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「まいにちホメロス」まとめ②——死すべき人間と撞着語法

Twitterで好評(?)のまいにちホメロスシリーズのまとめです。

まとめ①はこちら


「古典」ギリシア語に「実用性」なんて言葉は不適当だと思われるかもしれません。

しかし、たとえ「古典」ギリシア語であっても、それは昔、実際に口にされていた言葉なのです。

たしかに、ホメロス叙事詩の言葉は韻律に従っているので、その意味では実際の口語ではありません。しかし、言葉が音として発音され、意味を伝達していたという、しごくあたりまえの事実は、古典語においては忘れられてしまうことも多々あると思います。なぜなら古典語を「話す」人はもういないからです。

なので、一見馬鹿げた組み合わせに思われることを承知で、あえて「実用性」という言葉を用いました。

ちなみですが、「矛盾する言葉の組み合わせ」を oxymoron と言います。
日本語では撞着語法と呼ばれるそうです。oxymoron はギリシア語で
 ὀξύς(鋭い)+ μωρός(鈍い)で構成されており、これ自体がやはり
矛盾した言葉の組み合わせです。

これまたちなみにですが、いまググったら二子玉川に「オクシモロン」というカレー屋さんがあるそうです。「カリーと甘いものと」と書いてあるので、「辛い」+「甘い」でオクシモロンになっているということですね。面白い!


閑話休題〝はなしをもどすと〟


τίς δὲ σύ ἐσσι, φέριστε, καταθνητῶν ἀνθρώπων; (イリアス, 6.123)
「ではお前は、優れた者よ、死すべき人間どもの中の誰じゃ?」

これはディオメデスがグラウコスに尋ねる場面ですが、ここで「死すべき人間」とあるのに注目してみます。

τίς は疑問詞で who に相当し、καταθνητῶν ἀνθρώπων の属格は「〜のうちの……」となります(英語では one of them などの of~に相当)。
→「死すべき人間のうちの誰だ」?

「死すべき人間」という表現はホメロスでは頻繁に登場します。人間とは
つまり死することが定まっている存在。もし「不死なる人間(ἀθάνατος ἄνθρωπος)」などと言えば、oxymoron になるでしょう。

この問いかけに対しての返答がこちらです。

Τυδεΐδη は「テュデウスの子」で、苗字のような感じでこのように父親の名から名を示すことがしばしばあります。

テューモスは感情(怒りなど)を引き起こす心的器官である、と説明されます(これについてはブルーノ・スネル, 新井靖一訳『精神の発見』, 創文社, 1974年, 第1章をご覧ください)。

松平訳では「度量宏き(i.e. 寛容的?)」と訳されていますが、「テューモスがデカい」は寛容さの度合いを示しているのかは疑問が残ります。

私はむしろ、感情の振れ幅が大きく、勇気があって戦いでも真価を発する、というイメージを持っていました。これについてはもう少し調べてみたいと思います。

この場面は『イリアス』の中でもかなり有名な場面なので、
τίς δὲ σύ ἐσσι, φέριστε, καταθνητῶν ἀνθρώπων;
ときかれたら、
Τυδεΐδη μεγάθυμε τί ἢ γενεὴν ἐρεείνεις;
とききかえせるように練習しておくと
いいかもしれませんね。

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