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「西洋古典学」ってなんだ?をわかりやすく書いてみた(おすすめブックリスト付)

——今日は「西洋古典学」について話してみます。

西洋古典学というのは、ざっくり言うと、「西洋古典」を研究する学問です。

「うーん。西洋古典って聞き馴染みないけど、たとえばどんなの?

シェイクスピアとか?ロミジュリとかは知ってるけど。」

——確かに、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は「西洋」の「古典」ですよね。

しかし、シェイクスピアの作品を研究するのは、英文学の専門になるのが通例だと思います。

西洋古典学が対象とするのは、主にギリシア・ローマ世界の文物です。
なんで?と思いますよね。

というのも、「西洋古典学」は英語では Classics(クラシックス) とか Classical Studies と呼ばれています。わざわざ「西洋」とかつけないんですね。「西洋古典」が受容された明治期の日本だと、漢文が古典としてすでに存在していたので、「西洋」とつける必要があったわけです。

「『クラシック』って音楽じゃないの?モーツァルトとかの」

——もともと「クラシック」というのはラテン語の classis から来ていて、「等級」を意味していたんですね。まあ予想できるように、そこから「第一級の」という意味になるわけです。

「なんかそれ、偉そうじゃない?『自分の専攻してるものは、第一級のものだ!』って言ってるわけでしょ?」

——そう言われると困ってしまいますが(笑)、まあヨーロッパ人が、自分たちの「第一級のもの」と考えたもの、というべきでしょうかね。

それが、古典ギリシア語やラテン語で書かれたものだったわけです。なので、西洋古典は「古典ギリシア語やラテン語で書かれたもの」を指します。

「ギリシャ(※)って言えば、世界史で習ったかも。
なんか三人の悲劇?の名前とか暗記した気がする。もう忘れちゃったけど……」

(※)日本ではしばしば、「古典ギリシア語」のように、「ギリシア」表記されることがありますが、発音は「ギリシャ」でOKです。

——素晴らしい!アイスキュロスソフォクレスエウリピデスの三人が、悲劇詩人としてよく知られていますよね。

この悲劇、つまりギリシア悲劇の作品は今日でもかなり親しまれていますよね。

たとえばアイスキュロスの悲劇作品を下敷きとした劇、『オレステイア』が東京の新国立劇場で行われていました。(生田斗真が主演!)

「へ〜そんなのやってたんだ。劇とかあんまりみないから知らなかった。

生田斗真が主演なら見たかったかも(笑)。」

——そうなんです。このように、ギリシア悲劇は馴染み深い存在と言えるかもしれません。もちろん劇に親しんでいるような人に限るかもしれませんが……。

というのも、古代ギリシアにおいては、悲劇や喜劇はただ単に劇好きの人に限らず、いわば国をあげての行事だったのです。

この『オレステイア』は原作がアイスキュロスと書いてありますが、実のところ、アイスキュロス自身が書いた原本というのは、現存していないのです。

「えっ、そうなんすか?じゃあみんな何をみて原作って言ってるわけ?」

——素晴らしい点ですね。まさにこれが西洋古典学に関わることなのです。

例えば、本屋さんに行けば、ギリシア悲劇が日本語に訳された形で売られているのがわかります。

岩波文庫では藤沢令夫訳の、ソポクレス『オイディプス王』などの個別作品の翻訳がありますし、またちくま文庫では『ギリシア悲劇 I:アイスキュロス』などとして悲劇集が出版されています。

ちなみに、値段は張りますが、ハードカバーの岩波のものもあります。こっちは解説などが充実しています。

これらの翻訳は、原文である古代ギリシア語を訳したものです。この「原文」というのがやっかいで、先ほど述べたように、アイスキュロスが書いた原本は現存しないのだけど、それを写したもの、写本が存在します。

「アイスキュロスの作品が好きだった人が手書きで写したってこと?

それは随分骨が折れそう……」

——写本を作成する動機として考えられるのは、まあ色々考えられますが、いったん深入りしないでおきましょう。

でも、ある程度、悲劇を書き記したものが流通していたことはあり得ますよね。現代ほどではなかったにせよ、アテナイ人もある種の書斎を有していた可能性があります。

というのも、喜劇詩人のアリストファネスが『蛙』という劇の中で、アイスキュロスとエウリピデスに、自分たちの悲劇を引用させながら口喧嘩させていますが、これは明らかに「書き記された悲劇」をアリストファネスは読みながらパロディーしています。

「へぇ〜喜劇って悲劇のパロディーするんだ」

——そうです。逆、つまり悲劇が喜劇をパロディーすることはないんですけどね。

写本の話にもどると、写本は一つではなく、いくつかあります。そのいくつかの写本を見比べてみると、違いが見つかったりします。

まあ、実際に自分でギリシア語を手書きで写してみると、やはり多くのミスをしてしまいますよね(笑)。そういう人たちのおかげで、二千年後の我々も読めるのでありがたいですが。

