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離婚道#8 第2章「猩々」

第2章 離婚ずっと前

猩々

 私は吉良雪之丞のことを調べてみた。
 能楽プロデューサーとして、多少の実績があるようだが、ニュースとしては、あまりメディアに出ることもない。中央新聞でも雪之丞を扱う記事はなかった。
 これまでに3冊の著書があるらしい。
 吉良雪之丞として『橘流大鼓囃子集成』と『能における身体と心』を出版。『マンガで教える能楽ガイドブック』という本は共著である。
 著者プロフィールはあっさりとしたもので、
「昭和24年、東京都出身。昭和44年、能楽囃子の大鼓方『橘流』に入門、平成元年から能楽プロデューサーとして活躍」
 とある。私が生まれた年に、雪之丞は能の世界に入ったようだ。
『橘流大鼓囃子集成』は昭和63年の出版で、雪之丞が能楽師だったころの著書と思われた。あとの2冊は能楽プロデューサーとして、ここ数年の出版であった。
 ここまで調べると、やはりどんな人物か気になってしまう。そういえば、「面白い試みを取材してほしい」と言われ、「はい」と返事もしていた。
 ……というわけで、着物ショーからふた月後の平成13(2001)年5月、私は吉良雪之丞に取材を申し込み、世田谷区東北沢にある事務所を訪ねたのである。
 
