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voices -LIVE FUN!!- ノクチル特集

FUN INTERVIEW

それでは、まず最初に自己紹介をお願いします。

uskuskです。元々他のアイマスをずっとやっていた流れでシャニマスがリリースされた当初から始めました。きっかけとしては、月岡恋鐘役の礒部花凛さんが声優としてデビューしたアニメ作品で歌っていた ED曲とc/w曲が好きだったのもあり、この方がアイドルとして歌うなら始めようと思ったことが大きかったです。なので始まりはアンティーカと月岡恋鐘Pでした。その後ノクチルと樋口円香に出会い、今まであまりなかった曲調に惹かれ、さらに引き込まれて今に至ります。

ツァッキツァッキと申します。シャニマス歴としては 2nd ライブからなので、だいたい 4 年ぐらいです。後でも言及するのですが、今はストレイライト P と黛冬優子 P をやらせてもらっていますが、浅倉透に惹かれて始めたところがありまして、彼女に対する並々ならぬ情念を持ちつつノクチル全体も好きです。よろしくお願いします。

☆走り出したノクチルの 4 人について

最初に、ノクチルに対して抱いていた最初の印象はどのようなものでしたでしょうか。

ツァッキ:シャニマスに入る前まではアイマス全ブランドを通して全くやったことがなかったのですが、ちょうどコロナで暇だった時にまず浅倉透を見てシャニマスを始めたというのが先ほどのシャニマスを始めたきっかけの補足になります。その上でベタな感想になるのですが、ノクチルというユニットが青をイメージカラーとしたユニットで、透明感があるというのが第一の感想でした。それと同時に、浅倉透の見た目に加えて、チュートリアルで観られる W.I.N.G の冒頭のコミュを見た際に訳のわからない体言止めと倒置法が多くて、「なんだこいつは」と思いつつ一定の意味での「超越」を感じたんですね。それ以降浅倉統一の超越性に囚われ続けているのは出会いから現在まで変わらず続いている印象だと思っています。
usk:私の方は透明感を感じる一方で、メンバー 4 人がそれぞれタイプがだいぶ違うなという印象を感じていて、心情や外見、好みのファッションの違いが一番最初に心に留まりました。どうしてこのように違うのかなと考えたとき、成長してからできた友人って趣味や嗜好が同じだから近づくことが多いと思うんです。だけど幼馴染と呼べるぐらい幼いころから交友関係がある人ってそういう関係とは違う特有の言語化できない居心地の良さがあると思っていて、それがノクチルらしさなんだろうなと感じました。アイマスの中では幼馴染のアイドルというとSide Mに登場するユニットHigh×Jokerの冬美旬と榊夏来、最近では学園アイドルマスターの紫雲清夏と葛城リーリヤなどがいますが、やはりそう多くはいないので、今までにあまりなかったアイドル像だなと思います。

それでは、アイマスの中でもかなり特異な第一印象を与えてくれたノクチルですが、そんなノクチルの曲を聴くときに一番最初に聴くときにはどの曲をオススメしますか?

usk:私がおすすめするのは『いつだって僕らは』、ユニットの最初の曲になります。ユニットの一曲目ってそのユニットがどのようなユニットなのかを示してくれるようなものが多くて、『いつだって僕らは』もその傾向が強いかなと思っています。何よりアイドルというこれまでと違う存在になってもいつまでも変わらないということをストレートに歌っているのは初期のノクチルらしさがよく表れているかなと。
ツァッキ:僕も『いつだって僕らは』をオススメしたくて、僕自身が浅倉透から入ったのもあってノクチルで始めたんですね。それで『いつだって僕らは』を最初に聴いたときに後頭部を殴られたような衝撃がありました。その後もライブ等で継続的にこの曲を聴く機会も多かったですが、思い出すのは樋口円香の【ピトス・エルピス】で、精妙さ・精緻さと初期衝動がないまぜになった美しさを追い求めていたと思うんですけど、『いつだって僕らは』はそれがそのままの形で出てると思っています。そういう見方でも usk さんがおっしゃった通り、そのユニットのすべてがこの曲に含まれていると思うし、樋口円香とノクチルが求める「美しさ」が詰まっています。また、アレンジの観点から見てみると、その後のノクチルの楽曲にも通底するザラついたギターやシンセサイザーのみずみずしさ、ドタバタはしていないけれど手数の多いドラム、ベースも実は大きく動きながら基盤を支えているなど、何度聴いても発見がある曲だと思います。

