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公明党に入れろとことあるごとに言ってくる母を巡る想い出

私と同じく、創価学会の2世信者であるゆでたまご屋さんのこのnoteを拝見したら、パンドラの箱を開けたようにいろんなことを一気に思い出した。私にとっての創価学会ってまさにこれ。極端な戒律はないし生活に支障はないけど、公明党に入れろ、聖教新聞を取れってことあるごとに言ってくる母親!

私たち夫婦は晩婚なこともあって、「子宝に恵まれたら恵まれたでいいけど、不妊治療はしなくていいよね」と夫婦で同意している、消極的なDINKSなのだが、子どもを産まない理由の一つは、子どもを産むことによって母親と会う機会が増えるのが嫌だったから。

正直、不妊治療がつらいとか分娩の激痛とか子ども育てるの大変とかキャリア!金!とかよりも、実母の世話にならなきゃいけないのが嫌なのだ。里帰り出産するなら義両親のところに行きたいくらい。
私がお産で弱っているときも、タイミングとか私の気持ちとか考えずに、母は創価学会の組織に言われるまま、「公明党に入れて欲しい」「新聞取って欲しい」と言ってくるに決まってる。健康体のときですらかなり精神的に削られるのに、ホルモンバランス崩れてるときにそんな事言われて正気でいる自信がない。出産しても実家に安心して預けられない。

一回一回は大したことないんだけど、会うたびに言われてみ、本当に本当に本当に嫌になるから。

私は婚姻届の証人欄書いてもらうときにも両親から「結婚おめでとう」と祝福されることもなく「次の選挙公明党に入れてね」とチラシをお渡しされた死(変換がこうなったからもうこのままにするね)、

その結果本当は自公連立政権が一番苦しみそうな野党候補に入れているけどそんなこと両親にはわからんので口先では公明党への投票を約束しようもんなら「いつ投票に行くの?」「投票今日だったよね?何時に行くの?」「投票終わった?」と細かくLINEが来る死、

運悪く夫がコロナウイルス感染症に罹患してしまい、実家の空き部屋に避難して自主隔離させてもらっていたら「聖教新聞取ってください」とLINEが来る死、もう最悪。もういい加減付き合わないことに決めましたよ私は。

とまあ、DINKSになることを本気で検討するくらい積もり積もった恨みつらみでいっぱいで本当に最悪なんだけど、ゆでたまご屋さんのnoteに書かれていた『楽しかった「マル付け」の思い出』のような思い出が、私にもある。

私が小学生の頃、私の実家は『拠点』と言って、地域の学会員が夜な夜な居間に集まって『会合』をする家だった。

(……という話をしたら宗教2世の友達に「それって啓ちゃんのご両親はその地域で偉い人だったってこと?」と聞かれたのだが、私はどういう基準で拠点が選ばれているのかは知らない。私たち家族が手狭なマンションに引っ越したときには『拠点』ではなくなったから、ある程度ちゃんと信仰心があって広い家に住んでいれば役職とか成果は関係なく『拠点』を提供できるのではないかと思う)

創価学会では自宅を拠点として提供することは大変な功徳を得られる行為であり、来世は城に住めることになっている(なんじゃそりゃ)。子ども心にそれが誇らしかったし、両親が所有していたマンションが高く売れたり、住むところに困らないのは『拠点』を提供した功徳だと本気で思っていた(いやそれただ単に不動産の相場が上昇してただけだから)。将来はビルを建てて、個人会館として学会員に開放するのが私の夢だった。

夜な夜な『会合』する、といってもそれがどれくらいの頻度だったのか、よく覚えていない。その日はいつも2階にあるテレビ部屋に、地域の学会員の子どもたちと押し込められて、アニメを見ていた記憶があるから、多くても週に一回、19時~20時くらいにあったのだろう。足音を立てると1階の居間に響くので怒られたものだった。

この記事を書きながら気付いたけど、そういえば私は居間のことを『仏間』って呼んでいた。でっかい仏壇が置いてあるからね。

当時から創価学会は公明党の支援を熱心にしていた。私の家には公明党の区議会議員が来て、今回の選挙や政策について車座になって話していたこともあった。
投票日ともなると、我が家の居間に大人たちが集まって、出前寿司を食べ、ビールを飲みながら熱心に選挙速報を見ていた。子ども心にお祭りみたいで楽しそうだなと思っていた。

私の父は建築会社で働く会社員で、帰ってくるのが遅かった。専業主婦の母が公明党の街頭演説を聴きに行くときは、幼い兄弟だけで家で待っていなくてはならなかった。
母が言うには駅前に一緒に連れて行こうとしたけれど、「アニメを見たい」と言った私を家に置いていったらしい。私は今でも当時の母を責める気にならない。夫が夜遅くまで帰ってこず、子どもをひとりで見ていなければいけないのなら、母親たちはどうやって政治参加すればよいのだ? それがカルト政党だったとしても、止める権利があるのか?
母は結構、楽しかったんじゃないかな、と思う。


