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真夜中のオムニバス



「ねぇ、知ってる?真夜中の映画館の噂。
 真夜中の映画館に迷い込んで、そこで存在しない映画を見る噂」
 
「知ってる、有名な話だよな。
 ところでさ、この映画ってどういうのなの?」
 
「さあ?詳しくは知らないけど、オムニバス形式らしいよ」
 
「オムニバス?」
 
「短編集みたいなものだよ」
 
「へぇ、面白いかな」
 
「そうだといいね」
 
「あ、もう始まる」
 
 ブ————————————






 ざばん、ざばん
 潮の匂いが辺りを包む。
 さらさらした波が椅子の脚を攫う。
 それもそのはず。だってここは世界の端。沈んだ世界の際の果て。あと数秒か数分か、ここも直に海底になる。
 だというのに、そこには二人の馬鹿がいた。

「ねぇ、もうすぐで地球が終わっちゃうよ。
 逃げなくていいの?」
「それ、こっちのセリフ」
 ああ、自分を含めたこの馬鹿は何呑気に話しているのか。しかも、わざわざ持ってきた椅子に座って。
「他の人はさっさと違う星に行ったのに、こんな所で油売って、何? お前死にたいの?」
「だって~」
 ガタガタと、馬鹿は椅子を揺らして不満を表す。びちゃびちゃ鳴って水滴が物を濡らす。潮水に晒された椅子は金属部分が明らかに錆びて軋んでいる。
 あのね、と小さな声が聞こえる。
「僕さ、この世界が大好きなんだよ。それこそ、心中したっていいくらい」
 馬鹿が笑う。無駄なものが一切無い、綺麗な顔。色素の薄いその髪にもよく似合っていた。
「でもね、それだけじゃないんだよ」
 その綺麗な顔を崩してこちらを見る。いつも見てきた、間抜けな顔。自分が知ってる、好きな顔。
「こんな僕に着いてきてくれる馬鹿と、最期まで一緒にいれるからね」
 
 ああ、ああ、本当に馬鹿だ。
 最期の最後にこんな事を言うなんて
「——なら、
 馬鹿同士、華々しく散ってやろう!」
 本物の馬鹿になってしまう!
 
 ざばん
 波がやってきた。
 世界を飲み込む青が。






 青
 視界の全ては青で構成されていた。
 目を覚ましたら空にいたなんて、どういう事だ。
「あ! やっと目ェ覚めた!」
「はあ?」
 とりあえず、元凶であるこの魔法使いをどうしてやろうか。
 
 朧気な記憶の中に、世界を見に行こう、と背中を押され、空へと旅立ったのを覚えていた。
 くるりと世界が廻る感覚。
 バタバタとざわめく衣類や髪の毛。
 繋がれた両の手。
 そう、箒も持たずに。
 ある意味明るい心中なのではと疑ったものだ。これでは空を飛んでいるのか落ちているのかよく分からない。
 そもそも、ここはずっと海だと思っていた。潮水が魔法使い共々向かい入れ、海底の底を見せてくれるものなのかと。なのに魔法使いが見つけたホントウは、まるで違かった。
「なあ、海は?」
「海じゃないよ。空だよ」
 海は空で
「じゃあ、俺たちがいた場所は?」
「僕らだけを乗せた雲だよ」
 大地は雲で
「——俺たちは何なの?」
「魔法使い。普通じゃない魔法使い」
 俺たちは特別で
 自分の常識が覆されるのを変な気持ちで捉えていた。
 それを変わらぬ様子で話す魔法使いも、なんだか別の人間に思えて、少し怖くなった。
 
 大地はまだまだ先の様で、まだまだ俺たちは見知らぬ世界に落ちていく。
 色素の薄い髪の毛をはためかせながら、未知の世界に夢見る魔法使いは、相変わらずの表情で、俺の手をギュッと握る。
 そんな魔法使いに、いつもの姿を見たからか。俺はようやく正気というものを思い出した。
「で? どうして俺を連れてきた?」
 魔法使いに問う。
「え? 一緒に行きたかったから?」
 きょとん、と当然とでも言う様に、魔法使いは純粋な言葉を吐き出した。
 何とも簡単で、稚拙な答え。そんな理由で俺の人生は、いとも簡単に外れてしまった。
「え、もしかして駄目だった?」
 甘ったるくて、愚かな魔法使い。
 疑いもせず、信用しきった挙句、この仕打ち。
 そんなお前が、本当に大嫌いで、
 