usk:歌詞の「小さくてでこぼこ」などユニットの 4 人の姿をそのまま描いたような歌詞も多く、「名前のない空」にという歌詞も、アイドルじゃない普通の女子高生だった 4 人が何か変わるかもしれないと思い始めているワクワクが感じられたり、ノクチルの 4 人に重ねて読むとこういう意味なのかなというフレーズがすごく多いですよね。それを考えるための背景に、すごくストレートなバンドサウンドが構えられているところも、「そのままのノクチルをお出ししました!」という印象を強く感じます。
ツァッキ:他に好きなところは 1 番のサビの最後の透のフレーズがまた別の意味で印象に残っていまして、3rd ライブは配信のアーカイブを見たのですが、そのフレーズを歌う和久井さん(浅倉透役和久井優さん)のここではないどこか遠くをまなざしている表情が曲と合わせて今でも鮮明に思い出せますね。
usk:同じフレーズでも落ちサビでは透が歌いだしてから他の 3 人が追いかけていく感じが、一番最初はノクチルの中で透が歩き始めてそれに 3 人があわててついていくというのをこの時点からずっと描き続けていたんだなというのは今回改めて曲を聴き直した際にすごいなと感じました。

最初期の一歩を踏み出し始めたノクチルとの関連でいえばイベントコミュ『天塵』は切っても切り離せないように思いますが、コミュとの関連でノクチル楽曲はどのように互いに作用しているでしょうか。

ツァッキ:『天塵』で重要だと思うシーンの中に樋口円香が浅倉透に対して「行先をわかってて走り出している」と思うシーンがありまして、usk さんもおっしゃった落ちサビのフレーズはそのシーンとつい重ねてしまいます。常に漕ぎ出せる船かわからない船を漕ぎだすのは浅倉透で、『天塵』はまさに「海に行こうよ」という透に戸惑いながら 3 人がついていって、最終的に花火が打ちあがる海にたどり着いてしまうというエピソードは『いつだって僕らは』そのものだと考えています。
usk:私は『天塵』で一番印象に残っているシーンは先ほどツァッキさんも少し言及された花火が打ちあがるシーンでして、ここで『あの花のように』にも触れさせてください。他のユニットの CD でも A 面 B 面で完結する一つのストーリーのようなものがありますが、特にノクチルは他のユニットと違い共通の過去や思い出が多いので、ユニットとして今と未来だけでなく過去も歌えるのが特徴だと思います。それを意識して聴くと今や未来だけではなく、過去やいつか思い出になってしまう時間のことについて歌う曲が多いように感じます。例えばいつだって僕らは現在から未来に向かう歌ですが、あの花のように』は遠い未来から過去を振り返る歌に感じていましてA 面と B 面で描かれている時間の進行方向が逆なんです。この描かれる時間に関する対称性はソロ曲での『statice』(キミといる未来を想像している)と『夢見鳥』(キミと過去を振り返っている)にも表れていると思っていて、ノクチル全体としてすごく意識しているのかなと考えています。
ツァッキ:これは印象論の域から出ない感想になってしまうのですが、6th 横浜の終盤で披露された『あの花のように』では少しあの曲に対する聴き方が変わりまして、usk さんのおっしゃる時間の捉え方はノクチルに共通していると僕も思うんですけど、あのライブではいつか終わりゆくものに対する哀惜に近いものがあったと思うんです。ライブ自体が終わるということもそうですし、縁起でもないですけどシャニマスやノクチルが終わるかもしれないということへの䬻のような響きを持っていたなと感じて心に残っています。そういう意味で『あの花のように』はシチュエーションごとに聴き方を変えていく曲のように感じていますね。
usk:6th 横浜では『Spread the Wings!!』から始まり終盤で『あの花のように』が歌われることで、『あの花のように』がノクチルにとってのラストの曲なのかなという印象も受けましたね。色づいて変わっていく 4 人が描かれていますが始まりと終わりの場所は同じで、走り出した瞬間に 4 人でいられなくなることは既に決まっていた、みたいな。また、曲を聴く順番やライブなどのシチュエーションに加え、聴く人の年代によっても映り方が変わるかなと思っています。ノクチルと同じような年代からすると楽しい時間がいつか思い出に変わるのかな、というまだ知らない未来に向かうメッセージを感じさせるような歌ですが、ある程度歳を取って 20 代後半や 30 代以降になるとこんなこともあったなと未来から見た過去に対する歌という印象を見出せると思っていまして、そういう意味でも聴き手による時間の向きの対称性みたいなものも仕込まれているのかもしれません。このことは 6th 横浜 での披露で改めて意識しました。

