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初めて剣道に触れたときのこと

初めて剣道に触れたときのことを思い出している。

亡くなった父は若いころ柔道が強かったらしい。自慢話という感じではなかったが、旧制中学時代の武勇伝はよく話していた。兄弟とも強かったようだ。父はその後軍隊に入隊し、あと少しで特攻で死ぬところだったという。その後波乱万丈の人生を歩んだ。旧制中学の話は軍隊に入る前のことだから、青春のよい思い出だったのだろう。父は身体も大きく、小さい頃の私にとっては憧れの存在だった。

その父は「お前の爺さんは早稲田で剣道とボートをやっていた」とよく言っていた。普通、自分がやっていた柔道を子供に勧めそうなものだが、不思議とそれはなかった。私はもともと軟弱だったので、柔道が合わないことは分かっていたのではないか。

私が入学した高校は、普通の公立高としては少し変わっていた。1年生の男子は柔道と剣道が必修で、体育と別に授業があった。2年生からは柔道か剣道を選択し、卒業まで続けるという一風変わったカリキュラムだった。私が入学した当時の校長先生は剣道教士七段、剣道の先生は40歳前後で国士館大出身の教士六段(当時は六段で教士が取れた)、柔道の先生は30歳前半で東京教育大(現筑波大)出身の五段。本格的である。因みにその高校の設立コンセプトは「文武両道」だったらしく、他の教科の先生も進学校からの転勤が多かった。新設校ということで(私は三期生)張り切って教員を揃えたのだろう。私も含めて殆どの生徒は学校の授業についていけないような学校だった。

というわけで、初めて私が竹刀を握ったのは高校の体育の授業である。授業では優しい先生で(剣道部の顧問としては恐ろしく厳しかったという。剣道部の生徒は皆怖がっていた。)、基本動作はもちろん、竹刀の手入れ、中結の結び方、竹刀の組み換えまで教わった。

基本も実に丁寧に教えていただいた。特に印象に残っているのは「体の運用八挙動」という足さばきの基本動作である。前後左右はもちろん、斜め方向の足さばきを教わったのは、後にも先にもこの授業だけである。(この基本動作は、現在発売されている「相伝 国士館剣道」という本に映像とともに掲載されている。)その頃教わった内容は、今でも自分の基礎になっている。

剣道の授業は不思議と楽しかった。基本を繰り返すだけの地味な授業が、私には全く苦にならなかった。父にその話をすると、「お前は爺さんの血を引いているのかもしれんな」と言って喜んでくれた。

高校二年のとき札幌で剣道の世界選手権があり、テレビで放映された。カッコいいと思い、憧れた。元々運動音痴でスポーツや武道は自分がやるものではないと思い込んでいたから、他のスポーツは他人事で、やってみたいと思ったことはなかった。でも剣道は少し違った。もうちょっとちゃんとやってみたいと思うようになった。ただ、高二なので受験も控えていたし、いまさら部活に入る時期ではなかったので、親に相談して安い剣道具を一式買ってもらい、市の体育館に少し通うようになった。

市の体育館に通ったのはせいぜい数十回だったが、先生方には優しく厳しくかわいがっていただいた。高校の授業でしかやっていないわけだから、ほぼ初心者である。それでも今思うといわゆるかかり稽古が中心で、訳もわからず、ただかかっていくだけ。「血の小便」(ちょっと大げさか)というのも初めてそこで経験した。稽古のときは辛かった。でも不思議と「もう二度と行くか」とは思わなかった。高三になると少しは受験勉強もしなければならないので通えなくなったが、運よく大学に入れたら剣道を本格的にやってみたいと、うっすらと思うようになった。

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