 小田急線の東北沢駅は、都心から向かうと代々木上原の次の駅である。踏切問題対策で今では地下駅になっているが、当時は地上駅で、駅を降りるとすぐに踏切があり、郊外の下町の景色だった。
 雪之丞から事前に届いたFAXの手書き地図を頼りに、歩くこと5分。渋谷と目黒の区界に近い世田谷区内、4階建てビルの2階に雪之丞の事務所「有限会社 雪花せっか堂」はあった。
 玄関で、藍の作務衣姿の雪之丞に出迎えられ、応接間に通された。
 部屋に入った。まず目に飛び込んできたのは、見たこともない能面だった。
 代表的な「般若はんにゃ」(※④)や「小面こおもて」(※⑤)なら知っている。しかし、白い壁に張り付けられた能面は、奇妙な赤ら顔をしていた。少し滑稽こっけいなのに、どことなく気品がある。 
 社交のあいさつもそこそこに
「こちらは、なんというお面ですか?」
 と思わず問いかけると、吉良雪之丞は少しうれしそうに答えた。
猩々しょうじょうです。『しょう』は、けものへんに星と書きます」
 雪之丞の説明よれば、『猩々』は能の演目で、たいへんめでたいものだという。その筋はこうだ。
 昔、中国の揚子江の近くの金山きんざんというところに、高風こうふうというたいそう親孝行の男が住んでいた。ある晩、市場で酒を売れば、富み栄えるという夢を見る。高風は夢のお告げに従い、酒の商売をしたところ、しだいに裕福になっていく。
 そんな中、いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいて、いくら酒を飲んでも顔色が変わらない。不思議に思った高風が、名を訪ねると「水中にすむ猩々だ」と名乗った。
 高風はその日、酒を持って揚子江のほとりへ行き、猩々が現れるのを待っていると、そこへ赤い顔の猩々が現れる。猩々は、高風に会えた喜びを語り、酒を飲み、舞いを舞う。そして、心の素直な高風を称え、それまでの酒のお礼として、めども酌めども尽きない酒の泉が湧く壺を贈る。
 それは高風の夢の中の出来事だったが、実際に酒壺はそのまま残っていた。酌めども酌めども尽きない酒の泉が湧く酒壺を手にした高風の家は、末長く栄えたという。……
 つまり「猩々」は架空の動物で、赤ら顔なのは酒に酔っているから。面白い話だった。
 その後、雪之丞は、好奇心丸出しの女性記者を相手にするのがよほど心地よいらしく、いま関わっている舞台について、嬉々として語った。
 それは、中国四川省の伝統芸能「川劇せんげき」の変臉へんれんを用いた舞台という。変臉は、日本では変面ともいい、衣装や扇子などを顔にあてた瞬間にお面が変わる伝統芸能で、その仕掛けは国家機密ともいわれている。
 雪之丞は、「来年2002年が、日中国交正常化30周年なんです」と説明。国の文化事業の一環として、ただ変臉を上演するのではなく、中国の若手変臉師と能の囃子方の小鼓と大鼓がセッションするという。いわば、日中の伝統芸能の競演である。雪之丞はその舞台にアドバイザーとして関わり、今秋に上演予定というのだ。
 私は雪之丞に、今後の能楽プロデューサーとしての活動に話題を振った。すると、雪之丞の口から、舞台への熱意があふれ出た。
「能には真理と高い精神性があります。だから舞台芸術の最高峰なのです」
 雪之丞はこう力強く前置きし、
「能の本質を理解し、絵や彫刻、舞踊、ファッションなど高い芸術と融合すれば、極めて質の高い芸術作品になり得ると思っています」
 と、自身の頭の中に広がる創造の世界をあれこれ語った。
 さらに、「人生は、長い宇宙の歴史の点に過ぎない」という人生観を述べながら、「宇宙に遍満へんまんし、我々の体の中を風のように流れている究極実在のエネルギーは気です。能の芸術に、私はさらに高い気の質を吹き込みたい」と独特の表現で熱弁をふるって、こうたたみかけた。
「私はいずれ革命的な舞台芸術を作りたいんです」――
 雪之丞のみなぎる情熱に、私は純粋に感動していた。
 前回の着物ショーを観ているから、雪之丞の芸術的感性や才能は知っている。感覚や深い思考を言葉にする知性もあり、業界の風雲児になるような印象も受けた。
 ふと、雪之丞越しに能面が目に入った。
「吉良先生は、まるで猩々ですね。酌めども酌めども尽きないアイデアや知識、才能がありますから」
 社交辞令ではなく、本心から出た言葉だった。
 雪之丞は座り直し、じっと私を見つめた。
「寺尾さん、あなたはすごいですね。そんなことを私に言ったのは、あなたが初めてですよ。……確かに私は猩々かもしれません。私はこの仕事を、自分のためではなく、与えられた役割だと思ってやっているんです。私は天からいただいた、酌めども酌めども尽きないエネルギーを発揮し、伝統的な能楽で、新しい世界芸術を作りたいんです」
 迫力ある太い声を弾ませ、雪之丞はつづけた。
「それにですね、寺尾さん。この『猩々』の能面は、人間国宝といわれる能面師の作品なんです。縁があって、私のところにそのような能面がくるのですから、私は猩々なんだと思いますよ」
 強面こわもての厳格な目が開き、中2の少年のようなやんちゃな顔になった。雪之丞がそんな面体めんていも持っているとは、意外だった。
 それにしても雪之丞は、猩々だと持ち上げられても全く否定しなかった。それどころか、私の思いつき発言を受け入れながら、自ら「私は猩々だ」と重ねてきた。私は「すごいな……」と圧倒されてしまった。
 壁にかかる「猩々」の能面を制作したのは、大正生まれの熊崎光雲で、無形文化財選定保存技術保持者、いわゆる人間国宝に認定された初めての能面師だという。金額も高いのだろうし、欲しいと思ってもなかなか手に入らない代物なのだろう。
 いろいろ話しているうち、取材にたっぷり2時間半も費やしてしまった。日中伝統芸能の競演を紹介する70行程度の原稿を予定していたから、1時間も取材すれば十分なのだ。明らかに、この時の時間の流れは普通じゃなかった。
 なぜだろう。
「猩々」の話で、私は異空間に入ったような錯覚を覚えた。
『風と共に去りぬ』にのぼせた時以来だろうか……。
 私は久々に熱に浮かされたように興奮していた。

※注釈
般若はんにゃ 能面のひとつ。額には金泥を塗った2本の角が生え、大きく裂けた口をもつ鬼女の面。女性の憤怒と嫉妬を表す。

小面こおもて 能面のひとつ。女面の代表的なもので、可憐で最も若く美しい女の面。

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