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1日


宝塚の楽屋にも、他の劇場の楽屋のように"5 minutes, 5minutes..."という開演前アナウンスが流れるのだろうか。そうだとすれば、最後のアナウンスのとき、彼女は何を想うのだろう。


今朝、妙に早く目が覚めてしまった。寝ぼけ眼でなんとなくiPhoneのアルバムを眺めていた。観劇するたびに増えていったフォルダをひとつひとつ開いていった。駅の写真、劇場の写真、ポスターの写真、その日食べたものの写真、そして舞台の写真。
たくさんの写真を眺めるうちに、宝塚を知る前のことが遠い昔のことのように思えた。


この半年間、初めてのことにたくさん出会った。宝塚に馴染みのある人にとっては当たり前なのかもしれないことの全てが新鮮だった。目に映るものの全てが新しくて刺激的だった。初めて飛び込んだこの世界はとても美しくて楽しくて、その素晴らしさに心が躍った。

宝塚には5組存在すること。組の名前。各トップスターとトップ娘役、所属する方々の名前。「本編」と「レビュー」という舞台の構成。「一本物」という概念。友の会という名称。宝塚歌劇の持つ歴史。

宝塚駅にすてきなお店がいっぱいあること。阪急電車のえんじ色。花のみちがのんびりとした癒やしの街だったこと。花のみちセルカのお店たち、新しくできたばかりだという宝塚ホテル、花の絵が描かれた深緑の歩道橋。

宝塚大劇場が絵本に出てくる建物のような色で可愛かったこと。宝塚歌劇の殿堂に衣装が飾ってあること。すみれのジェラートがとてもおいしかったこと。キャトルレーヴ。劇場のテラスから見える武庫川の悠然とした流れ、そこにかかる宝塚大橋。

劇場の中で繰り広げられる夢の時間。現実主義者寄りの自分が、一瞬で心を掴まれ夢の世界に没入した体験。その体験により、半年前では想像できないような日々になっていったこと。
まさか自分が宝塚方面に何度も行くことになるなんて夢にも思っていなかった。新大阪駅からJR宝塚線に乗り換える手順は、もう目を閉じても歩ける気がしてしまうくらいに体に馴染んだ。
また、仕事のことを気にせず心から楽しく観劇するために、日々の仕事効率を高めようと努めたりもした。ムラの退団公演が終わる前に大きめの仕事を一つ終わらせることができてほっとした。

東京宝塚劇場の近くには何度か来たことがあった。劇場の横も実は何年も前から何度も通っていたのだけれど、その自覚がなかった。今回初めて宝塚劇場を目的に行ってみて、そっかこんな近くにあったんだ…!と改めて実感した。
この街はたくさんの劇場があって、たくさんの感動が生まれる場所なんだな、と心がじんとした。


この半年で本当にたくさんの「新しいこと」と出会った。けれどもそのうちのいくつかとはお別れしなければならない。昨日、仕事帰りに駅で電車を待っていたら"Everything that has a beginning has an end."と書かれたTシャツを着ている人を見かけた。まさにそうだな、今がそのときだな、と思った。

まず、もう私の好きな"5人組"に会えなくなるのが寂しい。私は彼女と周りの人たちのことを、アイドルのグループを見るようなまなざしでたまに眺めてしまう。トップ男役、トップ娘役、男役の二番手・三番手の方達、彼らをまとめる組長さん。この5人はアイドルグループだったらセンター、センターのバディ、シンメ2人、リーダーといった位置付けになるのかな、なんて考えたりしていた。
この5人の組み合わせと、5人だからこそ起きる化学反応が大好きだった。みんなかっこよくて可愛くて面白くてウイットがあって、素敵な人たちばかりが揃っていた。こんなにバランスのいい5人組グループってそうそうないからワクワクした。

もうこの5人組の状態に会えることがない、ということがとても寂しい。みんなそれぞれ人生は続いていくし、それぞれの場所で新しい関係性ができていくのだろう。それはとても素敵なことだ。けれど私はこの関係性が大好きだったから、もう見られないことが寂しく思えてしまう。また何かの形でみんなで集まってくれたら嬉しいな。


そして彼女のこと。これからどこかで拝見させていただける機会があると信じたいけれども、「宝塚歌劇における男役としての彼女」の最後の日が明日訪れるという事実は揺るがない。


最後の男役、最後の言葉たち、最後のフィナーレ、最後の大羽根、最後の大階段。
彼女が17年間かけて築き上げてきた全てのものが、2023年6月11日に頂点に達し、遂に完成され、そしてこの世から永遠に失われることの重大性。


あと一日。

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