☆「ノクチルらしさ」を追い求めて

それでは次に、先ほども少し触れられていましたが、印象に残っているライブパフォーマンスがあれば教えてください。

ツァッキ:シーンとして鮮明に残っているのは SETSUNA BEAT DAY1 で自撮り棒でわちゃわちゃしながら出てきたところで、「いやこれノクチルじゃん!目の前にノクチルおるやん!」と現地で圧倒されてましたね。
usk:あれはすごかったですよね(笑)。
ツァッキ:本当にゲームからそのまま出てきたような感じのフレッシュさがありましたね。モニターでわちゃわちゃ集まっている 4 人を見ればいいのか――。
usk:肉眼で写真を撮っている様子を外から見ればいいのか、あれは悩みますよね。
ツァッキ:あれは本当にそんな思考も忙しかったのですが、あれこそがノクチルしかない連帯感だと思うし、ノクチルの連帯感の形はああいうものでしかありえないと思わされる象徴的なシーンでした。その他ですと、5th DAY1 の『今しかない瞬間を』ですね。ライブの色自体がなかなかなもので、その中での一片の光のような。
usk:あれは救いみたいなものでしたよね。
ツァッキ:ですよね。清涼剤としてすごくよかったと思います。エアピアノを弾く田嶌さん(福丸小糸役田嶌紗蘭さん)が非常にかわいくてよかったです。アルストロメリアの対談でお話した内容と比べると、ノクチルはコンセプチュアルな創作をするというより、自分たちはこういう色なんだよ、こういうユニットなんだよということを出すための演出のように感じています。5th DAY1 の学校バンドや SETSUNA の自撮り棒も、道具や世界観がどうこうという話ではなくて、ノクチルってこういうユニットなんだというのを純粋に出してくれるのがノクチルらしさかな、と。
usk:5th DAY1 でいうと、他のユニットはデビューしてから解散まで行きつくシーンが描かれていましたけれど、ノクチルに関してはそもそもアイドルにならなかった姿を描いていたのが印象的でした。そう考えるとあの光景はノクチルがデビューする前の姿でもあったのかなと思います。アイドルになるきっかけがなかったからこそ、 4 人はいつも通りの楽しい放課後を過ごせていたんだなと感じましたね。

ステージでの魅せ方についてもノクチルらしさのようなものが感じられますが、これまでのお話も振り返りつつ、ノクチル楽曲の魅力とはずばりどのようなものでしょうか?

