いじめは文化

誰かを傷つけることで誰かに傷つけられた自分を忘れることができる。そうやって自分を癒す、それがいじめ。

いじめられっ子とは親にいじめられている不幸な子供だ。親が自分を嫌っているという事実に子供は耐えられないからやり返さない相手を探していじめをやっている。

おとなになるにつれあからさまないじめは良くないと世間から非難されるので「相手のためを思って」という大義名分が必要になる。上下関係とはいじめのためにあるものだ。先輩と後輩、上司と部下、奴隷と主人、どれもいじめを正当化する

いじめられっ子(後輩、部下、奴隷)はその境遇に耐えられないのでいじめっ子(先輩、上司、ご主人さま)の「お前のためを思って」という言葉を信じようとする。「これはいじめではない。自分を成長させてくれるためのシゴキなんだ」と。いじめをいいことだと自分を裏切り自分にウソを付くようになったいじめられっ子はいじめをやるようになる。そうやって自分を騙し切る。自分がやられたことを後輩や部下にする。そして家庭ができれば自分の子供にやる。そうしてまた不幸な子供が出来上がる。

いじめを正当化するからいじめは連鎖する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?