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割と謎の存在だった私のサイコパスママ

私には当たり前ですがママがいます。
私を生むかなり前に旦那さんがいて子供がいて、その人との離婚の手続きが終わってないまま私が生まれて(私は6月生まれですが出生届が出されたのは10月)そのあとパパと結婚して、妹が生まれて、私が小6になるくらいまでは一軒家を新築で建てて、仕事が終わったらまっすぐ帰ってきてゴロゴロしてるパパと4人でテレビとか見ながらご飯とか食べてて超普通の家庭だと思っていました。少なくとも私はそう思っていました。

小学生編 ちょっとずつ妹との差別化をするママ

私と妹は小さい頃はすごい仲が良くて、お互い絵を描くのが好きだったの絵を描いて交換したりしてました。
私は英語を習っていたのですが、妹はアトリエに通っていて
私もアトリエ行きたいなって言っても絶対に許可してもらえませんでした。
妹を迎えに行く度うらやましいと思いました。
その後も二人で絵を描いていると妹の絵は褒めるんですけど私はー?ってかわいく聞いてもえー、うんとしか言わなかったです。
私は絵が下手なんだなって思ったんですけど、パパに漫画家になりたいって話をしたら手塚治虫先生のブラックジャック(文庫版じゃなくてチャンピオンの方)を全館買ってきてくれました。
手塚治虫先生は漫画も描けるけど、漫画を描くためにいろんなことを知ってるんだよって話をしてくれました。だから手塚治虫先生にハマってた時は勉強とかもしてた気がします。そう長くは続かなかったのですが。

あと、ある日ママの気まぐれで十字架のブレスレットみたいなのもらったんです。
かわいくて気に入ってていろんなとことに着けていたんですけど
ある日ママと喧嘩をしました。
普通に寝てたんですけど夜中目が覚めたママがめっちゃやばい顔で私の部屋漁ってて
「何してんの?」って聞いたら「あの十字架は?」って聞かれて
「ランドセルのなかー」とだけ言って寝ました。
案の定十字架はなくなっていました。

小学生後半 ママの肩にパパに内緒にタトゥー

いつ入れたかわかんないんですけど肩に蝶々と雅って書いてあるタトゥーが入ってて(ダサwwwww)雅は昔使ってた名前なんだよって言われてへーって思ってたんですけど今思うと私がコンカフェしてたときに使ってた名前を肩に彫ってるようなものですよね。ダサ杉ィwwwwwおもろ
「パパに内緒ね」って言われたので素直に内緒にしてました。

小学生後半 5時頃物音と声で起きる

小6くらいのときに朝の5時くらいに陶器?を割る音と怒鳴り声みたいなのがめっちゃ聞こえたんですけど眠すぎて二度寝して7時くらいに家中の皿とかマグカップとかが割られてて部屋の壁に変な落書きがしてあるのです。
落書きは手塚治虫先生がよく漫画に描いてたヒョウタンツギでした。
で、ドン引きしながらおそるおそる朝の支度とかしてたんですけど、パパは普通に寝転んでテレビみてるし、ママも普通になんか家のことやってました。
一旦学校行くかって思って一旦行きました。

はじめての離婚

まあそれで別々に住むことになったからーってなってパパにパパと一緒に来る?って言われました。正直めっちゃ悩んだんですけどパパは割と厳しくて(厳しいって言っても普通の範囲)この時はなぜか放任主義のママの方に行きました。電話番号の書いた、パパの大好きなゲゲゲの鬼太郎が書いてあるメモだけもらってお別れしました。
パパの家は田舎すぎて最寄りの駅(モノレールだし無人)までもすごい時間かかるし、コンビニとかもないし、生活してるかんじが思い浮かばないくらい田舎だったので正解っちゃ正解説ありました。

3人で頑張っていこうね

3人で頑張っていこうねって言われて葛西臨海水族園に連れて行ってもらいました。
お金の話とかぜんぜんわからなかった私はこれはこれで楽しいかも!って思いました。最初で最後の観覧車に乗ったりしました。割と楽しかったです。

