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読書から考える【食べ物から学ぶ世界史 人も自然も壊さない経済とは? 平賀緑】

世界では、かたや飽食、かたや飢餓が起こっていて、生産者が稼げず廃業したり、大量のフードロスや環境問題など、食を取り巻く問題に溢れている。
そんなことを考えていて本書に出会った。

私がスーパーでアルバイトしていた時もおびただしい廃棄の量に驚いた記憶がある。みなさんにも食品をもったいないと思いながら捨てた経験はないだろうか。

本書では、近代から興った資本主義の動向を〈食〉を中心に捉え直してみよう、という試みがなされている。

前近代→資本主義・産業革命→世界恐慌→大量生産 + 大量消費→新自由主義とグローバリゼーション→現在

というながれで歴史を概観しつつ、資本主義がいかに形成されてきたかと、その限界について語られていく。

なぜ、自然の恵みである農や食が地球も人も不健康にしてしまうのか。

それは、食べ物が商品化されて資本主義への組み込まれていくことが一因であるという。

前近代は、子孫が維持できるような畑の管理、食林、魚を取る時期や量の調整 などによって食は共有財産とされていたが、それらが産業革命をきっかけに囲い込まれ商品化していく。

自分のために作業していればよかったのに、自分の消費のための生産から 利潤のための生産へかわることで、労働を余儀なくされる。

どんどん内の利潤だけ求めて地球というフロンティアを食い尽くし利益を出していく。


その後、自由放任主義的に利潤を追い求めた結果、市場が商品で飽和する。

自社製品の価格を落とすことで利益を出しにいくが、豊作時、農作物の価値が下落、豊作なのに貧乏になるという、生産者の締め付けが起こる。 

ここに生産者と市場の断絶が生まれてしまう。


そして戦争をきっかけに自国の利益の追求は加熱していく。


戦後は、高度経済成長・添加物の発明・大量加工・流通、消費の大量化で一見、我々の食を巡る生活は安定した化に思えるが、その背後には"途上国"と呼ばれる南側の国への搾取や締め付けがあった。

我々は成長をしていく中、世界的に見ると格差がどんどん広がっていく。という問題がある。

そして、もう一つの問題として、輸入に依存する食生活がどんどん加速していく問題点が日本の歴史から浮き彫りになっていく。



このように資本主義の限界を歴史を概観しながら一望し、自分にできることってなんだろうと考える。

例えば著者も上げているが、

自分で野菜を作ってみるだとか、商品を購入する時の価値観をずらしてみる(ここも色々考える余地はある)など、これから生産者と消費する我々と、この地球のことを考えていかに一人ひとりが立ち上がる必要があるか、考えるに至った。


資本主義のオルタナティブを構想するだとかそういう次元のことは私には難しいけれども、一人ひとりできることを考えていきたい。未来の地球の人達のために。そして平和のために。

ちなみにトップの写真は私が収穫したテーブルビートとかぼちゃです。

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