ちょっとだけ見えなくなりたい

死にたいわけじゃない。
消えたいわけでもない。

ただ、ちょっと周りから自分が見えなくなってほしいだけ。

そんなことをふと、思った12月29日。

26日から冬休みに入り、絶賛昼夜逆転中。
太陽の光がなんだか自分には苦しくて、なかなか受け止めきれない。

そろそろ大晦日・年明け、ということで部屋の大掃除と断捨離を始めた。
1年使わなかったもの、沢山使ってボロボロになったもの。沢山出てきて沢山捨てた。

心も断捨離できたらいいのに。


ボロボロになったものを見る度に、
「ぁぁ、ボロボロになるのは有機物だけじゃないな」としみじみ。

きっと、このボロボロになったものたちも何かにリサイクルされて、原型を変えて、また違うところに行くんだろうな。
と想像を超える妄想に浸る。

いっそ、自分も消えたい訳でもないし、死にたい訳でもないから、ちょっとだけ自分を別のものに変形して、でも記憶は残ってて、感情類は仕舞って、違うものになりたい。

それがなんだっていい。


心配される、声をかけてもらえる。そんなことは幸せなことのはずなのに、なぜか苦しい。誰かが自分を認識していて、自分を自分であるという理由から話しかけてくれることは承認欲求関連で言えば、申し分ないくらいに幸せすぎる。

でも、自分の幸せは、普通の人とは違う幸せを求めているのだとここで気づく。

だからちょっとの間だけ、自分を見えなくさせてほしい。この一見幸せそうな状況と思われる苦しい状況から逃げ出させてください。

でも、戻ってきた時は思い出してほしい。


なんて、我儘すぎる。



"ちょっとだけ"  お願いします。

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