3人で頑張っていこうね宣言から2週間くらいで男が来ました

当時40代前半くらいのママが当時36歳(とかそのへん)の男を連れてきました。
ママの友達だよって言われました。へえ友達なのか…
勝田台にあるフルルガーデンに4人で行って、なんかなんでも好きなもの買ってあげる的な流れになって、妹はシルバニアとか買ってもらってた気がするんですけど欲しいものとかないし仮にあってもよくわかんない奴から買ってもらうとかすごい抵抗があったのでグズッてたらママが早く選べよってめっちゃ言ってきて近くにあったEXILEのアルバム買ってもらいました。
ガチ興味なかったんですけどMVとか見てたら割とハマりました。TAKAHIROがデビューしたオーディションの映像が入ったクソデカアルバムです。
その後もいろいろ買ってくれたので私たちは割と彼になついていたような気がします。

あとこの時くらいからファミレスの仕事だよって言って夜に仕事に行くようになりました。
当時は24時間営業のファミレスも結構あったのでそうなのか~って思って夜は好きに過ごしていました。

当時小学6年生の私とガチで張り合うママ

まあ私たちはその男の思惑通りになついていったんですけど
ある日昼間にお風呂に入ってたら「あっちゃん(男の名前)は私の彼氏であってお前らのパパじゃないから!!!!!(クソデカ感情)」ってかんじで一言だけキレ散らかされました。
当時は私が悪いのかなと思ってたんですけど今思うとそんな存在を何週間も家に泊めておくなよカスwwって思うし多分直接言ってますね。
しかもよりによって入浴中に!?
あとあっちゃんは私のものだからみたいな別のバリエーションの台詞も何種類か聞けました。
あとうちっていつも朝食が超適当で大体ロールパンとかポテトチップスとかいろいろランダムで出てきたんですけど
普通の朝ごはん食べてみたい的なことをママに言ったらクソボコされました。
普通の朝ごはんってご飯に目玉焼きとかベーコンとかそういうやつです。テレビで見たから食べてみたかった。
たぶんなんですけどその頃には当然のようにうちに暮らしてたあっちゃんなる者がいたからだと思うのですよ
悪いことしちゃいましたね~
ちなみにあっちゃんの見た目は両肩に風神と雷神の和彫りがバキバキに入ってて色が黒くて金髪の短髪です。毎日家にいるのに父親ではない!!
子供だったので理解できません(鼻ホジ)

暗黒中学時代

中学のときに疑問に思っていたのは妹の髪は毎日結ってあげてるのに私には触れようともしないママでした。
一回それでごねたんですけど死ぬほど嫌そうに分け目を作ってくれただけでした。
髪の毛を結ぶのが苦手でいつもぼさぼさだった気がします。

中学の時代の私はとても荒れちゃって、学校には行かない、勝手にブリーチする、チャリをパクる、ろくでもない男と付き合うなどやばかったので妹の方が可愛いのは当然っちゃあ当然かも?
でも周りの一緒に荒れてた友達はみんな親に愛されてるかんじがしてちょっとだけ謎に思ってましたね。

案の定私は受験に失敗しなんとか通信制の高校に入学するも、遊びまわり、まああんまり書けないようなことをして見た目はそれはそれは派手なことになってました。
あと私高校行ってないのに私が受験するからって言ってパパに8万くらい振り込ませたらしい。パパもよく振り込むなぁ。

ママの夢だったらしい居酒屋がオープン

私が住んでいた町の商店街の中の小さいお店を借りて居酒屋をオープンしました。
着物を着て夜に出勤していきました。
週6だし帰ってくるの朝方だし
あっちゃんとの生活リズムが合わなくなってきました。
ある日お風呂上りなのにあっちゃんに一緒にお風呂に入ろうと言われました。
断ったんですけど入りました、別になんにもなかったんですけど、
小6のときに私にブチ切れてきたママを思い出して黙っていました。
たまに謎のカラオケとかにもママに内緒でいったりしました。
居酒屋はそのころは割と繁盛してるイメージでした。
お店の二階にバーを作って女の子を雇ったり私も何回かお酒を作ったり
客層がカスなので秒辞めしましたが。

