見出し画像

離婚道#35 第4章「弁護士は編集者の夢をみる」

第4章 離婚へ

弁護士は編集者の夢をみる

 歓迎会は夜11時、西日暮里のイタリアンから徒歩ですぐの私の新居に移り、2次会になった。
「久郷先生、とっておきの赤ワインを飲みましょう!」
「イェ~い! いいね」
 こんな時のために、家から運んできたワインの中からブルゴーニュの自然派の作り手、アラン・ビュルゲの「ジュヴレ・シャンベルタン」(2009年)を開けた。
「なに、これ。めっちゃウマい! 香りもいいし、なんかすごく上品で飲みやすい」
 歓喜している久郷弁護士にナッツを出すと、「まどかさん家、最高の2次会場所じゃん!」。人に喜ばれる満足感を久々に味わえてうれしい。
「このマンション、築浅でいいね。1階が居酒屋なのがどうかと思うけど、家具も揃ってて、悪くないよ。まぁ、部屋もキッチンもちょっと狭いけどね」
「そうなんです。お風呂は洗濯機みたいに小さいですよ」
「え、どれどれ?」
 久郷弁護士をリビングソファからわずか5歩の風呂場に案内した。
「え、マジ? こんな極小サイズあるの? 可愛いし、ウケる~」と、洗濯機サイズの浴槽にすっぽり入り、大爆笑している。
「先生、落とし穴にはまった人みたいですよ。ハハハ……」
 日常的に不便を感じている風呂場だったが、私もおかしくて笑ってしまった。
「へえ~、しかもこの風呂、扉がなくてカーテンなんだ。これ、お風呂入れたら部屋中がサウナ状態だね」
「そうなんです。新居を選ぶ身分じゃなかったから仕方ないですけどね。実は先生、私、家出した日、この部屋に着いて涙が出ました」
 歓迎会のおかげで、離婚弁護士との距離は一気に縮まった。カッコ悪いとは思いつつ、風呂場を見せた後、つい心を許して本音が出た。
「そうか、泣いたか・・・・・。まどかさんは何が辛かった?」
「たとえば、藤田奈緒は代々木上原で大きなルーフバルコニー付の42平米、17万円のマンションを吉良から与えられてるわけじゃないですか。17年間、吉良を支え続けた私が21平米、9万9000円の部屋にいると思うと、本当に悔しかったです。私の中に藤田への対抗意識があったことをこの部屋に来て再認識したというか・・・・・。自分でも嫌で、恥ずかしいですけど」
「そりゃ、おもしろくないよ。普通、浮気された妻は、夫が浮気したことはもちろんだけど、浮気相手の女に夫が金を使っていることが余計に許せないもんですよ。この部屋と藤田の部屋を比較して悔しいと思うのは当然だよ」
「あとですね、住んでいた家との落差に悲しくなったというか・・・・・。実は、自宅は150平米で家賃60万円のビンテージマンションだったんです」
「へぇ~、そんな家に住んでたんだ。芸能人みたい。でもさ、離婚を考える時、経済的な問題は大きいよ。離婚に悩む専業主婦の多くは、経済的な不安ですよ。夫からDVを受けても、我慢していれば生活に困らない。離婚したら生活していけないかもしれない、で悩むんだよね」
「そうなんです。我慢したのは、正直言って経済的な不安も大きかったと思います。それと、私自身の問題が大きいというか・・・・・」
 別居から数日、私は自分の離婚のことばかり考えていた。
 なぜ、結婚生活がこんな最悪な展開になってしまったのだろう・・・・・考察しはじめると、自分自身の問題、反省点ばかりが浮かんでくるのだ。
 横柄なのは雪之丞の性分だとしても、私自身が過剰に卑下し過ぎたことで、雪之丞の尊大さを増長させてしまったのではないだろうか・・・・・。
 私自身の問題はほかにもある。
 たとえば雪之丞のいない場所で周囲の人たちから「先生は奥様に厳しすぎる」と指摘を受けることがしばしばあった。彼らは私の内助の功を褒めつつも「あの先生と一緒にいることだけでも大変なのに、奥様は本当にすごいですね」という。
 そんな時、私は「吉良がそのように見られるのは恥ずかしいです。吉良に叱責されるのは、私がいたらないからなんです」と返答していた。しかし実は彼らは「あんなに人前で罵倒されて、アンタよく一緒にいられるね」と私自身が呆れられ、わらわれていたのではないか。私はそのことに気づかず、自分が評価された気になっていたのではないだろうか・・・・・。
