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【小説】ただの世界の住人⑤

わたしは、秋津みどり。22歳。
結婚2年目で、子どもは1歳9ヶ月。今押しているベビーカーで、すやすや眠ってる。

地元の誰でも入れてくれるような短大を卒業とほぼ同時に結婚した。お腹には、この子がいたから。

旦那さんは、7歳年上のサラリーマン。
収入も安定してる。ま、優しいし。

目的もなく短大に通うわたしをみていたうちの親は、一番手堅い就職先を探してきたと、おそらく安心したに違いない。

自分でもそう思っている。何の取り柄もない私が、こんなに順調に人生の波に乗れているのが、本当に不思議。

結婚と同時に、マイホームを建てた。旦那さんの意向だ。わたし的には、マンション生活とか経験してみたかったところだか、いわゆるみんなの夢のマイホームが先に手に入るのなら、それもよしかと思う。

しかしながら、35年ローンというものがもれなくついてきた。

35年‥

生まれた子どもが35歳になる年月。

わたしは、57か。
その時旦那さまは、64歳。
それって、定年じゃん。

はー。なんか重い。

赤ちゃんはかわいいし、意外に子育てには向いてるかもだけど、家事はあんまり好きじゃない。
いくら、専業主婦とはいえ、旦那さんにも少しは手伝ってほしい。

今朝、些細なことで、旦那さんと喧嘩になった。
朝のパンがなかったことが原因だ。
昨日買い忘れた。ま、ごはんあるしな。

だけど、旦那さんは、絶対パンの気分だったのだ。

パンが原因で、家のローンにまで喧嘩が飛び火した!

「お米があるんだから、わざわざパンを買わなくたっていいじゃない?ローンもあるんだし!」

「ローンがあるから、なんでも我慢しなくちゃいけないっていうのか?ローンがあると、パンも食えないの?じゃーこんな家ない方がいいじゃん!」

売り言葉に買い言葉とはこのこと。
私も、思ってもないような言葉がすらすら出てくる。

思ってもない、といっても、出てくるのだから、心のどこかにいつも眠っていた言葉なのかもしれない。

「じゃー買ってくればいいんでしょ!行ってくるわよ!」

と、ベビーカーに子どもを乗せて、家を飛び出した。なんだったら、このまま家に帰らない事も想定して、1日分の着替えと印鑑も用意した。



それなのに、

コンビニに着くと、すべてが一変した。


パンが、『ただ』でもらえたのだ!
今日から何でも無料らしい!
え?そんなことってあるの?
世の中の経済とか、政治とか、全然わかんないけど、なんだか、「みなさま、ありがとー!」って叫びたくなった。

あわてて、パンを3つに増やして、いつもはもらわないビニール袋に入れてもらった。

顔のニヤケがとまらない。
なになになにー?
わたしって、ほんとラッキー!
やっぱり、わたしは波に乗ってるんだ〜。

さっきまでのことは、さっぱり忘れて、急いでスマホを出す。

「聞いて〜 コンビニでパン買ったら、ただだったのー。信じられる? だから、3つも買っちゃったよー!ってか、もらったのかー!ははは〜。」

これで朝の喧嘩は、何の意味もない。だって、家のローンも今日からなくなるんだから。

これじゃー、もう喧嘩のしようがないじゃないか?ってか、喧嘩の原因って、だいたいローンのこととか、給料のこととか、お金がらみだったような気がする。

なら、これから、もしかしてとっても平和に暮らせていけるんじゃないか?って、直感的に思う。

なんだろう?
胸がドキドキする。
これは、ワクワク?
なんか今までに、感じたことない
なんか、スキップしたくなる感じ。
軽くなって、ふわふわと空に飛んでいっちゃうかも。

これから起こる出来事を、まるでカラダ全体で感じているかのように、みどりは、ベビーカーを押しながら、鼻歌を歌った。


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