あっちゃんなぜかめっちゃ金持ってるw

あっちゃんという人物はなぜかめちゃくちゃ金持ってて
ディズニーランドホテルにも泊まったし、というかディズニー行く度近くのホテル泊まったし、あと意味もなくホテルだけ泊まりに行ったし、いろいろ行った気がします。
でも人間性はかなり終わっててマツキヨのお店の前に並んでるシャンプーとかノリで持って帰っちゃうし、めっちゃクレーマーで思い通りにならないとタトゥー(笑)見せてどうにかしちゃったりします。
あと家で永遠にお酒飲んでて私たちにはそんなに被害はないんですけどガラスの灰皿でママのことたまに殴ったりしてました。
あとよく部屋でAV見てるしみんなが入るお風呂場でオナホとかも干す。
あとこれくらいの時にママの反対側の肩にあっちゃんとおそろいの梵字?っていうのかな。タトゥー入れててまあまあラブラブでしたね。

二回目の離婚(ママにとっては3回目)

なんかあっちゃん最近いね~な~って思ってたら離婚してたみたい。
なんか本当の話かはわからないけどあっちゃんの借金の保証人かなんかになっちゃってママが払うことになっちゃってでも頑張って返していくから応援してね的なこと言われた気がします。
あと私ちゃんの名前で口座作っててこれに一か月にちょっとずつ貯金してるの
いつか渡すからねって言ってました。たまに徴収されるお年玉とかもそこに入ってるらしい。ガチで信じてました(バカ)
あとその少しあとに自己破産したらしい。それはそうなるよね。

あれなんかまた違う男いるじゃん

しばらくするとママのお店でよく見かけたムーチョという男を私の家で見るようになりました。
ムーチョはあっちゃんとは正反対で明らかにお金とか持ってなさそうなかんじ。
最初は一日で帰っていくけどやっぱりだんだん何日も居座るようになる。
居酒屋とはいえママがスナックで働いてたときに(前に書いた夜のバイトはスナックだったらしい)ママ推しで応援してくれてた人がお客さんの大半だったのでいろいろ文句を言われたりしていました。
ムーチョとは4人でディズニー行きました。
ムーチョは服をロクに服を持っていないみたいでB系ファッションが好きだった元カレとおそろいで買ったLAのパーカーとか当時流行ってたココルルのデニムとかを勝手に着用して二度と返ってきませんでした。
EXILEのCDとかアルバムも結構あったんですけど車に入れたいからと言って持って行って帰ってこなかったです。
ママがムーチョと喧嘩したとき、私がシャワー浴びてたらいきなり冷水に変わっちゃってママにガスのところを見に行ってたらムーチョがうちのガスとか水道のやつをめっちゃいじくりまわしてました。
そのうちムーチョは空にヘリコプターが飛んでるだけで俺を狙ってるんだとか言うようになり、見えないなにかに怯えるようになりました。
私の地元では割とみんな薬物やってたりするのでそういうかんじか~って思ってました。

おおまた違う男だ

ママがムーチョに飽きてきたこと今度はママのお店で見るしげちゃんという男を見かけるようになりました。
しげちゃんは公務員なんですけどうつになっちゃって傷病手当金とかで飲み歩いてるみたいでした。
ママはしげちゃんの悪口をめっちゃ言うんですけど家には連れてくるしお店で二人で過ごしたりすごいお気に入りなんだろうなと思いました。
私もママも男に金銭的なスペックは一切求めないんだなって今思いました。
で私もしげちゃんとは普通に仲がよくて漫画を貸し借りしたり飲みにいったりしてました。
でもある日しげちゃんに合鍵を渡されて
またクソデカ感情でブチ切れるママの姿を思い浮かべたので
しげちゃんと絡むのはやめました。
いつのまにかしげちゃんも家にも店にも来なくなったので
ママはしげちゃんに飽きてしまったんだと思いました。

ママの謎の行動が目立つ

そのくらいの時に飼っていたハムスターが死んじゃいました。
爆睡してたらママに起こされて死にかけてるハムスターを素手で渡されました。
いや、ケージは?って言ったらもういらないかと思って捨てちゃったと言われました。
なんかいろいろ言いたかったんですけど言っても会話にならないことがわかっていたので私のベッドで寝かせておいて、朝になったら冷たくなっていたのでお庭になんかの花の種と一緒に埋めました。

あと私はそのくらいのときから結構不眠や希死念慮にすごい悩まされていて、年齢が若いのと田舎の病院だったのもあって思春期なのと生活リズムが崩れているせいの一言で片づけられてしまって
自分で自分を傷つけたりカツドンチャンネルみたいに暴れたりしていました。
そしたらある日夜中にママにめっちゃ首絞められてて
はあって思いました。