usk:先ほども時間の捉え方の対称性について言及しましたが、ノクチルの楽曲の魅力と言いますか特殊性として対称性があると思っています。時間以外にも、歌詞でいうと「僕ら」という複数形と「君」という単数形や、純粋に自己と他者など対称的な存在の違いを歌っているのもノクチル楽曲の特徴です。A 面では「僕ら」という 4 人が主体にある歌詞が多いのに対して、カップリングではたった一人に語りかける「君」が多めなこともあり、意図的に使い分けてるんじゃないでしょうか。4 人で割り切れるからこそフォーメーションでも 2 対 2 になるような対称性も作ることもできますし、曲を作っていく段階でノクチル全体に通じるテーマとして採用され続けているように思います。
ツァッキ:それは気づかなかったですね、全然意識していなかったです。僕は編曲やサウンドに注目していまして、ノクチル楽曲の旨味は BUMP OF CHICKEN や ASIAN KUNG-FU GENERATION、RADWIMPS あたりまでの邦ロックに連なる紋切り型という意味での一種のクリシェをフレーズを引き継いだうえでアイドルポップの枠組みの中で再解釈して、耳なじみあるフレーズをノクチルというユニットの表現としてフレッシュに受け取れるところが魅力かなと思います。バンドサウンドが指向されていて、先程例に挙げたバンドを通ってきた世代だったら必ず反応してしまうようなギターのサウンドはノクチルのトレードマークとして外せないポイントです。整っているんだけど、初期衝動に満ちていて、なおかつ清潔でポップというバランス感がノクチル楽曲の面白さですね。ゼロ年代から 10 年代の人たちが中学生の頃に体験してきた邦ロックってこういうロックなんだけどポップ、ポップだけどロックみたいな中間性があったかと思うんですけど、ノクチル楽曲はちゃんとポップスで、その上で残り香のようなアクセントとしてその時代のロックっぽいザラつきがあるので、邦ロックを通ってきた人からでも楽しめる楽曲が揃っていると思います。
usk:シャニマスって確かに他の音楽的なルーツを持ってこのユニット好きだなと感じている人多いですよね。
ツァッキ:少し話が戻ってしまいますが、『天塵』の OP のコミュ名も The Smiths の『How Soon Is Now?』を引用しているなど、コミュの中の仕掛けみたいなところも結構音楽的なところから取ってきているので意識しているんでしょうね。
usk:ライターさんが固定で、音楽や映画も好きな方が書かれている可能性もありますね。あとジャンルや楽器のとらえ方は知識の差が出がちですけど、歌詞は聴いた人たちが共通したイメージを持ちやすいと思います。作詞の方を固定しているから言語イメージがブレずに描かれ、みんな同じイメージが持てて、それを複数の作曲家の方のメロディに乗せることで音の印象を変えて、同じ言葉でしゃべっているのに全然違う曲という印象を与えられる。これはノクチルのみならずシャニマスのすごいところだなと思います。

☆いつだって僕らは

サウンドと歌詞の魅力が詰まっているノクチル楽曲ですが、ノクチル楽曲やパフォーマンスにおいて初期と今でどのような違いを感じますか?

ツァッキ:先ほど usk さんがおっしゃっていたことに少し重なるのですが、ノクチルは言葉としての声をすごく重視するユニットだと最初から思っていまして、和久井さん(浅倉透役和久井優さん)や土屋さん(樋口円香役土屋李央さん)は最初からその表現に近いところはあったのですが、やはり田嶌さん(福丸小糸役田嶌紗蘭さん)や岡咲さん(市川雛菜役岡咲美保さん)の目覚しい成長を実感しています。後者のお二人は言葉を選ばないのであれば最初期は不安定なところは少なからずあって、ライブを重ねていくごとに着実に歌唱力自体が向上していっているのはそうなんですが、そこにある言葉を音として解釈したときにどのように発したらいいのかというところに意識が向いてきているように感じています。その歌詞がどういう意味を持っているかを正確にとらえて、発した声と受け取る感情の一致みたいなものに対して 4 人全員がそれを高いレベルで追究できているように思います。
usk:そこでいうと和久井さんって舞台経験も多くて、朗読劇も何度か拝見したんですけど和久井さんは舞台での発声もとにかく綺麗なんですよね。それがそのまま歌にも表れていると言いますか、どんな時もブレない声で、音と一緒に言葉を真っ直ぐに届けられている印象のある声です。また和久井さんは透き通っているのに対して、土屋さんの声ものびやかなんですけど音がすっと消えるのではなく少し残るような、声にそういう意味でのザラつきのようなものがあるように感じています。ノクチルなので海に例えると、和久井さんの声は寄せては引いていく波のようで、対して土屋さんはその波が引いた後に残る濡れた砂浜みたいなイメージですかね。
ツァッキ:なるほど、良い例えですね。
usk:スタートは和久井さんの声が真っ直ぐに来て、その後に土屋さんの声が残る印象がノクチル楽曲にはいつもあるなと。歌唱や表現の面でいうと岡咲さんもアーティスト活動をされていて、田嶌さんもいろいろな役で朗読劇に定期的に出演しているのもあって、歌うだけでなく言葉を語るように曲に乗せる経験というのはそれぞれでかなり積まれているように思います。
ツァッキ:やっぱり言葉には意味があって、それを発して際に即座に正しく受け取らせて、さらにそれから想起されるイメージが重要だと思うんですよ。その観点からするとノクチルの楽曲って usk さんがおっしゃった通り対称性や二項対立のようなものが常にテーマになっているとすると、そのテーマを曲を聴きながら感知させられるっていう意味で、今のノクチルにはそのイメージを感知させられる言葉の力があると思うんですね。他ユニットでは音としての印象が強い歌唱をされる方が多いんですが、ノクチルではこの意味で言葉により重心を置いた歌い方をする人が和久井さんを筆頭に多いというのがシャニマスが抱えている多様性の一つかなと思います。
usk:言葉でいうと、アンティーカやアルストなどの初期ユニットでは辞書で調べなければいけない言葉が多かったじゃないですか。ノクチルはそういうのがなくて、そういう所でもユニットの特色が出ているように思います。言葉としての声を大切にしているというツァッキさんのお話で、音で魅せるユニットと言葉で魅せるユニットという違いは改めて意識してみると確かにあるなと感じます。他には、先ほどのキャストの成長について追加になるんですが、土屋さんって最初の頃は楽しくなってくると曲中つい口元が笑ってしまうシーンが多かったかなと思っていて、一方で最近のライブでは最初から最後まで円香の表情で歌われている印象が強いです。田嶌さんも会場を煽るようなことをやったりだとか、それこそ 6th 横浜でのちょこいとで歌った時とか余裕を感じましたね。小糸自身の成長に合わせた表現なのかなと思います。岡咲さんが我儘 DAY2 の『あおぞらサイダー』でのハプニングの際、雛菜のような表情をみせて演出に落とし込んでしまう姿からも余裕を感じられましたね。