なので、写本Aではこの単語が使われているけど、写本Bでは違う単語が使われていたり、また写本Aにある一文が、写本Bにはまるまる存在しなかったり、そう言うことが起こります。

「それは困るね。そんなことが起きれば、一体何が原文なのかわからないじゃない。

翻訳された作品は、その問題をどう解決しているの?」

——翻訳された作品を見てみると、最初に「私はこの校訂本を用いました」という断り書きがあります。

たとえば、納富信留訳、プラトン『パイドン』、光文社、2019年の凡例(はんれい)を見てみましょう。

プラトン(Πλάτων)著『パイドン』(Φαίδων)の翻訳にあたり、底本として、J.C.G. Strachan校訂のオクスフォード古典叢書新版(Platonis Opera I, Oxford Classical Texts、一九九五年)を、John Burnet 校訂の旧版(Platonis Opera I, Oxford Classical Texts、一九〇〇年)と併せて用いた。

とあります。

「ちょっと待って。プラトンって、哲学の人でしょ?

哲学も、西洋古典なわけ?」

——ああ、確かに説明しなきゃいけないですよね。

確かに、哲学のテキストを読んで研究するのは、ふつう哲学の専門ですよね。

しかし、なにはともあれ、哲学のテキストを読むためには、まずは校訂本を作らないといけませんよね。

なので、たとえ哲学のものであろうと歴史学のものであろうと数学のものであろうと、本文を校訂する必要がある古典ギリシア語・ラテン語で書かれたテキストはみな、西洋古典学の対象になりうるのです。

その意味で、西洋古典学というよりは古典文献学という名前の方が良いと言う人もいます。

日本語の「西洋古典学」は、もとはドイツ語の Klassische Philologie の訳語だったわけです。

「そうなんだ。なんかジャンルが一緒くたになってる感じだね。」

——そうですね。

納富教授の引用でもあった、底本というのが、翻訳する際に原文として扱う校訂本です。校訂本は、校訂する人=校訂者が、様々な写本を見比べて、「これがアイスキュロス自身が書いたオリジナルだろう」という風に再現したものです。この再現を見て、翻訳者は翻訳します。

「じゃあ、違う校訂本から訳したら、違う翻訳になるってこと?」

——その可能性は十分にあります。それだけでなく、同じ校訂本から訳したとしても、やはり、解釈の相違で異なる翻訳になることも全然ありえます。

なので、ここで納富信留教授が述べている「新版と旧版を併せて用いた」というのは、まさにその校訂本の違いを見比べた上で、自分は判断を下しますよ、という宣言なわけです。

「ふーん。なんかもやっとするような……」

——気持ちはわかります(笑)。

先ほど簡単に述べましたが、校訂本には「再現された本文」に加えて「異なる読み」、つまり異読も書かれています(下の方に)。

たとえばこれはLeafという人のホメロス『イリアス』の校訂本です。この本は著作権が切れているのでここからアーカイブで読めます。

本文があり、その下になにやら書いてあり、その下に注釈が書いてあります。この真ん中のものが Apparatus Criticus(アッパラートゥス・クリティクス)と呼ばれ、異読などが書いてあります。

apparatus は、英語では「器具」とかの意味で用いられますが、もともと「準備する(apparo)」という意味の動詞から来ていて、「準備に必要なもの→器具」となったわけですが、 Apparatus Criticus は、「本文の批判のために必要な器具」としての、註解(commentary)の意味になったそうです。

Apparatus Criticus(青いマーカーのところ)を見れば、Ἕσπετε νῦν μοι, Μοῦσαι…(「さあムーサよ、私に語ってくれ」)なる異読もあることが、わかります。しかし Leaf はそれを本文に採用していません。

なので、これを読む人は、「ふうむ。ここは Leaf の読み方じゃなくってこっちの方がいいんじゃないか?」とか考えることもできるわけです。

実際、翻訳者も「校訂本に従わなかったところもある」と書いてあることがしばしばあります。

「それって、翻訳者はどうやって判断するの?」

——それこそ西洋古典学の神髄ですよね。

テキストをじっくりと読んで、いろんな異読を見比べた上で、これだ!と判断するわけです。とはいえ、あまりにもテキストが毀れこわているところ(乱れがあるところのことをこう言います)は、写本を見る必要があるかもしれません。

「その写本ってどこにあるの?」

たとえば『イリアス』の写本はイタリアのヴェネツィアにあるものなどが有名です。ここから写真が見られます。

一つの文章の読み方について、いくつもの論文が書かれることもあります。

古典文献学研究会という学会が出版している『フィロロギカー古典文献学のために』の論文を見れば、そのような本文批判に関する議論に触れることができます。

バックナンバーの多くが電子化されて無料公開されているので、ここから見られます。

たとえば日向太郎教授の、「トロイアの存亡にかかわる教え―Ovidius Ars Amatoria 3, 439-440」という論文はオウィディウスの『愛の技法』の第三巻439-440行の読みの問題についての論文です。

「えっ、たった2行について!?」

——それどこか、たった一語についての論文もありますよ笑。

このような、一見地味に見えるかもしれないけれど、古典の作品を読む上で欠かせない学問が、西洋古典学です。

「なんとなくわかった気がする!