こんなこともあった。当時私は高校生くらいだったか、母が公明党の区議会議員を連れてきたので、玄関先で挨拶した。母がなぜ選挙権のない当時の私に区議を会わせたのかはよくわからない。当時母はこの男性と区内のあちこちを自転車で回って選挙活動に勤しんでいたらしい。

「お母さんを毎日自転車で連れ回してしまって申し訳ない」

彼がそう言ったので、よくわからないけど、母は彼の選挙活動を手伝っているのだろうな、と私は思った。高校生の私には、いや、アラフォーのおばさんになった今の私にも、当時の母が何をしていたのか、皆目見当がつかない。候補者の名前の書いてあるのぼりを差して自転車でぐるぐるその辺を回っていたのだろうか。チラシを配ったり、ポスターを貼ったり? 一生懸命当時の母の姿を想像するのだが、私にはいまいちぴんとこなかった。

「そうでしたか、通りで母は最近楽しそうだと思いました」

小学生の頃からひっきりなしに自宅を出入りする学会員に、私は慣れ切っていた。どうすれば目の前の大人たちの歓心を買うことができるのかは、すっかり心得ている。
大人びた返事をした私に、議員が言った。

「なにか質問があったら言ってください、僕がどんな人間なのか知ってほしくて」

そんなようなことを彼は言った気がする。僕がどんな人間なのかを知って欲しくて? 知ったところでどうしろというのだ。あなたがどういう人間だろうと、公明党の候補なのだから、母は黙って自転車を漕いでついてゆくだけだろう。それが母の祈りである。

学会員は何も考えずに公明党の支援をしているわけではない。だが学会員である以上、何も考えずに公明党の支援をすることもできる。それはすごく楽ちんで、楽しいことなのだ。公明党に任せておけば、素晴らしい立正安国の世界が拓けるはずなのである。


選挙といえばこんなこともあった。
創価大学を卒業した私は、就職して一人暮らししていた。年末に実家に帰ったとき、父とこんな話をしたことがある。私の創価学園時代の同級生(当然彼女も創価3世)がバイト先でパワハラに遭っており、どうすればいいだろうかと相談すると、父は「公明党の議員に相談しなさい、こういうときのために応援しているんだから」と言うのだ。

父が、すごくカジュアルに、なんのこともないように、権力の行使を推奨してくるので、私は驚いた。ただ確かに、住民の生活相談は地方議員の義務でもあるし、相談したことが政策に反映され解決するならそれに越したことはない。公明党の議員だって、生活相談のときにいちいち相手が学会員かどうか確認していないはずだ(なんとなく話してたらわかっちゃうんだろうけど)。

私たちは子どもの頃から候補者が地域の拠点に来たり、街頭演説に動員されたり、ウグイス嬢をやったり(私はやったことはないが、女子部の先輩が協力していた)、母は議員と一緒に自転車で区内を回っているような環境だから、議員はすごく身近な存在で、なにか『苦情』があればすぐに言うし、そのハードルが驚くほど低い。
街頭演説の応援に行ったら、支援者の娘さん(5歳くらい)が「○○さんが当選するようにお題目あげてます!」って候補者に言うのを見たこともある。もはやホラーじゃん。誰か創価学会の公明党支援を題材にしたホラー映画撮ってくれないかな。私婦人部役で出るからさ。

統一教会の自民党への選挙支援についての報道を見ていて思うのは、統一教会の信者たちは直接的には何の見返りも求めていないようで、衝撃的だったし、気の毒に思った。そりゃ、教団としては、会合に教団の素晴らしさを讃えるビデオメッセージを送ってもらうとか、教団の悪行に対するお目こぼしをもらうとか、教義に即した保守的で男女差別的で時代錯誤な政策を実現してもらうとか、いろいろ利益はあるんだろうと思うけど。
でもさ、一信者、電話掛けとか面倒くさい選挙協力している本人が、うちの父みたいに「娘がバイト先のオーナーからパワハラ受けてるので労働相談させてください!普段からそのためにあんたらを応援してるんで!」って発想になる? たぶんならないんじゃない? むしろ彼らは息を潜めて、自民党との関係を隠そうとしてるよね。助けてあげてよ、あんなにすべてを、人生を犠牲にして、応援してたんだから。

私の周囲の学会員たちは、もっと図々しい。即物的に、応援しているからには実績が欲しい、暮らしをよくして欲しい、私達庶民の声を聞いて欲しいと思っている。昔ならともかく、令和の今、創価学会を日本の国教にしたいとか、国家戒壇を建てたい、とか本気で思って選挙活動をしている学会員はまずいないのではないか。ただただ、自分たちが公明党を応援し、時には「こういうことで困っているので解決せよ!」とおしりをたたくことで、学会員も学会員以外の庶民も救われる、世のため人のためである、と信じているんだと思う。