そのような変化も感じられるノクチルですが、改めて今時点でノクチルはどのようなユニットでしょうか?

usk:一番最初は外見やファッションがバラバラながらどこか似た色、色のない無色透明で揃っていた印象でした。だけど今は 4 人それぞれの色が衣装でも出ているように、最初のキャッチコピーの「さよなら、透明だった僕たち」とある通り、それぞれの色に染めあがって4 色で構成されているように思います。CDのジャケットでもぱっと見では色が一緒でも、裾や襟裏のワンポイントで色が付き始めていったのがなんというかいやらしいなと。一気に変わるのではなく徐々に色づいていったという部分が表現されているのも上手いなと思います。時間軸を大切にしているユニットなので、本人たちも周りも気づかないような小さなところからちょっとずつ変わっていくという変化のスピードもノクチルらしい変化の仕方ですね。
ツァッキ:usk さんに色がついていく様子を語っていただいた上でこのようなことを言うのが若干はばかられるところがあるのですが、ノクチルの中でもちろん成熟というのは重要な概念であるとは思いつつ、青いままで透明なノクチルが僕は好きなんですよ。『天塵』の頃のままで留まっていてほしいという気持ちが強すぎまして、正直に申し上げますと、『天檻』までは読めたんですが個人的には『さざなみはいつも凡庸な音がする』までが自分の中でのノクチルなんですね。それ以降は「俺を置いていかないでくれ」ってい思っちゃって辛くて読めてないんです。なので、やっぱり誰しもが大人になってしまうし、大人になっても失われないものはもちろんあると思うんですけど、それでも変わってしまう部分が絶対にあるので、僕としてはティーンエイジャーであるノクチルが永遠に好きだし、ノクチルは永遠であってほしい、という気持ちですね。
usk:それでいうと絶妙だなと思うが、少し近いコンテンツで実際の時間と連動して学年も変わるところがあるじゃないですか。それに対してシャニマスの閉じた時間の中でループし続けるという環境とノクチルってすごく相性がいいですよね。変わろうとしているけど本当に変わるところが見えない。変わらないでほしいと思っている人が多数いる中で時間は止まったまま、変化だけは感じさせるというアイマスらしいというかコンテンツにぴったりなユニットだと思います。
ツァッキ:シャニマスから入って他ブランドを見るようになって改めて振り返ると、ノクチルってアイマスに対するアンチテーゼと言われがちですが本当にそうなのかとは思いますよね。アイドルは無条件に素晴らしいものだという考えに対して SHHis は明確にアンチテーゼだとは思うんですが、ノクチルはある意味で HIP HOP で、4 人という地元を大切にするという側面は外に出ていこうとするアイマスに対するアンチテーゼのように見えるんですけど、でもその中では確実に変化は起こっているので完全にはアンチテーゼだとは言えないんですよ。
usk:ノクチルがアイドルになったきっかけを思い出すと、透を起点に他の 3 人が追いかけるようにアイドルになったんですよね。いつものように透が駆け出したから追いかけていったらアイドルになっていたという。自分たちは変わりたかった訳じゃないけれど、透が駆け出した影響で変わっていくというのが幼い頃からのノクチルなんだろうなと。ただ、これまでと違ったのは、3 人が透に追いついたらおしまいだったのが、今回は他の 3 人も別々の道を走らなければいけなくなったというのが今のノクチルとして描かれているところだと思います。別に変わりたかった訳じゃないのに、変わらざるを得なくなったところは確実にあると感じています。いつもの繰り返しのはずが、いつもの道とは違っていた、みたいな。

