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今のわたしになるまでの軌跡③

タイのはじまりの話はかなり長くなるので時代をすすめていきます。

なんやかんやありまして、サメット島のタイ語講座の2年後?には、なんとタイに住むことになっていました。その上、タイでママになることにもなりました。

夢が実現した夢のタイ生活は、出産、子育て、ワーキングママと‥「生活」そのもの。旦那さんは超ど田舎出身のタイ人でした。それは、日本の田舎の概念ではなく、時代が違う場所。恐竜こそいないが、現在より間違いなく恐竜時代に近い!そんな場所で育ったタイ人男性である。そう言うわけで、旦那様は野生的で、ココナッツやマンゴーをとることや、ニワトリさんや、ヘビさんを食べ物に変えることには長けていた。けれど、現代の文化生活を送るには、かなりたどたどしく、頼りないあまりに、外国人のわたしが、子どもの学校探し、手続き、行事などを取り仕切っていた。

タイの経済の成り立ちから、学歴なしの田舎出身のタイ人より、日本人のわたしが働いたほうが、給料は歴然!約10倍はちがうだろう。よって大黒柱はもちろんわたし。お父さん+お母さん🟰わたし。シングルマザーになる前から、シングルマザーのようだった。いやその方がましかも? 疲れ果てたのだった。約10年あまり‥

夢のタイでののんびり生活、情報過多の日本から逃れ、ゆったりと生きる!はずが、、

子どもをバイリンガルに!
日本語はどこで習う?
日本の文化に触れられる場所は?
現地校にしかいけない経済状態のなかで、最適な現地校は?
現地校だけでは不安?塾に行かせる?
ピアノを習わせる?スポーツは?
おいしい日本食食べるならどこ?
安全な食材はどこで?

結局は情報過多‥情報地獄にまた入り込んでいる‥大好きだったタイ料理も、仕事と育児疲れの胃腸には、負担でしかない‥

そして、わたしは気づいたのだ。
こんな、東南アジアの真ん中まで来て、場所をかえても、自分が変わっていなければ、また同じことが起きると‥
東京だったから、マスコミの仕事だったから、ではなかったのだ。

タイの始業時間と就業時間は早い。
朝7時には家を出て、タイの渋滞にハマらないよう、旦那さんのバイクに4人乗り!!(日本ではあり得ない) 幼稚園に1人おろしてから、BTSの駅に送ってもらい、上の子と電車に乗り、小学校まで送り、最後は、バイクタクシーに横乗りで(タイ人女性のしとやかな乗り方)会社に向かう。

夜七時くらいまで働き、繁忙期は9時まで働き、土曜日もほぼ仕事をし、日本食が食べたいので、家についてから、ご飯を作り、食べさせ、風呂に入れ、塾の宿題、学校の宿題をさせて、絵本を読み聞かせて寝る!そして、また朝7時に家を出る。

そして、わたしはある出来事で日本に帰る決意をする。前の晩に決めて、翌日の午前中にチケットをとり、深夜便に乗り込んだ。子ども2人とスーツケース2個と共に。

🔸🔸🔸🔸🔸

結局、タイの話で終わってしまいました。かなり端折りましたが、次へ進みます。読んでくださりありがとうございます。


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