お茶しない?
言っても良い言葉、悪い言葉を使いわけるのはとても難しい。
その奥の心までは誰も分かりはしないのに。
人は悲しさを怒りや憎しみに表現するのがとても上手である。
ニュースもそういう傾向の方が関心が向くようなので必然的に多くなる。
社会人になり、仕事仲間が辞めるのだって当たり前。
それは自分の好き嫌いは関係無く誰にだってある。
人の生き方なんてその人にしかわからない。
私にとっては悲しくて悔しいと思う出来事でも相手にしてみたら何の事もなかったりする。
それくらいの事だろう。
けれど、人の痛みを自分の痛みと分けられるそんな社会があればもっと平和である。
こんな話を主人としていると「それなら戦争なんて起きないよ」と言われる。
主人が対人トラブルを重ねる度、人は結局は主観で生きているのだと考えさせられる。
それも良いかどうかは別の話。
ただ、その時の私は故人に会う為にお通夜に参列しただけだった。
世の中には故人に会えない人もいる。
それを思えばまだ有難い事だったかもしれない。
亡くなる10日前、面会は難しく電話口で話す。
すごく明るい声でいつもの調子だった。
「ここはお茶する所少なくて困る〜」
彼女の口癖のひとつだった。
そんな口癖もどこか今は懐かしく感じる。
ありがとう。
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