必要ない ごめん歪ませ

人の性格は最大でいくつまで保持可能か?
我々の住む世界とは異なる湿度の高い暗夜世界で日常的に議論がなされているらしいが、
さて困ったことに現在に至るまで答えは出ていない。

遠雷を引き寄せることに定評がある僕の旧友もやはり知らないだろう。
10年以上会っていないが彼の性格は走馬灯を蹴飛ばしても許されるくらい覚えている。
彼は毎日のように呻いていた。
苛まれる姿。
寸分違えば知ることもないまま終わっていただろう。
それが彼の日常なのだが、僕にとって彼の日常はもう少し楽天的なものだとばかり思っていた。
知る由もなければ想像はしない。
彼はついぞ僕に傷痕ひとつ見せなかったということか。
いやまあそれでいいんです。

宇宙人が話を逸らす前に戻すと、人の性格は最大いくつまで保持可能なのか。

可能な数など、はっきり言ってどうも興味がないことだ。
なら言うな、と彼なら言うな。うんうん。

僕はひたすら疑問に思っている。
節目節目、そしてあらゆること、あらゆるもの。
人は何かにつけて変わろうとする。
己の思想。主張。言うなれば自我の一部を、容易く捩じ切ろうとする。
良くない。
なぜそうまでするのか。
その先にあるものは何か。
大いなる喪失の対価にしては、あまりにも虚無ではないか。
僕は僕だ。
他の何かを掴もうとしてもそれは雲の如く。
逆に僕をインストールすることも不可能なのは、そこの寒空に寝そべる王様も知っての通り。
『ワタシ』を捨てて手に入れるものは、『ワタシ』が欲しかったものだろう。
だけども、『ワタシ』が不在となっては無用の長物。水泡が優しくワタシを洗い流すなどとは、あまりにも夢幻に憧れすぎである。

化粧をしているアナタのことは好きでも、化粧をしていないアナタに同じ感情を向けてくれるとは限らない。
何かを変えようと心が動いた時点で、それはアナタが化粧に手を伸ばしたことを意味する。
上手くいけば遺影まで化粧で埋め尽くしてくたばることも可能かもしれない。
だが、しくじれば悲惨だ。
このギャンブルが怖くて、僕は別方向の覚悟を決めた。

そして、それは社会的に健全だ。

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