「いいよ。そんな面白いの、乗らないわけない!」
 たまらないほど大好きなんだ!
 言葉を聞いて、魔法使いはくしゃりと顔を崩した。それを見て、こちらも自然と笑えてきた。
 きらきらと世界が輝く。さっきまでとはまるで違う世界。
 この輝きは一生忘れない。忘れられない。
「それじゃあ、行っくよー!!」
 魔法使いが魔法を掛ける。
 俺たちの旅のファンファーレを象徴するそれは、何とも綺麗な星たちだった。
 二人はきらきらと星を散りばめたそれに埋もれていく。
 最後に見たのは、星屑の欠片でいっそう輝く、魔法使いの顔だった。








 きらきら、ちかちか。
 痛みと共に現れたのは、そんな表現が似合う星。どうやら階段から落ちて頭を打ったらしい。
 鈍く痛む頭を抱えつつ、生きてることに安堵していると、後ろからドダバタと荒らげた足音が聞こえる。
「え、大丈夫!? 頭大丈夫!?」
 そこにいたのは幼なじみの男だった。驚きと心配と安堵が入り交じった顔でこちらを伺う。さっきまで話してた友人が、いきなり視界から消えて、尚且つ凄まじい音を立てながら落ちたのだから、それはそれは驚いただろう。しかし——
「……一応大丈夫だけど、その言い方は語弊がある……」
「え、えー……?」
 幼なじみは納得してない顔をする。こういう所が長所でもあり短所だろう。だから万年彼女無しなんだよお前。
 
「というか、隣にいたなら助けるとかなんとかしろよ」
「え!?」
 無茶言うな!と儚い顔面が崩壊する。完全な八つ当たりである。それを理解しながら、妙にムカムカする気持ちを抑えられずに幼なじみに募る。自分の思考と行動がまるであっていない。急にどうしたのだろうか自分の情緒は。別に後ろから押された訳でも、掴まれた手を離された訳でも無いのに。
 
「もーう……」
 幼なじみは呆れたような、嬉しそうな顔をして手を伸ばす。
「次はちゃんと助けるよ」
 その顔が、何だか眩しくて、遠くを見てる様で……
「——えい」
 パチン!
「いた!」
 無防備な額にデコピンをお見舞いした。
「ばーか、冗談だよ、冗談」
 お前はそのままでいいんだよ。
 遠くを見る幼なじみを見たくなくて、笑ってさっきのことを誤魔化した。
「え、えー…?」
「ほら、さっさと帰ろ」
 そう言って階段を降りて行く。幼なじみは、まだ呆けていたが、先に進んでいるのに気づき、慌てて後を着いてくる。
 その姿にカルガモの親子だ。と言ったのは誰だったか。
 
 階段を降りて行けば、踊り場が自分達を迎え入れる。ちらりと視界の端に見えるそれに、顔を顰めてしまう。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 無意識に手が震えていた様で、それに気づいた幼なじみはキュッと手を握る。
 こんなところで、とか恥ずかしい、とか色んな言い訳が脳裏に浮かんでは消える。
 それでも、何も言わず、ただただその手の好きにさせた。
 ……結局、救われてるのは、縋っているのは。
 いつもなら、下を向いて極力そちらを向かずに通り過ぎるのだが、今日はアイツがいるからか。何となく、それを視界に入れた。
 
 何の変哲もない学校の踊り場。
 自分の隣に立つ茶色の髪を持つ幼なじみ。
 黒く代わり映えしない髪。
 良くも悪くも無い容姿。
 
 そして、
 下半身を彩るプリーツスカート。
 
 大嫌いな自分が、映っていた。
 幼なじみと違う、ひ弱な自分が映っていた。
 
 鏡の中の自分がこっちを見る。いや、鏡の中の誰かがこちらを見る。
 
 その時、確かに、中から誰かが、虚像が見ていた。
 
 ——パリン








「どういうことですか」
 鏡の間にて、護衛の男が声を挙げる。その声の裏側に、マグマの様な激烈さが隠れているのを知っている。
「どういうことも何も、知っているだろう?」
 自分は護衛の方を向かず、ただただ告げる。
「——この国は、もうすぐ終わる。大国に喧嘩を売ったんだ。無事では済まない。だから巻き込まれない様手配を…」
「ですから!!」
 護衛が声を荒らげる。ちらりと鏡を横目に見れば、こちらに激情の目を向ける護衛が映る。いつもの融和な男の面影は、そこに無い。
 護衛は声を震わせ呟く。
 
