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離婚道#7 第2章「着物ファッションショー」

第2章 離婚ずっと前

着物ファッションショー

 ここから、かさぶたを剥がすような作業をしなければならない。離婚相手、吉良きら雪之丞ゆきのじょうとの出会いについて、振り返ることにする。
 寺尾まどか、31 歳だった。中央新聞の文化部記者として、時おりファッション取材もしていた平成13(2001)年3月のこと。
 ニューヨークコレクションで鮮烈デビューし、この10年、ファッション界のカリスマ的存在でモードを牽引している新進気鋭のデザイナー、黒田英孝えいこうが、初めて着物をデザインしたという。着物は京都の老舗呉服屋「ゑり久」から販売されるとかで、銀座で開かれた着物ファッションショーを取材した。社会面の写真記事で使えるだろうと思い、私は写真部にカメラを発注していた。
 会場は、いわゆるファッションショーのステージではなかった。普段は演劇や舞踊などが行われる、約600人収容の舞台である。
 着物ショーだから、柄をよく見たい。できるだけ前の席を確保しようと、私は少し早めに到着した。舞台中央から客席へ、T字型に特設ランウェイを走らせている。ここを黒田英孝デザインの着物を着たモデルたちが歩くのだろう。私はメディア席の中でもできるだけランウェイに近いところに着席し、ショーが始まるのを待っていた。カメラ席ではわが社のカメラマンが絶好の場所に三脚を立て、フィルターをのぞき込んで撮影位置を確認していた。
 開始時間から数分過ぎたころ、それまで流れていた和風テクノミュージックのようなBGMが消え、照明も消えた。はじまるようだ。
 すると、琵琶びわの音色をメインに使った五音音階(※①)の曲が流れ、舞台がパッと明るくなるや、
「いよぉ~」という能の掛け声。
 続く「ポン!」という鼓の音。
 舞台上の下手しもて寄りの位置で、紋付袴姿の笛、太鼓、大鼓おおつづみ、小鼓――いわゆる四拍子の囃子方はやしかたによる演奏がはじまった。
 そこに、ダンサー兼振付師の HARUMI が、黒のタンクトップと黒のスパッツ姿の上に、淡い緑と青のグラデーションのシフォン素材を巻き付けたような衣装であらわれ、舞台空間を自由に使って、少し難解な前衛舞踊をみせた。
 ファッションショーとは思えない、舞台上の張り詰めた緊張感――。
 能の囃子方と前衛舞踊の新しい芸術を披露した後、HARUMI が上手かみてにはけると、舞台両側からひとり、ふたり、着物モデルが登場してきた。その間、幽玄ゆうげんな音楽に合わせた能演奏は続いている。
 舞台には、妻子ある歌手との不倫スキャンダルでワイドショーを賑わした女優が着物モデルとして登場。女優がランウェイ中央でいったんポーズをとると、カメラは一斉にシャッターを切りまくっている。舞台空間をとらえ、遠くを見るアンニュイな表情で歩く姿は、さすが女優だ。
 そもそも着物というのは形が決まっており、デザインを大胆に変えることはできない。その中でも、黒田デザインの着物は、モダン柄と大胆な色調にチャンレジした意欲作だった。帯の締め方や帯揚げ、帯留めなどの小物使い、ヘアスタイルも斬新な提案が見られた。
 そうした着物の細部に目を配りながら、私はそれ以上に全体の演出に意識がいっていた。
 これまでも着物ファッションショーは取材したことがあったが、それはただのショーだった。着飾った着物モデルのウォーキングだった。商業的なイベントだった。
 しかし、黒田英孝の着物ショーは品格があった。鼓や笛の音色が全体の格を押しあげ、能演奏が舞台空間を支配している印象をもった。
 本物の芸術に触れるようなすばらしい着物ショーだった。
 
