生まれつき不運な私
常識では説明できないこと
私は小さい頃から不思議な体験が数多くあり、この世の中には目に見えないけれど、たくさんの「何ものかの力」が働いていることを一点の疑いもなく信じている人間です。
しかし世の中には、そういうたぐいのものを一切信じない方も多いです。
私の知り合いで、中学生のお嬢さんが原因不明の病気を発症した方がいます。起き上がったり歩いたりするだけで激痛が走り、家の中でも車いすの生活を余儀なくされている状況でした。
大きい病院をいくつも回り、いろんな診療科で診察や検査を受けても原因はわかりません。
痛みに苦しむ娘を目の当たりにしながら、有効な手を打つことができない親の気持ちを思うと、私も人の子の親として心底切なくなります。
そのような生活のさなか、その知り合いのお姉さまが祈祷をなさるお坊様を紹介してれることになったそうです。お姉さまは御仏のお力にすがることをすすめてくださったのです。
しかし、知り合いの奥様が猛反対されました。その奥様は、目に見えないものの力や常識では説明できないものを一切信じない方でした。
「そんなことが実際に起きたら、こんな恐ろしいことはない」
これが奥様の言い分だったようです。体の芯から、そういうものを忌避しているのでしょう。
一定期間の話し合いの後、結果として、そのお坊様の祈祷を受けることになったそうです。
そのお坊様は在家で得度され、祈祷料などはいただかない方でした。祈祷料をいただくと力の顕現が失われるそうです。
奥様がいないご自宅で、祈祷が行われました。そしてなんと、その翌日、お嬢さんは車いすから立ち上がれるようになったそうです。
そこから一気に快復に向かったわけではありませんが、紆余曲折を経ながらも、少しずつ良い方向へと向かっているとこと。
ただ、そのような経緯を実際に見聞きしながらも、奥様は御仏の力によるものとは考えてはいないと聞いています。
生まれつき不運という運命
常識では説明できず、それが実際にあるのか、なかなか真偽を確かめることのできないものの一つに運命や宿命、天命などがあります。
この3つには、一般的に以下のような違いがあるとされています。
運命は、人間の意志を越えて不幸や幸福を与える力のことですが、自らの命の運び方で変えることができるとも考えられています。
宿命というのは、生まれた瞬間に定まってしまう、生まれ場所・人種・国・環境・肉体などです。
天命とは、天が与えた使命とか寿命のことで、人の意志や努力では変えられないものとされています。
さてここまで、ずいぶんと前置きが長くなりましたが、ここからがこの記事の本題です。
半年ほど前、地元では有名な「心霊鑑定者」の方に、人生相談をさせていただくご縁をいただきました。
一生懸命働いているわりに経済状態が良くならず、持病の糖尿病や腰痛の経過も思わしくないので、良いほうに向かうにはどうしたらいいのか相談にのっていただきたかったのです。
自分の現状を文章にまとめ持参してみていただきました。
それにさらっと目を通して、まず第一に言われたことは、
生まれつきなの。
人格は良い、仕事は真面目だ、頭もいい。
それなのに結果が出ない。
持って生まれたモノがキツすぎる。
生まれつき、どうしても不運。
そして続いて、
あなたが良かれと思って何かをはじめても、
上手くいくことがない。
そういう人だから、お金がなかなか寄ってきません。
やっとお財布に入ったお金も、すぐに出ていきたがる。
何をやっても上手くいかないと、断言された私の気持ち、わかっていただけるでしょうか?
ただ冷静になって、昭和半ば生まれの私のこれまでの人生を振り返ると、「何事も裏目裏目」に出ていたことは確かでした。ただ、生まれ持った運命だという自覚症状はなかったです。
努力が足りない、要領が悪いくらいにしかとらえてこなかったので。
次に、寿命について訊いてみました。
「私の娘は45歳過ぎてから恵まれた子どもで、これから大学進学や就職があるので、自分としては70歳くらいまでは生きたいのですが」
本心は日本人男性の平均寿命(80歳前後)までは生きたいと思っていたのですが、あえて控えめにしました。
ところが心霊鑑定者は、うーんっと言ったっきり返事をしません。
お父さん(私のこと)は、今日という一日を気持ちよく過ごせばOK。
娘さんのことはあまり心配しなくて大丈夫。
特に大切なのは、無理しない、頑張らないこと。
とにかく現状維持で。
いろいろ考えて良かれと思って、副業したり投資をしたりしても、お金を取られるばっかりだから。
それから心霊鑑定者は、いろいろ言われて少なからず衝撃を受けている私を見つめながら、次のようなことを話しはじめました。
お父さん、あなたの天職はお坊さんなの。
前世もその前も、お坊さんだった。
だから今生でも、仏教をやるべき人だった。
お父さんの声が良いのは、
供養する声だから。
人を治せる声。
それと、これまでの人生で、両の掌を合わせて、
心地よく癒された気分になったことがあるはず。
それは、あなたの手が祈り手だから。
合掌して、人を治すための手。
それなのに、どんどん違うほうへ遠ざかっていくから
何事も上手くいかない。
驚きすぎて、声も出ませんでした。
「しかしもうこの年なので、お坊さんにはなれないでしょう」
そうですね。
でも仏教の勉強をしたり、お経を読んだりはできるでしょう。
そうすれば人生の見方や生き方も変わってくるはず。
不運命という人生の生き方
この鑑定以来、自分の不運な人生をたびたび振り返るようになりました。
不運な運命ということで、自分の人生を「不運命」という造語で定義しています。
しかし、どういうわけか落ち込んでふさぎ込むようなことはなかったです。逆に思いもよらず自分の天職が僧侶だったことを知り、過去のいくつかの出来事に合点がいき、スッキリとした思いを抱くことがありました。
心霊鑑定者に言われた通り、お経を読み、仏教について勉強するようになり継続しています。そのせいか人生に対する見方も少しずつ変わってきたような気がしています。
現代社会では結果を求められがちですが、結果だけが人生ではないでしょう。
日々を生きる過程こそ、人生そのものです。
これまでの人生に、さまざま不幸がありましたが、私はまだ生きています。そして思い起こせば、楽しいことや幸せを感じるようなことも少なからずありました。
たとえ私の身体のどこかに、見えない文字で「不運命」と刻印されているとしても、毎日を自分らしく生きることに支障はないはずです。
冒頭にあるような痛みや苦しみを救う力を私は持っていません。でも仕事を通じて社会や人に貢献できるのではないかと考えています。
また、言葉を紡ぐことで、落ち込んでいる誰かを元気にすることができればと「note」を始めた次第です。
今後は、創作を中心に記事として発表できればと考えています。
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