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【小説】ただの世界の住人⑩

いつものように、コンビニで競馬新聞を買う。いや、とる‥盗るではなく、取るだ。

お金がこの世からなくなって、すでに1週間はたったけれど、それはなかなか慣れない作業であった。

好きなものがなんでも手に入ったらいいのにと思ったこともあったが、いざ現実になってみると、それは不思議すぎて、馴染むには少し時間を要しそうだ。

小腹も空いたので、カップ麺も取る。レジに向かおうとしたが、必要ないので、カップ麺にお湯を入れようとポットのあるところへ向かった。店長らしき人が慌てて来て、ポットにお湯をいれてくれた。トボトボとお湯を入れて、箸でフタをおさえる。イートインの椅子にすわり、競馬新聞を広げる。

俺は競馬で食い繋いできた。高校も中退で、工事現場や、工場勤め、新聞配達や、新聞の勧誘、夜勤のガードマンや、パチンコ屋の掃除まで、いろんな仕事を渡り歩いたが、なかなか定職にはつけなかった。飽きてしまうのだ。そもそもやりたいことではない。重労働で、人が寝ている時間に働いたりしたので、睡眠不足から不眠症になった。寝ないで働いて家に帰るのに、そのままずっと眠れない。眠れないまま、仕事にいくと今度は無性に眠くて仕方がない。悪循環とはこのことだ。どうにかして眠ろうとしたけど、まったくの徒労であった。仕方がないので、たまには気分転換にどこかに行ってみようと出かけてみたら、そこに競馬場があった。

広大に広がった瑞々しい緑。エネルギーが充満した躍動感あふれるツヤツヤした馬たち。一つのことに向かって集い合う人人人‥人がたくさんいるというのは、それだけでなにか盛り上がる。久しぶりに感じた高揚感というのだろうか。ちょうど5月の晴れた気持ちの良い日だったからかもしれない。あー、俺は生きているんだなー。となにか1人酔いしれた気分になった。

それからというもの、夜勤終わりに競馬場に向かう日が増えた。馬券の買い方もわからず、見よう見まねでやっていたら、ビギナーズラックというのか、大穴を当てた!100円が1万円になったのだ。
1万円といえば、夜通し働いた俺の日給より高い。なんなんだ。こっちの方がいいじゃないか!太陽が燦々と降りそそぐ広い競馬場で、ピカピカの馬が走るところをみているだけで1万円!悪くない。俺はどんどんのめり込み、毎日馬を見にいくことを仕事とした。

それから5年。そして、1週間前に全世界からお金がなくなった。それでも競馬場の馬はいつも通りに走っている。馬券も売っている。あ、正確には配っている。当たりもある。だけど、お金に換金できなくなっている。そもそも換金したところで、使う場所がもうない。

俺は空を見た。
いったい俺はなんのために競馬をしていたのか?金のためか?生活のためか?なら、もう競馬場に来る必要はないのか?そしたら、毎日何をして過ごせばいいのか?いったいこの世はどうなっちゃったのか?俺はどうなっちゃうのか?

競馬場で知り合いになった奴らは、すでに顔を見なくなっている。特に親しくもないので連絡先も知らないし、何しているのかもわからない。ほかに友達もいない。

お金が必要じゃない世界なんて、想像もしてなかった。お金がいらないと、生きていてもやることがないんだな。ただ金のために生きてたというのか?

カップラーメンをすすりながら、コンビニの店内に目をやった。ここの兄ちゃんたちはどうするのかな?この店も儲けがないなら、やる意味ないだろーな。

払う金が必要ないということは、いくらのものでも手に入れられるし、どこへでも行けるということか。金を得るために働く必要がないんだからな。

堂々めぐりの思考に、あきてきた。
さて、今日も俺の馬たちを見にいくか!競馬場が俺を呼んでいる!なんだ。俺は、馬が好きだったのか。芝生の青さとか、青くて広い空とか、力の限り走り切る馬やその騎手たちの動き。そんなものを見たくなって仕方ない。
金のために仕方なく競馬をしてると思っていたが、俺は、好きで競馬場通いをしてたんだな。

仕事なんてやりたいことなわけねぇし、そもそも、やりたいことなんて、なにかもまったくわかっちゃいねぇ。なにをやっても続かない。そんな俺だったが、大好きことをずっと仕事にしてたんだなーと思ったら、腹の底から笑いが込み上げてきた。



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