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ピザトースト

朝、仕事に行くまでに時間があるときは、
朝食にピザトーストを焼く。それと牛乳を飲む。

そのピザトーストが個人的に静かに問題となっている。
最初は、5枚切りの食パンに、マーガリンを塗って、ケチャップを塗って、
その上にピザ用チーズをかけて、焼いて食べていた。それで満足だった。

しばらくして、その上に玉ねぎのスライスと、
黒オリーブを刻んでのせて食べたら
美味しかった。その時は、そんな大事になるとは思わなかった。

そんな時、賞味期限が近いケイパーがあって、それを使うために
トーストの上にのせることにした。美味しかった。
そうしてケイパーもトーストを巡る冒険の仲間になった。

ある日、自分が作っているものを「ピザトースト」と規定した時、
ベーコンがのっていないのは不自然だと思うようになった。
そして、黒オリーブがのっているんだったら、グリーンオリーブも
のっているべきではないかと考えるようになった。
こうして仲間が増えていった。

インドカレーを作るために買って、余ったレーズンを
「ピザトーストに甘じょっぱさを加えたい」
と思いのせ始めた時、
自分が自分の欲望から遠く離れた地点に立っていることにふと気づいた。


時に、余力があれば目玉焼きをのせる。
パセリやパプリカは冷蔵庫にあるときには必ず登場する準レギュラーだ。
ピーマンは青椒肉絲を作るのに使い切ってしまったと後悔した。
次は、アンチョビを乗せてみるのはどうだろうと思い始めている。

止まらない。もはや「朝お腹がすいた」という単純な欲望を満たすことではなく、パンの大地を食材で埋め尽くすことが目的となっている。本来の欲望から離れているのだけれど、物事は進行していくという現象が、ピザトーストの上で問題として可視化されている。

ピザトーストは、「ピザ」という理想形に無限に追いつくことはないという
宿命を負った食べ物だ。したがって逆説的に、ピザに追いつこうと、様々な食材をブラックホールのように飲み込んでいく。

「父の禁止によって、母との同一化を諦めさせられた我々は、
 母という理想を手放し、対象愛を他者に向け変えていく。
 しかし、人生の初期において母という理想は断念しているために、
 我々は、完全な満足を得ることはない」

これは、フロイトのエディプス・コンプレックスの説明であるが、
ピザトーストとは、エディプス・コンプレックスにおける、
主体そのものだ。ピザトーストとは我々なのだ。


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