 ショーが終わり、会場から出ると、ホワイエでは関係者が集っていた。
 着物姿のモデルたちが並び、近くで黒田英孝が記者たちに囲まれている。そこに私は分け入ってコメントをもらった。社のカメラマンには、モデル全身写真と着物の柄が見えるようなアップの写真を依頼し、撮影したら社に戻っていいと伝えた。
 少し離れたところでは、「ゑり久」の社長が数人に囲まれている。
「私どもは、新しいことに挑戦しないと、伝統は守れないと思っております。今回は人気デザイナーの黒田さんとタッグを組みまして、新しい挑戦を……」
 などと熱弁をふるっている社長の発言をメモした。
 受付付近に立っていた「ゑり久」の広報担当者と立ち話した。舞台プロデュースについて訊きたかったのだ。担当者の説明から、ファッションショーをプロデュースする国内最大手の会社が、能楽プロデューサーの吉良雪之丞に能監修を依頼して制作した着物ショーだとわかった。
 吉良雪之丞――初めてきいた名前である。
「能楽プロデューサー」って何だろう。吉良とは、いったいどんな人物なのだろう……。
 文化部では、古典芸術を得意とするベテラン記者がいる。能のジャンルでは、イベントのたきぎ能を取材したことがあるくらいだったので、私は能についてあまり詳しくない。
 着物ショーを観た肌感覚として、40行程度のニュースだろうと感じていた。ちなみに、当時は1行12字だったから、480字くらいの分量である。もう十分に40行は書ける。ただ、なんとなく能楽プロデューサーの存在が気になった。そこで、「ゑり久」の広報担当者に案内してもらい、ホワイエの隅で、近寄りがたい雰囲気をまとっている吉良雪之丞に声をかけたのである。
「中央新聞の寺尾まどかと申します」
 とあいさつすると、
「吉良雪之丞です」
 声には威圧感があった。
 眼光するどく、白髪交じりの髪は、きちんとオールバックに整えられている。中背で姿勢がよく、上品な紺の江戸小紋(※②)が、ガッチリして均整の取れた肉体によく似合っていた。
 端正ながら、いかにも気難しそうな顔は、能面のように表情がないものとひるんだが、名刺を差し出して、こちらが少し微笑むと、雪之丞は意外にも、優しげな笑みを浮かべた。
「素晴らしいステージでした。舞台を監修されたのが吉良先生だと伺いました。伝統音楽と現代舞踊が、黒田英孝さんの大胆で洗練されたデザイン、ゑり久の着物の美しさを引き立て、会場全体が異次元の空間に感じました」
「そう感じていただけましたか。それは大変うれしいことです。私は能という日本の伝統文化は、あらゆる美の世界と親和性があり、新しい芸術作品を創造できると思っています。寺尾さんは、能に興味はありますか? 今度面白い試みをしますので、是非取材に来てください」
「はい」と一応、社交辞令を述べた。……そう、社交辞令。能の世界はなかなか難しいから、そう簡単に深入りはできない。
 新聞取材では、取材相手の生年月日を聞くのが鉄則だ。訊けば、雪之丞は52歳という。貫禄はあるが、肌の色艶などの細胞組織は恐ろしく若い人だなと思いながら、わずか数分の立ち話でその場を失礼した。
 なにせ夜までに原稿を書かなければいけない。原稿には、ほとんど無名の雪之丞のコメントは入れる必要がないと思っていた。
 社に戻って、原稿を書いた。
「人気デザイナー黒田英孝 伝統のゑり久の着物をデザイン」
 という仮見出しを立て、着物の大胆な色調、晴れやかさを書き、人気女優がモデルとして登場したこと、能の演奏と前衛舞踊が会場を盛り上げたことなどを書いた。
 41行だった。写真原稿としてはこれで十分だと思ったが、ついでに雪之丞のことを書く気になっていた。あのショーのキーパーソンに思えてならなかったからだ。
「着物ショーと大鼓との融合を監修したのは能楽プロデューサーの吉良雪之丞さん(52)で、古典芸能と現代舞踊で伝統と革新を表現した」と、最後に4行加えた。全部で45行。
 このような原稿は、最初の方に重要な要素を書いておかなければならない。なぜなら、小さいニュースや写真原稿は、紙面の調整に使われやすい。整理部のレイアウトの段階で行数を調整する場合も多く、降版(※③)前に臨時ニュースなどが入れば、「ケツ切って!」とデスクからの指示で、最後の段落をバッサリ切るのが慣わしだからだ。
 翌日のスポーツ紙各紙は、スキャンダル女優がメディアの前にあらわれたニュースが大きく扱われていた。一般紙では2紙、着物ショーを報じていた。
 中央新聞では着物ショーが社会面に掲載され、予想通り、最後の4行が消えていた。
 意識的に加筆した原稿のケツをカットされ、私は余計に吉良雪之丞のことが気になってしまった。

※注釈
五音音階ごおんおんかい 五音からなる音階。ドレミソラの全音的五音音階やラシドミファの半音的五音音階などがあり、日本の雅楽や中国、スコットランドなどの伝統音楽に多用される。

②江戸小紋こもん 微細な模様を彫った型紙を使い、型染めした着物。江戸時代に武士の礼装であるかみしもから発展した。紺や茶など渋い色に白抜きの模様を染めることで、遠目には無地に見えるが、近づくと整然と細微な柄を映し出す。

降版こうはん 新聞の完成した紙面データを印刷部門に送ること。内容の修正ができなくなるところから、締め切りの意味でも使う。新聞社は降版時間ギリギリまで最新のニュースを盛り込めるよう努めている。


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