それでは最後に、これからのノクチルに期待することをお聞かせください。

usk:ユニットとしてはいつか来る現在の関係が終わった先で、 4 人の関係がどうなるのかというのと、欲を言えば変わった後の関係性をテーマにした曲を聴いてみたいです。個人では 4 人の色がはっきりしてきたからこそ改めて今時点でのソロ曲を聴いてみたいです。アイドルらしい 1 曲目に対して、こういう側面もあるんだよというのを出してくれる曲だと嬉しいですね。最初の曲はそれぞれのマイコレでも描かれていた通り、どのようにシャニマス世界で売っていくかにフォーカスされていたところはあったので、2 曲目はもっと個人そのものにフォーカスされた曲だといいなと思いますね。
ツァッキ:僕は先ほども申し上げた通り、変わってほしくないし成熟してほしくないという思いが一貫しているので今後こうなってほしいというのはなくて、今後もずっと僕は『天塵』の話をし続けますし、とりわけ浅倉透が好きなので【国道沿いに憶光年】について語り続けると思うんですね。

ツァッキ:そんな感じで釘付けになってしまっているので、強い言葉を言ってしまうとパラコレなんて論外なんですよ。ずっとハイティーンのままのノクチルを見たいと僕は願い続けているので、やっぱりそうなったらすでにあるものを愛でるしかないという状況です。楽曲面でいうと、『青とオレンジ』は疾走感と変化に富んだ構成なのもあって挑戦的だなと思っていまして、プログレッシブな方向に舵を切っていたのでまた違った方向でも新たに挑戦をしてほしいと思っています。個人的な要望としてはめちゃくちゃ純粋なパンクをやってほしくて、スリーコードでガチャガチャやるだけのめちゃくちゃ暴れるだけの曲をやってほしいんですが実現はしないでしょうね(笑)。アンプ直差しのゴリゴリの音をやってほしいですし、これはノクチルにしかできない領域だと思っています。

ミュージックレビュー

GR@DATE WING

いつだって僕らは
作詞・作曲・編曲:秋浦智裕(onetrap)

ノクチルとはどんなユニットか?その答えを知りたければこの曲を聴くべきだろう。年齢や身長の違う4人を表す「小さくてでこぼこ」。まだ何者でもない事を示す「僕の靴はまだ白いままで」の歌詞。アイドルとして走り始めた4人は互いに手と手を重ね、空に向かって伸ばしながら「名前のない空」にどんな未来を描くのだろう。

text by usk

あの花のように
作詞:きみコ 作曲・編曲:Lantan

「遠く鮮やかに夜空を彩るあの花」が、遠い昔の記憶を思わせる。「瞬間」の連続が「永遠」だとして、いつか瞬間が「過去」になる時が来る。未来へ向かうことは、今という「瞬間」を過去にしていくことだから。変わらない「今」を歌うC/W曲とは違う。変わり続ける今の先で、変わらずに笑いあう4人の未来が思い浮かぶ曲。

