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笑顔の訳

今日は何回笑顔になれただろうか?
そんなどうしようもない事を、一日の終わりに考えるようになった今日この頃。
これも歳のせいでしょうか。

今日は笑顔にかかわることを書こうと思います。
見ていただきたいのが上の写真。(母の実家の家族写真)
おそらく70年以上は前のものと思われる古写真です。
ちょっと紹介させていただきます。
「カメラの前では笑うもの」と言わんばかりに、みんながいい感じで笑っています。
何かを見て笑っているのだと思われますが、この感じだと、もしかしたら写真機(カメラ)自体がとても珍しかった時代だったのかも知れませんね。

これに写っている母親が中学生だというので、昭和20年代の初めの頃の写真だと思われます。
母、祖母、曾祖母のほか、
祖母の兄妹やその子供たちが集合しています。
母に、なんでこんなに笑っているのか訊いてみましたが思い出せない様なので、
これを撮った時のことをあれこれ想像するも、
どうしたらこんな笑顔になるのかが、ちょっと想像できません。
やはり写真撮影という行為が特別なものだった可能性もありますね。
でもまあ、私が田舎(母の実家)に抱く圧倒的なイメージは、
「叔母ちゃんの笑った顔」と、いつもがやがやと賑やかだったという事。
これが普段の姿だったのかも知れません。

真ん中あたりで少し横を向いている女性が私の曾祖母。
この人は明治時代の生まれで、なんでも字の読み書きができなかったと聞いています。明治の頃の人には珍しいことではなかったそうです。

この写真に限らず、母方の古い写真を見るとだいたいみんな「笑顔」なのですが、戦後間もない時代ということもあり、母からはとても貧しかったと聞いています。
この写真を撮ったのは、曾祖母の長男だそうでこの家の主(あるじ)です。
この人は、軍人として満州かシベリアのどちらかからの帰還者だと聞いていますが、今となっては確認できる人が誰も居なくなってしまっています。
とにかく私たちの想像を超えた修羅場をくぐってきた人物であることは確かですが、母や兄妹たちには戦争の話はまったくしなかったそうです。
おぼろげな記憶ですが、私にとってはいつも笑顔でいる優し叔父さんでした。

私が幼少の頃、ここに行くとみんなが笑顔で迎えてくれました。
「良く来てくれたね」と喜んでくれる。
母屋にみんなで雑魚寝して、
夜は怖くて行けないお風呂とトイレは、外の畑の真ん中にありました。
玄関や縁側の窓に鍵なんかかけません。
「泥棒がきたらどうするの?」と尋ねた私に、
「盗られて困るのは命ぐらいだから」と笑っていた叔母ちゃんを思い出します。
と、そんな事を思いながらこの写真を見ていたら、その頃にもらった笑顔の温かみみたいなものも思い出してきました。

ここに写っている叔父さんや叔母さんたちのほとんどは、今はもういないのが残念。
でもこの写真の笑顔を見ると、今もまだあそこにいるような気がしてくるから不思議です。
人の笑顔には伝わる何かがあるんでしょうか。
そういえば、小さい頃に「笑ってれば何とかなるよ」と祖母に良く言われていたことも思い出しました。

写真を見ながらろいろと想いを巡らせていくうちに、
この笑顔の訳が分かった様な気がしてきました。
きっとこの満面の笑みは、写真を撮ってくれる人へのささやかな心遣いなんじゃないかと。
私だったら、写真を撮るときにみんなにこんな笑顔をされたら嬉しいに決まっています。
そう考えると作法としての笑顔とも思えますね。

この写真を見ると「私もこんな笑顔でいれたらな」と思うのですが。
それがなかなか難しかったりします。
だからこそここに写真を貼っておくことにしました。

最後にもう一枚。叔母(祖母の妹)の写真です。
モノクロの写真をカラー化してみたら、なんとも粋な和服でした。
ぼやけているけど、これもまた良い笑顔をしています。

昭和遺産 粋な和服
この人は私にいつも小遣いをくれた叔母さん。
和服の袖から財布を出して小銭をくれるその所作がまたかっこいいのである。
私もやってみたくなる。



昭和の頃の思い出と笑顔のお話しでした。
最後まで見てくださりありがとうございました。

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