まあ、私もそうだったんだけど。

私が思うところあって、創価学会から距離を置きはじめた頃、20代後半の姉が結婚した。義兄は創価学会とは関係のない、一般的に言えば『無宗教』の家庭出身。両親は結婚にあたって新居に小型の仏壇を置き、御本尊を安置するようにと言って、姉夫婦に実行させた。姉の家には今も『御厨子』と呼ばれる小型の仏壇が置いてある。材質は白いパーティクルボードで、ニトリで買った衣装箪笥みたいに見える。創価学会専門の仏壇店に行けば、2~3万で買える代物である。ママ友が姉の家を訪ねても、誰も姉を学会員だと気付かないだろう。
生後すぐ入信させられ、家に御厨子があるだけで、姉自身には信仰心はないし、公明党も応援していない。私にこっそり「お母さんは結構献金してるよ」と教えてくれた姉。

私達兄弟の中で創価学園に進学したのは実は私だけで、姉も弟も別の私立に入った。姉は「四科目受験しなくてはいけない、創価学園を受験するのは嫌だ」と言っていた。両親は私達全員を創価学園にも、他の私立中学校にも見学に連れて行ってくれて、その中にはミッション系の学校も含まれていた。創価学園に進学したことは私の意志であるし、今でも後悔はない。ただ私が創価学園に進学したのは、姉よりも弟よりも両親の歓心と注目を得たかったという動機がなかったとは言えない。

姉夫婦が結婚した翌年のお正月、2人が実家を訪ねてきたので、お寿司を取って一家団欒をした。そこでも父が「今度の選挙、公明党に入れてね」と義兄に言うので、姉夫婦が帰った後、私は父に抗議した。私はとても恥ずかしかった。「お兄さんにあんなこと言わないでよ、折角来てくれたのに」と言った私に、父は、彼にはちゃんと話してあるから、みたいなことを言ったと思う。

私の伯父はもっと過激だった。従妹夫婦の新居に招かれたとき、貼ってあった神札(従妹の夫がお友達からもらったもの)を勝手に剥がしてしまった。この伯父は、同じ時期に従姉夫が結婚の挨拶に来たときも「これを機に、娘と一緒に信心をしませんか?」とぶちかましていた(一回誘って断られたら退いたそうだけど、婚約者の父親からそんなこと言われたら困るよね)(従姉本人は熱心な信者だったので、「お父さんありがとう!必ず夫にもこの信心をさせてみせます!」と思ったらしい)。
このとき伯父が神札を剥がしたのは、3世信者の私には理解しがたいことだった。当時の私は全く知らなかったことだが、これは『謗法払い』といって、折伏大行進の頃にはこうやって「邪教」の祭祀を焼き捨てることが行われたらしい。そういう都合が悪い歴史を、3世世代は教えられてないんだよね。伯父の野蛮な行動の意味も、2023年頃、教団から離れた人たちと話す中で初めて知った。

でも信仰心の全くない従妹が結婚したとき、伯父は勧誘どころか
本尊すら持たせなかったというから(神札は剥がしたけど)、やはり結婚する3世信者本人にどれくらい信仰心があるか、も対応に関係すると思う。従妹夫婦に新聞啓蒙したら断られたと伯母が言っていたとき、当時まだ洗脳されていた私も、「え~、新聞くらい取ってくれてもいいのにね!」と無邪気に言っていたのが懐かしい。本気で思っていたの、聖教新聞の1部くらい、取ってくれてもいいのにねって。従妹ちゃんは、信心してないし、公明党の支援活動もしないんだからね!
新聞くらい、取ってくれても、いいのにね。

私はこういった家父長たちの横暴な仕打ちを目にして、無意識に悟った。
私がこの先結婚するとしたら、義兄のように①本尊の安置を了承してくれて、②公明党に入れてね、と言われても、決して反発したりせず、表面上感じよくできる男性を選ぶべきであると。

そんなの間違いだった。別に『拠点』の子だった昔みたいに、大人になった私は、学会員に迎合したり、お追従したりしなくても、好きな男と結婚すればいいし、結婚しなくてもいいのだ。そのことに気が付いたのは2023年のことで、それ以前の私は「無宗教だけど理解のある男性と結婚して改姓したら、創価学会と実家となんかいい感じに距離が取れるのではないか?」と本気で思い込んでいた。ものすごく暴力的な言い方をすると、いつでも私は宗教から身を守るための盾として使えそうな男性を探していたんだよね。

かくして私はこの不毛な学会員ごっこの新たなプレイヤーを探すために、婚活を始める。そのときのことも機会があれば書こうと思う。

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