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イエスの伝えたい「正直さ」とは? 闇をありのまま受け入れる

奇跡講座などの真理の言葉を学び
「真理を生きたい」と霊性の道に入ることを決めた人達は怒りや裁きなどの攻撃心を抱いたら
「またやっている」などと自分を咎める思いが出てきて自分の行動や考えを嗜めることをしてしまいます

コースの学習者であれば
「別の選択肢」があることを知っているからそれを選びたいという思いが湧き上がり
自我でなく聖霊を選ぶためにこの怒りや攻撃心を手放そうとしてしまうのではないでしょうか?

恐ろしい考えを持っている罪悪感に飲み込まれる怖さがそうさせてしまうのだと思います

自我ではなく聖霊を選びたいという態度はもちろん素晴らしいことです
戦いを放棄したいという考えや行動は人格が成長している人でなければできないことです
霊的成長の道はまずは人格成長がなければ入ることができません

しかし
イエスは自分の考えていることに正直にならないことを
自己欺瞞だと教えてくれています

正直さという言葉は実際には一貫性を意味する。自ら語ることが何一つ自分の考えや行動と矛盾せず、どの考えもどの考えと対立せず、すべての行為が自分の言葉を裏切ることなく、どの言葉も他の言葉と符合している。このような者たちが、真に正直な者たちかである。(教師のためのマニュアル4.A.Ⅱ.1:4〜7)

欺こうという願望のみが争いを促す。自分自身とひとつである者は葛藤など思い描くことさえできない。葛藤は自己欺瞞の必然的な結果であり、自己欺瞞とは不正直さである。(教師のためのマニュアル4.A.Ⅱ.2:2〜4)

奇跡講座下巻/中央アート出版社

私達が自ら攻撃をやめたとしても知覚の変化という奇跡は起きません
これは思考レベルの攻撃のことです
形態レベルの攻撃は私もしないに限るとは思っています

奇跡は聖霊によって成されるので
そこに信頼が必ず必要になります

そして私達のすることは
怒りを感じたならそれをありのままに受け入れる
誰かを咎めたいと感じたらそれをありのままに受け入れる
攻撃心や復讐心を持ったならそれをありのままに受け入れる

全く形を変えようとはしません
それは自我の攻撃心を早急に手放そうとしないということです
今の自分の考えをありのままに受け入れる
これがイエスの求める正直さです

そんな恐ろしい考えを握りしめている自分を「許す」ということです

この考え方はこれまで生きてきた中で親や先生や社会から教え込まれてきた考え方ではありえないので怖さが伴うはずです
そんな自分でいいわけないと反発心が出てくるでしょう

これをする意味は
自分で赦そうとしないということです

自分の中から湧き出た恐ろしい感情に蓋をして正しさを押し付けようとする行為は自分の中で必ず葛藤を引き起こします
それが自分自身との戦いとなり
その争いはいつでも外側に投影されることになります

私達のできることは闇を直視し正直になり
あるがままを聖霊に差し出し奇跡に使ってもらうことだけなのです

自我は心の平安は自分で作れると思っています
しかしこの世界を作った自我にそんなことはできるわけがありません
できたとしても一時の安心程度ぐらいでしょう

心という霊的な存在である私達の平安は
聖霊に繋がり自身の闇を正直に打ち明けた後は
聖霊に全面的にお任せする信頼という態度によってでしか達成することはできないのです

赦しを行う者は自分自身への信頼が不可欠です
それは神(宇宙の流れ)を信頼すること
聖霊を信頼することと同じ意味を持ちます

自分への信頼感が希薄だなぁともし感じるなら
それをまずありのまま認めて自分を信頼できないことを受け入れて許してあげてください

自分の中の闇をそのまま受け入れるということです
大きな葛藤が起きるでしょう
赦しが遠ざかるように感じるかもしれません

今まで自分に対してどのように接してきたでしょうか?
自分の気持ちを正直に認め受け入れず正しさを求めていたのならそれは自分を咎めていたということです

咎めることしかしてこなかったのなら
ありのままを認めて受け入れること
は自分自身への優しさとなります

私自身もまだまだ自分に対する厳しさが手放せません
でもそれに気づいたならそんな自分をありのままに受け入れ今はそれで大丈夫と許してあげたいです

これは、今までしてきた自分自身に対する真逆の態度だと言えます

闇を形を変えず受け入れることが真の優しさということです

奇跡講座の教えを生きるということは
聖霊の考え方に自らシフトチェンジするということではありません

今まで信じてきた、培ってきた考えの真逆からのアプローチが必要となります
これに恐れを伴わずできる人はまずいないのではないでしょうか

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