「なぜ、貴方を置いていかなければならないのですか」
 
 もしかしたら、泣いてるのかもしれないな。昔の泣き虫を思い出しながら、漸く振り向き、護衛を真っ直ぐ見据える。
 護衛は顔を酷く歪めながらこちらを見つめる。金髪にも見える薄い茶髪が、窓から零れる光を反射して眩しく写る。
 
 ああ、この顔を、いつからちゃんと見れなくなったのか。
「……お前は聡明だ。俺が今まで見てきた中で一番。護衛だって、お前一人で兵士数人分の力はある。お前ほど才能に恵まれた人を見たことは無いよ」
 だからこそ、
 
「だから、お前は駄目だ」
 自分は、この男を解放しなければならない。
 
「——今日を持って、お前を解雇とする」
 静寂が響く鏡の間に、自分の声が通る。聞こえなかった、なんて言い訳は使えない。
 護衛がこの世の終わりの様な表情をする。わなわなと唇を震わせ、顔を青ざめさせた。それに思わず笑みが溢れる。お前の世界に終わりはまだ早いって言うのに、なんて顔してるんだ。
 
「そうだ、お前は出来すぎる人間だ。俺には荷が重い」
 反応しないことを口実に淡々と告げる。
「だからさっさと何処か違う国にでも行ってくれ。俺はこの国でやるべき仕事が残っているからな」
 ペラペラと半分嘘で出来た台詞を口にする。心が嫌な音をたてて軋むのを感じた。ポーカーフェイスとやらも上手く出来てる気がしない。こんなんじゃ貴族失格だと心の中で愚痴る。
「……じゃあ、天才騎士殿。君の栄えある栄光を心待ちにしているよ」
 自分の仮面が溢れ落ちるのを感じ、ここから今すぐ立ち去りたかった。
 まだ呆然としてるのか何も言わない護衛に背を向け、今度こそ奥へ籠ろうと足を進める。
 
 ——進めたかったのに。
「……どうした?」
 手が温かな感触を嫌でも覚えさせる。力強く握られた手に安堵を覚えてしまうのはどうしてなのか。
「——嫌だ」
 ギュッと手にかかる力が強まる。
「僕は、絶対に君を離さない!」
 護衛の敬語が外れ、昔の、何も知らなかった頃の自分たちを思い出した。
 打算も裏も何も無い。無償の愛だけがあったあの日々。
 ——ああ、お前は、あの頃からずっと変わらない。
「——俺は、」
 きつく心を縛っていた決意は、いつの間にか揺らぎ始め、声が溢れる。
 そして一言——
 
 
 ドカン。
 
 
 何かが壊れる音がした。
 足元がぐらついた。
 煙と瓦礫と炎が目に映る。
 熱い空気が背中を痛いぐらい押した。
 
 アイツの顔が見えた。
 アイツは泣いていた。
 アイツは叫んでいた。
 
 
 ——俺は手を離した。
 
 赤い赤い火の中だった。










 赤い赤い火が全てを燃やしていた。
 家族で集まって食事した大広間も、この間咲いたと言っていた白百合も、宝物を詰め込んだ自室も、
 全部全部、炎と煙が包み込んでいた。
 
「ねぇ、ねぇ!! 早く逃げてよ!」
 泣きそうな、いや、嗚咽が混じって切羽詰まった声が耳に通る。
 自分しか居ない物置部屋で、その声の方を見る。
 そこには鏡があった。何の変哲もない、普通に見える鏡。
 その中に自分は居なかった。代わりにいるのは色素の薄い髪を持つ、顔見知りだけだった。
 
「ねぇ、お願いだから、逃げてってば!」
 鏡の中で叫ぶ顔見知りは、いつもの飄々とした態度を乱し、ひたすらに逃げろと叫んでいた。そんな姿を見たことが無くて、珍しいものを見たなんて場違いな感想が思い浮かぶ。
 