あと私が集めてたものが少しずつなくなってたりだとか
エドハーディのキャップとかめっちゃ気に入ってたのにそれも捨てられちゃって、(何度問いただしても知らないしか言わない)
前書いた十字架事件もあって私はこのころからどうでもいいものとかしか持たなくなりました。
その後も何人かお店で出会った男の話してたけど家には連れてこなかったです。

このころ私はキャバクラで働いてたんですけど
場所とか店とかマジで知らせてなかったのに
私が働いてたキャバに自分の客と来てびっくりしました。
その時知ったんですけどママは私の部屋のゴミ箱とか結構漁ってるみたいなこと言われました。
ゲゲエって思ったんですけどその後私が働いてたメイドカフェにも凸ってきたので漁ってるのはゴミ箱だけじゃないのかも。
明細も普通のその辺の伝票みたいので渡されてたし名刺とかも存在しないし給料は毎回手渡しだったのでいまだに職場に凸るの大好きの謎がわかんないです。
あとその後専門学校に行ったんですけど、学費も袴代も1円も出してくれなかったし場所も日時も知らせてないのに卒業式だけ来ました。
恐怖っちゃぁ恐怖だったのですがその日は付属の男とかもいなかったのでまあいっかって思いました(よくない9

貧乏になっちゃったから引っ越しました;;

まあそれからあっちゃんもいなくなっちゃってすっかり貧乏になってしまったのでアパートの一階に引っ越しました。
アパートは狭くて前の一軒家で使ってたクソデカテーブルを持ってきたので
椅子も2個しか置けなくて
確かそれが18~19歳のときとかなのでその辺からもう家族でご飯を食べるということはなくなりました。

今更ながら学校に行きたいと言ってみた

私はその時中卒で職歴がメイドカフェとキャバクラのみだったので(もはや職歴ですらない)
いろいろ考えに考えて高卒認定をとって、ママに専門学校に行きたいって話しました。
答えは無理でした。女は水商売でいくらでもやっていけるみたいなことを言われました。
なんか結構前に私のために貯めてくれてるとか言ってたお金ほしいって言ったら
「そんなのあるわけないじゃんw使ったよw」って言われました。
奨学金の保証人になるとかも嫌って言われて(まあ今結構滞納してるからい判断っちゃあいい判断)
絶望ーってかんじでした。
なんとか学校には通ってたんですけどもうすぐ二十歳だからって理由でご飯も作ってくれなくなって(一応米は炊いといてくれる)店で余った刺身とかをおかずにして食べたりしてました。
メイドカフェの方で結構よさげな賄いとかもらってたので休みの日以外はそんなに気にしたことなかったかもです。

妹との扱いの差よ;;

このくらいの時妹が避妊に失敗して子供をおろしました。
ママは相談してくれればアフターピルとかいろいろあったのにって言ってその後子宮が病気になっちゃった妹を病院に連れていってました。
少しして私も避妊に失敗したかも?って出来事があったのでママに相談しました。
そしたらセックスするような仲の人がいるのだからそいつとどうにかすればいいじゃない。って言われました。
幸い妊娠はしてなかったんですけどすごいショックでした。
私はその後ストレスから来る胃痙攣や不眠、うつなどに悩みましたが病院に連れていってくれるどころか医療費すら負担してくれませんでした。
歯医者に行こうかなって思ってごねて5000円くらいもらったのがギリってかんじでした。
その後私は就職したのですがニートの妹が何回注意しても夜中にシャワーを浴びて眠れなくてそれでも始発で会社に行く生活をしていたらいつのまにか薬なしでは眠れなくなって、なんにもできなくなって会社を辞めました。当時付き合ってた人と同棲するために家から出ました。
このとき身長が165㎝にたいして体重が42㎏しかなくてスタイルがいいって言われたらいいのかもしれませんが見る人によっては病気レベルでした。
家を出てから何回か二人が住んでいる家に行きましたが妹はいなくて妹とママがつついたあとであろうおせちとかオードブルを食べました。