text by usk

L@YERED WING

僕らだけの未来の空
作詞:秋浦智裕(onetrap) 作曲・編曲:石井健太郎

ノクチル楽曲の特徴は、もちろんギターリフや、和久井優、土屋李央の確かな歌唱力に裏打ちされた伸びやかなヴォーカルラインにも存する一方で、技巧的なドラムのパッセージの卓越にも触れておくべきだろう。この楽曲では手数の多さとバランスの良さを両立させつつ、ベースラインとの絡みに一筋縄ではいかない旨味がある。

text by ツァッキ

今しかない瞬間を
作詞:秋浦智裕(onetrap) 作曲:本多友紀(Arte Refact) 編曲:脇 眞富(Arte Refact)

アイドルポップスにおけるギターのメロディは、クリシェ(紋切り型)に堕してしまう危険性と隣り合わせである。本楽曲はクリシェに則っているようでありながら、何度聴いても変わらないメロディのフレッシュを聴き手に提供する。それは恐らく、ギターという楽器に乗せて届けられるノクチルのフレッシュなのである。

text by ツァッキ

PANOR@MA WING

Catch the Breeze
作詞:秋浦智裕 作曲・編曲:NA.ZU.NA

アイドルとして歩き始めたノクチルが、これからどこへ進むか決めるために足を止め考えているのだろう。どこへ向かうのか?何になりたいのか?を見つけることが前進よりも大切な時がある。ああでもない、こうでもないと「同じところを行ったり来たり」4人で話し合っている様子が浮かぶのんびりした空気感もノクチルらしい。

text by usk

アスファルトを鳴らして
作詞:秋浦智裕 作曲・編曲:鈴谷皆人

変わらないために、変わらなければならない時がある。それはきっと透がアイドルになった時が始まりだった。彼女が見えなくなってしまわないように。隣で笑っていられるように。駆け出した透を追いかけて同じ道へ踏み出す円香、小糸、雛菜。子供の頃から何度も繰り返した追いかけっこを、4人はこれからも繰り返すのだろう。

text by usk

“CANVAS”

Reflection
作詞:秋浦智裕 作曲:YUU for YOU、Ryosuke Matsuzaki 編曲:YUU for YOU

突き抜けるような爽やかさが特徴的だったノクチルの楽曲は、その陰に隠されていた翳りや深みを『CANVAS』で露わにすることになる。基本を押さえつつ骨太なアレンジもさることながら、憂愁とはかなさを帯びた主旋律の歌メロはこれまでのノクチルにはない一面。ノクチルというグループの深化を感じさせる一曲。

text by ツァッキ

夢が夢じゃなくなるその日まで
作詞:秋浦智裕 作曲・編曲:原田 篤(Arte Refact)

「青春パンク」なるジャンルができたのは確か90年代後半から00年代前半だったか。この曲はパンキッシュな速いBPMとメロウなギターリフに青春パンクの残り香を感じさせつつ、ノクチルならではの過ぎ去るべきものとしての現在へのノスタルジーに満ちている。全体を通して縦横無尽に動き回るベースも聴きどころ。

text by ツァッキ

青とオレンジ
作詞:秋浦智裕 作曲・編曲:涼木シンジ(KEYTONE)

倍速変化するBPM、裏コードの使用など、音楽的な技巧はもちろんのこと、テクニカルな表現のひけらかしに陥るわけではなく、ドラムのフィルインの当意即妙ぶり、気の利いたところで入るピアノ、痒い所に手が届く一曲。変なことをやっているのに調和しているという意味でもシャニマス楽曲の中で独特の位置を占めている。

text by ツァッキ

Song for Prism

青空
作詞:秋浦智裕 作曲・編曲:渡辺徹 (Blue Bird's Nest)

これまでは現在からみた未来や、未来からみた過去へ向けた曲が多いノクチル。しかしこの曲では「今」を楽しんでいる4人の姿が思い浮かぶ。過去も未来も「今」という小さな日々の積み重ねで、いい日もあれば悪い日もある。だからいい日が来るまで笑って歩こう。そんな風に思える青空のように爽やかな歌声とメロディの一曲。

text by usk

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