 ——慎ましく過ごしていたとは言えない。
 この家は良くも悪くも貴族だった。その貴族が没落すれば、恨み辛みも表に出やすい。その結果がこれだっただけだ。
 だけど、そんなのから逃げろと顔見知りは言う。自分がどんな酷い奴だろうと、逃げろと叫んでる。
 鏡の中でしか会えない話し相手。友人と呼ぶにはあまりにも何も知らない。
 ——それでも、確かに、自分たちの間には友情があったと思いたい。
 
「なぁ、俺さ、お前と知り合えて良かったよ」
 壁から鏡を外し、丁寧に湿らせた布を被せていく。こうすれば、例えここに火が移っても燃えにくいだろう。
「いきなり何を、え、待って、何して…」
「お前が鏡の妖精なのか、どっかの魔法使いなのか、それとも別の何かなのか。全く分からないけどさ、それでも、楽しかったよ」
「待っててば!なんで隠すの、なんで笑ってるの!? ねぇ!」
 布を縛り、鏡を完全に見えなくする。くぐもった声が布の中で篭もる。
 ごめん、なんて言葉は口にしなかった。ただ、あの優しい顔見知りに願った。
 ——どうか、ただの話し相手の俺を、忘れてくれ。
 
「じゃあな」
 最後に、そう言ってそこを離れた。
 扉を開ければ、もうすぐそこまで炎は燃え上がっていた。物置部屋にずっと居れば、何れは焼けていたのだろう。
 前にも後にも進めない中、壁際の窓を見つめた。外は真っ暗な夜が世界を包んでいた。
 その冷たさが恋しくて、熱いガラスを体当たりで破った。きらきらとした破片が、あの鏡を思い起こした。
 三階のここから落ちるのは痛そうだな、とか、もしかしたら生きられるかもしれないな、とか、またアイツに会えるかな、とか、そんなことを考えていた。
 幸せな時間が頭をよぎる。
 ——これが走馬灯だと知ったのは本当に最期の最期だった。
 黒い黒い闇が、意識を包み込んでいった。









 暗い暗い闇の中にいた。
 そこで自分はぼんやりと座っていた。
 ふと、前を見れば、さっきまで居なかったはずの男がいた。
 
 ——ああ、これは夢か。
 そう思いついた瞬間、パッと視界が広がった気がした。
「やあ、今日もこんばんは?」
 目の前の茶髪の優男が声をかけてくる。
「うん、今日は昨日の続き?」
 それに何の疑問も無く、まるで旧知の仲の様に話す。
 これは夢だ。
 いつからか忘れたけど、時々、こんな夢を見る。そこでいつもこの男に出会う。

 最初は変な夢だとしか思ってなかった。
なんなら、自分がストレスのせいでおかしくなったかとも考えた。でも、夢の中でしか会えない男に何回も会っているうちにこういう物だと納得した。それに、男が語る話はいつも面白い。だから、実は男と会うのが楽しみだったりする。
 
「残念だけど、あの話はあれで終わり。鏡の少年は貴族の少年に会うこと無く、終わりを迎えましたとさ」
「え、あれで終わり? 救い無いじゃん」
 男からの言葉に思わず口に出す。この間の話からどんな風に救われるのか、と考えた自分にとってそんな結末は納得いかなかった。
「そんなこと言われたって、この物語作ったの僕じゃないし……」
「じゃあ勝手に改変したら?」
「え、無理だよ……」
 そんなぁ、なんて言葉を零せば、男は笑って、ぽつりと呟いた。

「もし……」
「え?」
「もしも、鏡の中の少年が本当に魔法使いだったら、きっと、貴族の少年を救えたんじゃないかな」
 ——まあ、魔法使いじゃなかったんだけどね。
 妙に優しく響いた声音に対して、何処か泣いてしまいそうな、不安定な雰囲気が男から漂っていた。それがなんだか嫌でわざと明るく言った。
「それって、二回目の話の魔法使いみたいな?」
「うん、そう」
 今までの話を思い出す。いやしかし、
「お前さ、話作れないっていいながら話のバリエーション多いよな」
    終末世界と馬鹿な少年たち、
 魔法使いと友人、
 幼なじみの少年少女、
 護衛騎士と王族、
 そして、鏡の少年と没落貴族。
 これだけの物語を語れる男を素直にすごいと思った。
 それらの話は劇的な何かがあるわけじゃない。けど、その話たちは懐かしい様な、切ない様な、他人事に思えない何かがあった。
「いや、だからこれ僕は作ってないってば」
「そうなんだけどさ、なんだろ、お前の話し方かな。ホントに体験したみたいな、薄っぺらじゃなくて中身がある感じ。それを出来る話が多いってこと、多分」
 だんだん自分が何を言いたかったのか分からなくなり、言葉がこんがらがっているのが分かる。
 