おじいちゃんが死んでしまった

しばらく過ごしていたらおじいちゃんが死んでしまいました。
定年後もずっと働いてたおじいちゃんの葬式は結構豪華でした。
葬式にはおじいちゃんの愛人がいて
骨を少しだけでもいいからほしいとか言って割とごねて小さい箱に入ったおじいちゃんを持って帰りました。
葬式が終わって、家に帰ってきて
おじいちゃんの部屋の金庫を開けることになりました。たぶん遺産の話でしょう。
遺産はどうなったかわかりませんが、おばあちゃんがいきなりママに向かってお前は私の娘じゃない的はことを言いだしました。
普通だったらハア!?ってなるところなのにその場ではやっぱりそうなのかなぁ…みたいな不思議な空気が流れてきました。
で、お墓参りして私はそのまま大宮から東京に行ってブラブラ過ごしていました。
あれ以来一回もおじいちゃんの墓参りとか行ってないしママが話すことなので本当のことかはわからないのですが、
ママとおじいちゃんの愛人は毎回一緒に墓参りに行っているみたいなのですが
ママと愛人が刺した塔婆だけなぜか捨てられてるらしくて
絶対それはおばあちゃんの仕業なんだって話を永遠にしてます。
あとおじいちゃんの持ってた高そうなクラウンがあったんですけど
なんかまああるツテで知り合った人達金渡して足がつかないようにバラしてもらっちゃったとか言ってました。
そしたら叔父さんが同じクラウン買ってて怖かった~wとか話してて
なんか年々ひどくなってるママの妄想なのか本当に話なのか分からなくてハアみたいな返信しかできませんでした。
ママ自身も自分はおじいちゃんと愛人との子なのかなぁとかそうだといいなぁとか言ってました。
このへんから正直意味わかんない話しかしないのでちゃんと聞いてあげられてない気がします。

ママと謎の金持ちじいさん

ママは金がないとか言う割に会う度違う車乗ってるし、金持ちのじいさん捕まえたとか言って機嫌がよさそうでした。
もうママが呂律が回ってなくて話が読めなったんですけど、80歳くらい超えてるんじゃないかっておじいさんとママのウェディングフォトみたいなのを見せられました。
金持ちじいさんとだけしか思ってないならこんな写真撮らないし、え、なんなの…?って思いました、
しばらくして金持ちじいさんに振られたらしくそのじいさんが持ってた株とかいろいろもらえるはずだったのにとか言ってました。

店もついに閉店してしまった

そんなときコロナが流行りだして、ネズミとかゲジゲジが出るうちの店も一応飲食店なので大打撃を受けました。
めちゃくちゃ稼げるボーナスイベントの秋祭りで出店を出してたんですけど秋祭りもなくなっちゃって、やっと去年からはじまったけど去年は屋台一切なしだったみたいで、ママは夜間のバイトをしながら店を経営してたけど、今年の7月いっぱいで閉店することが決まりました。
正直客を食いまくってたから誰もこなくなっちゃんじゃねって思ったんですけどそんなこと言えず
もう60近いのに出会いってどこにあるのかなぁとか言ってます。
あるといいですね、出会い

ママはお金がほしいらしい

ママがこの間パパにやばい病気になっちゃったからお金を振り込んでほしい、癌かも;;みたいな連絡をパパに送ってて
パパも焦ったのか私に連絡してきて
ママが病気になったみたい。会いにいってあげな
って言われてママに病気になったの?って連絡したら
え?なってないよ風邪なら引いたってかえってきて
ええマジかってなってパパにママ病気になってないよって教えたらすごい呆れてました。
しばらく経って育ててやったんだから二人して協力してパパからお金絞ろうよーってメールが来てました。
一旦無視してたんですけどパパ自分の名前でとある会社の店長みたいなことしてて
ママがええなにこんなところで働いてるの?って言いだして
中国に情報を抜かれるからLINEはしないって言ってたのに
パパに連絡したくてLINEを登録してパパの番号で友達登録してメッセージを送ってました。
パパは違う番号でLINEやってたのでなんにも届いてなかったみたいですが
せっかくLINEはじめたんだしってなって今年の7月にはじめてママとLINEを交換しました。
まあでもなんにもメッセージとかは来ないのですが。
今のところパパと連絡とるたけの伝書鳩みたいになってます。

ママ、元気でね!

そんなこんなで私は7月に結婚しました。ママとパパにLINEで報告はしたけど挨拶に行くとかいう流れにはぜんぜんならないし、結構遠方なので夫を連れて地元に帰るということはしないのではないでしょうか。
苗字が4回変わったんですけど最後は自分の事情でした。
このまま苗字が変わらないでいたいですね!
ママ、元気でね!



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