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『嫌われる勇気』を読んで

先生に借りた3冊の本。まずは『嫌われる勇気』から読むことにした。

何年か前にこの本がすごい流行った気がする。たぶんこれを題材にしたドラマがあった。そのドラマを見た記憶があるし一度読んでみたいなと軽く思ってた本やったけん1番最初にこれを読む

まず最初にびっくりやったのが青年と哲人の対話形式だったこと。それに何故か、あーそういう感じかとちょっとだけ温度が冷めたけどまぁ別に大丈夫

印象に残ったことを書いていく


劣等感と劣等コンプレックス

劣等感と劣等コンプレックスは違う。劣等感は自分の理想に届かないことで感じるもの。

理想の自分との距離に悔しさを覚え、自らの原動力となるのが劣等感である。

一方で劣等コンプレックスとは劣等感をできない言い訳に使うことである。

学歴が低いから成功できないとかそういうこと。
ほんとは成功できないではなくて成功したくない。

目的論で考えるとそういうことになる。現実的な努力をしたくない、今楽しんでいる遊びや趣味の時間を減らしたくない、など今のライフスタイルを変える勇気がない。

不満があったとしてもそれらを変えるほどの勇気がないから言い訳してる。

この話はけっこうグサっときた。まさに今の自分がその状況。

英語の勉強せないかんけど、やってない。最初はやれてたけど、だんだん勉強する時間が減ってきて漫画読んだりする時間が増えてきた

まさにライフスタイルを変えたくない、みたいな話だと思う。ささる

優越コンプレックスと不幸自慢

AだからBできないと嘆くくせに努力しない人にあるのが優越コンプレックス。学歴が低いから成功できない、と言ってる人は暗に本当の自分は優秀であると言っている

ハイブランドばかりを身につけ自慢する人、著名人と知り合いなのを自慢する人、こういう人は権威づけをして優越に浸っている

「わたし」を特別にするために権威づけをし嘘の優越感に浸る。権威を借りて自分を大きく見せようとしている。

これは他者の価値観を基準に生きており、自分の価値観で生きていることができてない

過去の栄光に縋る人、手柄自慢をする人なんかも優越コンプレックスを持つである。

不幸自慢をする人は不幸によって特別な存在になろうとしている。不幸という点において人の上に立とうとしている。

こういう人たちは不幸話をするけど、本当にそれらの問題が解決するのを望んでおらず不幸を必要としている。

不幸自慢をする人は不幸な話をして相手を心配させたりする。つまり相手の言動を支配しようとしている。

権威づけをする人は苦手。そういう人の話はだいたい主語が私じゃない気がする。自分の話をしない?できない?人はあんまりおもしろいとは思わない

自分自身もそういう人間になりたくないと思う。

不幸自慢の話のところに、この世で1番強いのは1番弱い赤ちゃんである、っていう文があってそれがなんかおもしろかった

不幸自慢っていうか自分があった不幸な話はしてしまう。自分だけで溜め込みたくない、笑い話として消化させたい、そんな気持ちで話しちゃう。

相手を支配しようという意識はなかった。でも不満を話して説教されたら、そうじゃなくて共感して、ただ黙って聞いといて、みたいに思ったりする。

だから無意識に相手をコントロールしようって気持ちがあったのかなとも思った

課題の分離

自分の課題と相手の課題を切り離して考える。見返りを求めない。人は自分しか変えれない。

こんな風な話が展開されていてこれは前に先生と話した期待しない話と似てるなと思った

「馬を水辺に連れていくことはできても水を飲ませることはできない」ということわざがでてきた。

なんでもそう。恋愛も仕事も友人関係も

私が相手に何かしたからといって、相手が私に何かをする必要はない。好きだから好かれると思うのはおかしい

大事なのは馬を水辺に連れていくこと、その努力をすること。

自分が相手に何ができるかを考え、実践することが大切。

理屈ではわかっても心がついていかないときもある。告白して振られたら悲しいし全力で作った資料が酷評されたら辛い。

そんな時はどうしたらいいんだろうなー
課題の分離ができていても悲しいと思うことは出てくるけど、課題の分離を知ってれば傷は薄くて済むだろうなと思う

俺は傷つきたくないから期待しないマインドを身につけたわけやけんね、それで助かってることが多い

自由とは

自由とは嫌われる勇気を持つこと。ついに嫌われる勇気って言葉でてきた

全ての人に好かれるなんて無理。嫌われにいく必要はないけど、嫌われても仕方ない

自由になるとは自分の価値観で生きることで、その価値観が合わない人もいるだろうから嫌われることもあるよ

ここらへんはそりゃそーじゃって思いながら読んでた

みんなと友達にならないしなる必要ないしね。合わない人とは干渉しないで生きていきたい

所属感とは生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくもの

この言葉は好きだった。「ここにいてもいい」との思える場所を望んでいるけど、それは待っていても訪れない

居場所は自分で作るものっていうのが良い。

他者への貢献

これは自分を犠牲にして人に何かをするという意味ではない。あくまで主観的に私は他者の役に立っているという貢献感のこと

目に見えることだけで貢献してるかどうかを測る必要もない、自分が貢献したと感じることが大切。実際に相手の役立ってるかどうかは相手が決めることだから

主観的なところが好き。確かに自分の行いが相手にとってためになるかなんてのはわかんないりでも自分はベストを尽くしたやったんだと思えたらそれは最高だと思う。

ダンスするように生きろ

人生とは「今」の連続である。過去がどうとか未来がどうとか関係ない。過去のことは今の私には関係ない、何が起こるかわからないことを考えるのはやめた方がいい

「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当て、充実していればそれでいい。

今を生きろっていうのがなぜかダンスするように生きろって表現をされていた。山頂を目指すように生きるのではなく、ダンスするように。

大学に入学する時に自分がベトナムの会社にインターンに行くとは思ってなかった。ブログ書いたりラジオとったりすると思ってなかった。

やっぱり大事なことは自分がすべきだと思うことを先延ばしにせずやることらしい


毎日ちょっと読んだり読まない日もあったりしながら読み終えた。

哲学者の人たちは、人はみんな〇〇だ、と真理みたいなのを考えて発表してるイメージがある。

だからあんまり好きじゃない。高校の倫理の授業の時から好きじゃなかった。どっちでもいいし人それぞれでいいやんって思うことが多かった。

でもこの本は、最終的にはあなたが決めることで人それぞれ、という話し方をしてると思う。決断するプロセスでこういう考え方があるんだよと教えてくれてるけど、絶対にそうといってるわけじゃなかった。なんかその感じが好きだった。

おもしろかった。新しい考え方や言葉の表現に出会えたり、そりゃそーじゃって思えたりして楽しかった。

青年が幸せになるといいな

おわり

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