てんかんは個性か?

さて、いろいろなところで聞く、てんかんは個性、について書いてみたいと思います。なんか批判が来そうだな…。怖いなぁ…。あくまで私の考えだということを念頭に置いて読んで欲しいです。
  入院中、てんかんの専門誌にてんかんは個性という言葉がありました。
  これについて、私はどちらかというと反対派です。今思うのは、この言葉は立場や症状によって変わるのではないかということです。
   まず、私の話から…。
私は二十二年間、てんかんと闘ってきました。現在24歳です。
   最初に飲んだ薬はフェノバールでした。
ピンク色の粉薬で朝晩、食後に2回飲んでいました。
   中学までその調子で、もうすぐ断薬に向けて減薬と思っていた矢先でした。
   中3の時、家のストレスなどもあり自転車で登校中に全身痙攣の発作を起こして救急車で病院に運ばれました。
   そこから発作が止まらなくなりました。親に支援学校に行きたいと言いましたが理解してくれず、なんとか入り込んだ全日制の高校も、結局退学して二年から通信制に変えました。
   スクーリングというのがあるのですが、そこでの発作回数が一時間に14回でした。
   ただ、部分発作で誰にも気が付かれませんでした。私のは単純に光が見えるだけなので…。しかしこの時の回数はよく覚えています。
  そこから全身痙攣は多い時で1日2回起こしていました。
  一年遅れで高校を卒業して、三年遅れで大学に入りました。しかし、薬の副作用などにより、退学して今作業所にいます。
  私自身は、てんかんは個性ではないと思います。
  ただ、薬で抑えられていた時だったら個性だと言っていたと思います。
  それと、本人が言う個性と親が言う個性は本人にとって意味が違うと思います。
  私は生まれつきの脳の形成異常です。もちろん母が悪いとかそう言ったことは一切思っていないです。
  ただ、私はその言葉を聞くとモヤッとします。個人的に、「個性で済む症状の人と、個性ですまない症状の人がいる」とおもいます。
  患者が求めるのは、やはり発作がないことです。私もイーケプラを先月また飲み始めて発作がなくなりました。しかし飲み始めて約一週間でいつも通り発作が戻りました。
  薬で止まっている人がいることは、飲めばいいので、それが羨ましいです。もちろん個々に大変です。しかしやはり発作があるかないかは大きいです。
   現実的に発作があることでバイトは10回以上面接してもうかりません。他の人はたぶん一発で受かるような普通のバイトです。また、採用後に取り消しになったバイトもあります。
  高校も大学も発作がなければ通っていて普通に卒業したと思います。また薬の副作用も眠気やふらつきなどとにかくしんどく、ひどい時には丸一日寝るのを何ヶ月も続けました。
   結果関係あるのかわかりませんが、記憶力が落ちました。また、漢検準二級を取ったのに退院後は名前すら書けませんでした。
  幼稚園の頃からピアノを習い、吹奏楽部だったのに楽譜が読めなくなりました。
  医師に聞いても発作とは関係ないの一点張りです。
  言葉が出てきにくいです。これも言ってもわかりません、です。発作の回数は、全身痙攣は減るか治ると言われていましたが今は二ヶ月に一回ほどあります。部分発作は1日30回ほどです。
  私は発作と共に動悸や恐怖感があります。その時に誰かいてもらえないと不安です。
  また、作業所まで送迎は親にしてもらっています。自分で行きたいのですが、発作があるのでそれも叶いません。
  発作があることも個性、というのと、飲めば治っている人のいう個性、では意味が全く違います。正直、発作は個性ではないです。なければ様々なことができただろうに、発作があるせいで機会を奪われます。
  他にも書きたいことはあったと思いますがなにか忘れたので…この辺で、すみません🫷

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