってなりまくって、結果心が壊れてしまう経験を2回もしてしまった私がやっと気づいたことは、「他人は変えられないことを受け入れる」こと

私が抗うのに必死なように、その中で生きている人たちは、そこが変わらないように守るために必死なこと。決して、その生き方を否定しているんじゃない。
物事は必ず表裏一体。
ただ、私は、そこが自分を活かせる場所じゃないと言うことを、体や心が教えてくれた。
すでも、それも全て自分が経験したかったことで、もすちろんそこに学びが沢山ある。

いつまで言い訳しているの?
いつまで結局現状維持を保っているの?
いつまで自分の可能性に蓋をしてるの?
いつまで、、、自分を信じてあげられてないの?

その時は辛くて苦しくて、もうドン底だなんて思うけど、すこーしずつそこから上がって来れると、これも自分へのメッセージなんだと思った。

こういうこというと、もう私は乗り越えて人生全て上手く行ってる人に見えているかもしれないけど、まだ足掻いてます。なんなら、まだどん底かも。笑

過去と今と未来は同時進行に動いている。
だから今の自分が過去の自分へ、「あの時は辛かったけど大丈夫よ。」っていうと過去が変わって、今も変わるということはしてきたけど、次は、未来の自分から今の自分へ、「あの時(今)の自分は大変かもしれんけど、大丈夫。全て上手くいくから」っていうことを続けていきたいなと思った。

熱量持って、ちゃんと気持ちを注げば、伝わることをここ数日の経験で感じていて。
その熱量の使いどころを間違えると、心がすり減ってしまう。
自分が熱量持って伝えられる場所はどこか?
何をとどけたいのか?
私の学びはまだまだ続きます。

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