 ——ちょっとした間があった。
 何の返答も無くて、ちょっと心配になった。何か変なことを言っていたか?
 そちらを見ると、男が顔を歪めていた。色素の薄い髪に合わせた薄い瞳は、零れてはいないものの、涙によってゆらゆら揺らめいていた。
「え、な」
「なんで、」
 男が言葉を遮って吐く様な声を出す。
「なんで、いつもいつも覚えてないの」
 
 予想外の言葉に思考が止まる。
 覚えてない、ああ、夢でのこと、しっかり覚えてないもんな。うん。
 思いついた考えで自分を納得させるが、どうにも噛み合ってない感覚に気持ち悪さを感じる。冷や汗が流れ、心臓がおかしさを訴える。
「そ、そりゃ覚えてないよ。夢をしっかり覚えてる方が凄いって……」
「違う」
 ビクッと身体が揺れる。自分の夢なのに、この男に全てを支配されている。そう感じてしまった。
 
「——最初は、本当にただ、君と最期まで一緒に入れたことが嬉しかった」
「次も一緒に居れて、驚いたけど嬉しかった」
「性別が変わったって、記憶が無くたって、君とならどこまでも行けた」
「でも、」
「かみさまって酷い」
「君を救わせてくれないんだ」
「本当は手を離したくなかった」
「本当は一緒に逃げ出したかった」
「本当はずっと寂しかった」
「本当に君と、」
 
 ……
 沈黙が耳を劈く。男は俯いたまま微動だにしない。嵐の前の静けさの様な、そんな嫌な感じが世界を色付ける。
 
 ——怖い。
 何時もと違う雰囲気が、聞いたこと無いほど低く、それでいて夢に浮かされた様な甘ったるい声が、何処か焦りを感じるこの夢が、そして、何より、この状況を望んでいたと叫ぶ知らない自分が一番怖い!
 息が詰まる。上手く酸素が肺に入ってこない。夢なのに? いや、夢だからこそだ。
 明晰夢? とんでもない! 
 ここは男の独壇場であったのだ!
 
「でも、もう、本当におしまいだ」
 頼む早く覚めてくれ。
「もう、エンドロールはとうに過ぎちゃった」
 俺を現実に戻してくれ。
「舞台から早く降りなくちゃ」
 早く、
「降りたくない」
 早く、
「拍手の音が止まない」
 パチパチパチパチパチパチ
 
「僕を燃やす音が終わらない」
 パチパチパチパチパチパチ
 
「いやだ、いやだ、」
 パチパチパチパチパチパチ
「まだ君と——」
「俺は!」
 
 
 
「——お前なんか、お前なんか知らない」
 
 
 
「………………そっかぁ」
 
 
 
 いつの間にか拍手の音は消えた。
 男も消えた。
 そこにあったのは闇だった。
 真っ暗な夢の舞台が、残っているだけだった。







「はぁ〜、終わったぁ」
 
「長かった?」
 
「うーん、微妙」
 
「そっか。
 でさ、これ、面白かった?」
 
「え? えー……」
 
 
 
「——つまんなかった!」
 
「……そう?」
 
「だって、なんかよく分かんないし、結局全部中途半端に終わったじゃん。
 俺は好きじゃないや」
 
 
「——そっかぁ、そうだよね、うん」
 
「あ、ごめん、もしかしてお前好きだった?」
 
「ううん、
 ——————僕も嫌い」
 
「やっぱそう思うよなー。
 なんで俺これ見たんだろ?」
 
「でもさ、君と一緒に見れて良かった」
 
「うーん、思い出せない……」
 
「それだけで、満足だよ」
 
「あ、そうそう、あのさ、ほんとーに申し訳ないんだけど……
 お前って、」
 
 
 






「あれ?いないや」

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