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肺腺がんになった(15:病期確定)

2024年1月15日 退院から10日と少し経過し、抜糸のため外来受診をした。

「当初の想定より状態は良いですよ」

開口一番、ポジティブな主治医の言葉に緊張が緩んだ。もともと切除予定だった右肺中葉と、下葉の一部が固着していた部分があり、がんが下葉に達しているか心配していたが、がん細胞は下葉部分からは検出されなかった。

病期確定に必要な病理診断結果はリンパ節の結果以外は全部揃っていて、リンパ節に問題なければⅠA3期となるでしょうと説明を受けて、抜糸に取り掛かった。

5箇所ある傷口のうち4つは傷の内側からミシンをかけるみたいに縫ってある。
抜糸を行うのは残りの1つ、手で縫ったであろう黒い糸が出ている傷だけだ。カサブタと糸がくっついていて引っ張りながら糸を切っていく。
終わってみればあっという間だ。

このカサブタがなかなか頑固で、2月6日現在まだくっついている。無理に剥がすのも怖いので、自然に任せることにした。

迎えにきてくれた夫に、仕事を辞めようと思うと相談した。手術前、母や夫から一旦仕事から離れたほうが良いと勧められていた。

その時は2月、3月だけ仕事をして退職しようかと考えていたが、いざ手術を終え退院してみると、体力がないのかすぐ横になりたくなる。
会話や食事中は咳が出てしまい、とても時間がかかる。手術前と同じ様に仕事をできるイメージが全く湧かなかったし、それでも復帰したら結局自分を追い込んで無理をしてしまう。
入院中、医師に聞きたいことや職場に説明しなければならないことをメモしたノートには、弱々しい字で、今までと同じ生活をしていたらまた同じことになる、と書いてある。

薬剤治療をする場合は、退職しようと決心した。甘えていると言われるかもしれない。
それでも私の体と生活を第一にしようと思った。


2024年1月29日 病期を聞きに外来受診した。

正直、緊張していた。退院直後よりも咳が出やすくなっていたから、不安だったのかもしれない。夫に付き添われて診察室に入ると、先生の声は明るかった。

「気管支を切っているんだから咳は当然です」

「だんだん良くなります」

「リンパ節に問題ありませんでした。ステージで言うとⅠA3期です。想定より良い状態です」

「今後については、ダメ押しの術後補助療法として2年間のUFT服用が推奨されます。副作用はほぼないと思って大丈夫ですが、出る方ももちろんいます」

こちらは服用することにした。ちなみに、UFTを飲み始めてこれを書いている2月6日時点で、1週間ほどになる。特に副作用症状は出ていない。

UFTを服用することで、すでに左右の肺に点在しているすりガラス状病変が縮小することがあるか医師に聞いてみたが、そこまでの作用はないとのことだった。

「あと、病理検査とは別に遺伝子検査をしておくと、今あるすりガラス状の病変が成長した時に、分子標的薬を使用できるかどうか検討することができます。」

できれば分子標的薬のお世話になりたくないが、既にある検体を遺伝子検査に回すだけなのでお願いした。3週間ほどで結果が出るらしい。

事前に調べていたのだが、分子標的薬は高額らしい。保険適応の薬だとしても毎月限度額いっぱいの支払いは厳しい気がする。なるべく飲みたくないが、結果と先生のお話を聞いてから決めよう。

次回の予約をして、夫と車に乗り込む。

帰宅後、職場に電話をして退職する旨を伝えた。申し訳なさで涙が止まらなかった。

後日、退職の挨拶に伺うと温かく励まされた。申し訳なさとありがたさで声が詰まった。仕事を抱え込みキツいこともあったが、学びは多い職場であったと思う。元気な状態で引継ぎをして、退職できなかったことが悔しかった。

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