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神名樋野と高天原

神名樋野は高天原と想定できる特別の神名火だったのではと考える

(1)出雲の四神名火

『出雲風土記』に四神名火が宍道湖を囲むように点在することが記されている。 

・意宇郡 神名備野 茶臼山 171m       
・秋鹿郡 神名火山 朝日山 341m
・楯縫郡 神名樋山 大船山 327m 
・出雲郡 神名火山 仏教山 366m

神名火は神が籠る山、神が降臨する山として神聖視されていた。意宇郡の茶臼山だけは野であり、後の三つは山が付いている。

その理由としては標高から来ていると思われるが、『出雲国風土記』では樹木の少ない山あるいは山裾の傾斜地に使われるという見方もあるようだ。

茶臼山は独立峰で頂上からの360度の眺望は見事であり、中世に山城が築かれたのは十分に頷ける。

神名樋野を南側上空から  手前中腹に眞名井神社

茶臼山はおよそ1000万年前に活動した火山で、この溶岩は松江層玄武岩であり、松江市内では嫁が島、床几山、上乃木丘陵、東光台、楽山と同様のものである。
茶臼山はその中でも最も標高の高いもので、秋鹿方面から眺めると大山と重なる美しい山容をしている。

美野町からの大山(奥・火神岳)と茶臼山(前・神名樋野)の遠景  手前は宍道湖


(2)古代意宇の入海

1万年間続いた縄文時代には、気候の変動によって海面変化が生じて縄文海進と呼ばれる海進現象が起きて居る。今の意宇平野は縄文海進で10m近い海進があったとされるので、下の地図が示す薄い水色の地面は海抜が10メートル以下で入海であったと考えられる。

風土記の丘周辺図

八雲立つ風土記の丘周辺図で示す神名樋野(茶臼山)の南側の中腹に位置する眞名井神社は、長い石段があり御社殿は海抜26mに位置して海に浸かっていなかったと考えられる。

眞名井神社の石段


更には神魂神社(海抜39m)も高天神社祠(明治に神魂神社に合祀)があった団原地区(海抜20m)も縄文海進では陸地であったと考えられる。この三箇所は、縄文海進時にも何だかの神事や活動が行われていた可能性をもつ重要な場所ではないかと注目した。

高間神社跡

『雲陽誌』には「高間神社 大鳥居と号す」とありその位置の字を高天といい周囲の字を天場というと書かれていて、天場には古代意宇の入海の船着き場の意味と神々の最初の降臨場所の意味があると言われている。そこから高天原伝説として、陰暦の十月に全国から神々が集まって来て揃って神魂の大神にお会いになると言われている。出雲国造が杵築大社から神魂社へ向かう途中に「高天の道」(乃白―乃木―古志原―山代―団原―百田馬場―神魂社)と言われる道もある。

「おおばの歴史」より


国引き神話にしても島根半島が大海の島だったが、火山だった大山や三瓶山の活動、浸食や隆起や堆積によって入り海が宍道湖や中海となっていく変動を、八束水臣津野命の大山と三瓶山を杭にして縄を用いて土地を引き寄せる壮大な神話として代々語られている。


(3)神名樋野と高天原の関係性

神話にある天之菩卑野命は出雲国造の祖神で、天津日子根命は眞名井神社の祭神であり共に「天之眞名井の御誓約」で誕生された神である。この誓約で建速須佐之男命が天照大御神の髪に巻かれていた珠を天之眞名井の水に注いで口に入れ噛み砕いて吹き出した息の霧から現れた五神で兄弟神である。

この神話が展開されたのは高天原だが、神名樋野には天之眞名井に想定出来る眞名井の滝があり、眞名井の滝の傍にあった社は末那為社と出雲風土記にはある。
この滝の水は出雲国造家の世継の「火継式」神水として用いられる。この「火継式」には更に眞名井から採取した石を用いて「歯固め」という長寿を祈る神事を行う。これは持ち物を口に含み噛み砕く「天之眞名井の御誓約」での行為を連想させる。

出雲国造は10世紀にその本拠地を意宇の地から杵築に移したが、神魂神社で斎行される「火継式」「古伝新嘗祭」での「眞名井の滝の神水」「歯固め」が出雲国造にとって特別な神事であると考えると、その再現性の高さから神名樋野は高天原と想定していた特別の神名火だったのではと考える。

縄文時代に海進の影響を受けなかった神名樋野での営みは、神話と直結したこの地の歴史の悠久さを物語っている。

眞名井の滝

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