 私は離婚弁護士に、自分の愚かさを告白し続けた。
「それと先生、実は別居してからほぼ毎日、吉良が夢に出てきます。寝言で『私は浮気してない』と叫ぶ自分の声で起きたり、吉良と結婚生活を続けている夢から覚めて、しばらくの間、この部屋で現実が理解できなくなったり。だから毎日、吉良のこと、結婚生活のことをうだうだうだうだ考えています。恋愛して結婚したのは仕方ないとしても、私は本当に吉良の仕事にかけていたんですよね。舞台革命を起こして『吉良雪之丞物語』を書く目的のために新聞記者をやめたから、目的が達成されるまで絶対に離婚できないと思い込んでいた・・・・・バカみたいですけど」
「まどかさんは、気持ちを完全に整理するまで時間がかかるね」
「いまだにうだうだ言って、すみません」
「私もさ、離婚を決意するまで、うんざりするほど悩みましたよ。離婚を避けたい気持ちがあったから。『離婚したら、自分の結婚が過ちになってしまう。勘弁してくれ、頼むよアンタ』っていう。だって私、離婚弁護士だから。でも離婚を決意した時には、自分の中でしっかりシャッター下ろしましたけど」
「私も離婚の決意をしたから家を出たんですけど、ちゃんと納得できる離婚に至らないと、その後の人生が見えないというか・・・・・」
「悩んだり気弱になったりするのは、必要な道筋だと思うんですよ。まどかさんの場合、暴言や暴力から避難したことは誰が見ても正しい判断だけど、気持ちを整理するまで、悩む時間が十分に必要なんだと思う。ときどき、悩むこと自体が目的化してしまう人がいるけど、まどかさんはそういう人じゃないので、十分悩んで下さい。これで良いんだと本当に思えたなら、その時は書くことが溢れてくるんじゃないかな」
「はい・・・・・」
 自信なさげに返答すると、久郷弁護士がニコッとアイドルさながらの笑顔になり、私の肩をポンと軽く叩いた。
「そうそう、私、まどかさんが記者時代に出した本をアマゾンで買って読んだよ。すごく読みやすくていい文章だよ。だから離婚問題は弁護士に任せて、まどかさんは書く仕事で山崎豊子を目指そうよ」
「先生、この前から山崎豊子の名前を出しますけど、この年齢で、専業主婦17年のハンデもあって、そんな大志は抱けないです」
「私さ、新卒で出版社に就職したってさっき言ったよね。その時は本当に編集者になりたかったんですよ。まどかさんの本を読んで、それを思い出したの。私は離婚弁護士として、まどかさんの離婚後の人生をサポートしますけど、一人の作家を世に出す編集プロデューサーの気分なんだよね。だって、最初に相談に来た時、まどかさん、『書きたい』って言ったじゃん。もし今後、弁護士モノを書くなら、編集者以上の協力をするよ。ネタは提供するし監修もする。うちの事務所の会議室、まどかさんが仕事で自立できるまで、編集会議室として使っていいんだから」
「・・・・・はい。それは離婚後の話で、それに私がまだ書ける人かどうか・・・・・」
「私ら年齢的にあんまり時間がないんだから、早く整理つけて、書いていこうよ。吉良の力を借りずとも、自力で稼いで、もっと風呂のデカい、広い家に住みましょうよ」
「えぇ・・・・・」と言いつつ、私は次の言葉が見つからず、戸惑っていた。とにかく自信がないのだ。
 しかし、久郷弁護士が私を前進させようとしてくれる姿勢は伝わり、わずかに勇気が湧いていた。これがオーダーメイドの離婚相談なんだろう。この離婚弁護士は、得意分野の法的知識を活用しながら、依頼人が望んでいる場所まで依頼人を送り届けようとしてくれているのだ。
 ワイン2杯目くらいからチラチラ時計を気にしていた久郷弁護士が突然、「あ!」という顔を見せた。
「まどかさん、お誕生日おめでとう!」
「50歳になりました。先生、ありがとうございます!」

 夜が明け、久郷弁護士からメールが届いた。
「祝50歳! 楽しい夜でした。地元に旧友が引っ越してきたみたいで、嬉しかった。自分がこんな時に、同じ境遇のまどかさんに出会えた幸運に感謝します。昨晩、私は編集者になる夢を見ました。まどかさん、人生は夢だらけだよ!」
 傷ついた50女には、最高の誕生日メッセージだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?