ちょっと大掛かりな歯科矯正の話15

朝の9時に手術台に上がった私。
母が待合室で終わったと聞いたのは、日が落ちた頃だったと言う。

術後、手術室で一度起こされるのだがまずはライトの眩しさと体の重さを感じた。普通に居眠りをしていたのを起こされた感覚で、慌てて体を起こそうとしたけど体は重くて…「起きなくていいよ」と優しく肩を押されて「あ、そうだ。手術したんだった。」と気づくのであった。
冷静になっていくのと同時に、自分の体につけられている機械や管の数を少しずつ実感して過去に感じた事ないほどの違和感を感じていくのである。
下から、エコノミー症候群防止のフットマッサージャー、しばらく寝たきりなので採尿するための管、抗生剤や水分等入れるための点滴、心電図、血中酸素濃度を測るやつ、口からの栄養補給が出来ないので経鼻経管栄養のチューブと、酸素を送るための呼吸器、術後にまだ出てくる出血を外に排出するためのチューブが2本…そしてよく見る顔に当てるタイプの酸素マスクと、何がどうなっているのか全く分からなかった。
「手術は無事に終わったよ、ここから3日はしんどいと思うけど…まぁ、頑張っていきましょう」
と、いつもサバサバとしている口腔外科の先生の声が聞こえてくる。
先生達の話を聞いてまとめていくと、
・三日間はICUで様子を見ていく
・大部屋に移動するタイミングで尿管が取れるかもしれない
・今はまだ術後でそこまでじゃないが、これからとんでもないくらい腫れと浮腫みが出てくる
・しばらくは水分も栄養も点滴と経鼻から流していく
との事だった。事前に聞いていたが、ここまで大変なのかと感じると同時に、これからが正念場と聞きかなり不安になったのを覚えている。
 まだ麻酔が抜けきらず、ふわふわとした感覚のままベッドからベッドに移された。あの、医療ドラマでよく見る「せーの、1.2.3」の合図で手際よく移動が行われた、すごい。
その後「自己血、半分以上残って勿体無いから戻すね」という多分今後一生聴けることのないであろうワードが耳に入り、点滴の他に見覚えのある血液パックが真上に掲げられる。あれは、私の血———
「あっ」
看護師さんが小さく声を出した、と同時に鳩尾に衝撃。
「ごめんなさい、大丈夫!?」
どうやらラックに上手く引っかからず、手元をすり抜けて我が血液が私の身にダイブしてきたらしい。まさか自分の血液の塊が鳩尾に落下してくるとは思わなかったが、これも一生ないだろうなという思い出になるなと思い、とりあえず「大丈夫」の意で小さく頷いた。
そのあとは麻酔が残ってるのもあれば、術後の酷い疲労感に気づいたら眠っていた。
深夜に大きめの地震があり、看護師さんたちが慌ただしく駆け回り様子を見に来てくれたときに目が覚めたが、頭を動かせないので何時かまではわからなかった。

しばらくして、突然息苦しさで目が覚めた。
恐らく、腫れてきたのだろう。仕方ないのだが、口の真上は鼻腔であり、腫れがひどいとそっちの方まで影響するって事前に見た先輩達のブログで見た。のと、麻酔の副作用で痰も出るらしいうえに、季節は冬と春の間。普段はアレルギー薬を飲んでいる期間である。もちろん、入院中は服薬出来ない為その辺も多少は影響していると思う。
酸素を取り入れるために管が入ってるとはいえ、自分で呼吸が出来ないというのはすごく怖かった。鼻で呼吸が出来ない、口呼吸をすると鼻から痰や鼻水が落ちてきて溺れる感覚。
そのタイミングで、看護助手さんがやってきてくれた。なんとかジェスチャーで伝えると、痰吸引を施してくれた。
「あ、この間やったわ」
と先日の介福の実務者研修を思い出す。相手は人形だから何気なく行っていたが、実際にこれを受ける身となるととても違和感があるし、しんどかった。
「今後のためのいい経験になったなぁ」と感じたのである。
「もしこの後も苦しくなったら、自分でやる?」
自分で、やる…!?と驚いたが、あの息苦しさから逃れられるのなら藁にもすがる思いとやらで頷いていた。
スイッチの場所を教わり、右手にナースコールスイッチ、左手に吸引チューブを握らされた。

その後、なんども息苦しさで目が覚めてはしんどさで気を失うように寝落ちたりを繰り返していた。
握らされた吸引のチューブは、その後自分で使うことは無かった、というより使う体力が無かった。
腫れとの戦いが始まり、後を追うように高熱が出てきたのである。術後に出るのは勿論知っていたが、普通の風邪の熱とは違う高熱にどんどん体力を奪われていった。

ここまででかなりの時間が経っているように見えて、まだ夜中なのである。
他の入院患者さんの「今何時だ!!」という声で時間を把握出来るありがたいイベントがあったのだが、1時間も経たずにそのイベントがおこるため
「さっき寝たと思ったけどまだ1時間も経ってない…!?!?」
と、なんだか悲しくなったのを覚えている。起きても引かない息苦しさに、いい歳して泣きそうになったのもまた思い出である。

翌朝、診察が始まる前の時間に先生が来てくれた。
「おお、腫れてきたね」
その通りである。目が開きにくいと感じられる程腫れはどんどんと広がっていった。
「どう?しんどい?」
と言う問いかけに対して何度も頷いて返事をしたが
「手術は上手くいったから、問題ないからあとは頑張るしかないんだよね」
と突き放され、そんなのわかってんだよー!!!!!!!!!!と叫びたくなったのだが、そんな元気はなく、ただ静かに項垂れるだけであった。

その後も息苦しさと怠さと闘い、寝落ちでは起きてを繰り返す。
そして、一晩経ち昼頃だったか。生まれて初めての経鼻経管栄養の時間がやってきたのである。

「じゃあ、入れていきますね〜」
という合図とともに、先に水が入れられる。すごい、何も口に入れてないのに確かに胃に水が入った感覚がする。テキパキと良い手際で色々進められて、栄養剤が入ってくる。冷たいようなぬるいような、それが時間をかけて流れてくるのだが、なんとも言えない感覚であった。いつかの胃ろうの実験の文献を思い出した。
1時間ほどかけ、ゆっくりと注入されていくのだが、時々食道から反逆者が上がってくることがあるらしい。時折、空気のみ上がってくる感覚はあったが、なんとか初回は完食(?)する事が出来た。

あと3日、このサイクルを感じなければいけないと思うと…また涙が出そうになる大人なのであった。

次回…え、外来に行く!?車椅子で運ばれる!?点滴と血液を抜くチューブを引きずって!?
「モルカーのパジャマ、かわいいね」と褒めてくれる看護師さん、どこか友達に似てて恋しくなる。

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