現代の人が『オレステス』を上演するためにはアイスキュロスの原作を読むけど、その原作も翻訳がないと読めない。それを翻訳してくれた人のおかげで読める。

そして、その翻訳のもとになった底本は、校訂してくれた人のおかげで、その校訂本をよむことができるわけだよね。

その校訂をする学問こそが西洋古典学なわけね。」

——その通りです。

日本には西洋古典学の研究室を持つ大学は多くないのですが、その一つの東京大学のHPにはこのように書かれています。

[西洋古典学] の精髄は、文献学、別名、本文校訂に求められよう。これはテクストを緻密に読み、かつ他の諸テクストのありようとも比較検討して、いっそう正確な校訂を施す知的な作業である。

この HP は、「自分が読みたい本を自分が読みたいやり方で読むのではなく、書物に耳を傾けて、たいまつの火をリレーするがごとく、謙虚に本の命を次世代に託す、このことこそ西洋古典学の真髄かもしれない」と締め括られています。


これまで多くの人が古典ギリシア語やラテン語で書かれたテキストを読み、「ここはおかしい」とか「この読みの方が良い」などと議論してきました。その議論の伝統に連なることができるのが西洋古典学の魅力かもしれません。

「理解は深まった気がするよ。大事なんだなってのもなんとなくわかった。

自分がこれをやりたいとは思わないけど(笑)。」

——もちろんみんなが西洋古典学に興味を持たなきゃいけないわけはありませんよ(笑)。

ただ、このような一見地味で何の役に立つのかわかりづらい学問に対して、「これは無駄だ」として切り捨てるような態度は、やはり受け入れ難いですよね。

「確かに自分も、何やってるかわかんない学問より、医学とか化学みたいに身近に恩恵を受けてる学問の方が応援したくなるかも…」

——医学や化学ももちろんとっても大事ですが、医学の祖と呼ばれるヒポクラテスのテキストも西洋古典学のおかげで読めるというのもありますよ。

「なるほどね〜」

——若干苦しいですかね?(笑)

例えば、ルクレティウス『事物の本性について』と呼ばれる作品も、近代科学の先駆けと呼ばれたりしますが、そのテキストが読めるのもやはり西洋古典学のたまものと言えるでしょう。

あと別の角度からいうと、我々が今読める、日本古典の『平家物語』や『源氏物語』なんかも、西洋古典学と同じく文献学のたまものですよね。

三島由紀夫は西洋古典の『ダフニスとクロエ』にインスピレーションをうけて『潮騒』を書いたとも言われているし、本と本の歴史は赤い糸で結ばれているんだと言えるかもね。

「よくわかったよ。ありがとう。」

——こちらこそ、ありがとうございます。

またどこかでお会いしましょう。

参考(にしてほしい)文献

西洋古典編

久保正彰(2018)『西洋古典学入門——叙事詩から演劇詩へ』, 筑摩書房…文庫で1200円くらい。西洋古典学について知りたくなったとき、さいしょに手にとるのに最適な本。

逸身喜一郎(2018)『ギリシャ・ラテン文学——韻文の系譜をたどる15章』, 研究社…3000円ちょいくらいの単行本(でかめ)。『イリアス』、『オデュッセイア』、『アイネーイス』等の「韻文(詩)』作品をメインに西洋古典の解説をしてくれている良い本。

文献学編

明星聖子, 納富信留編(2015)『テクストとは何か——編集文献学入門 = What is a text? : an introduction to textual scholarship』, 慶応義塾大学出版会…2400円くらいの単行本。ここで書いた文献学の話をもっと広く、深くしることができます。文献学に興味が湧いたらさいしょに読むのにおすすめ。

L.D.レイノルズ, N.G.ウィルソン著, 西村賀子,吉武純夫訳(1996)『古典の継承者たち——ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』, 国文社…古典テキストがどのように我々の手に渡ってきたかの歴史を知れる優れた本。本格的に文献学の世界に入るぞ、というときにいいと思います。たぶん絶版なので、手にいれる難易度は高め。図書館などで探してみるのがおすすめです。

ギリシア語・ラテン語編 

河島思朗(2016)『ラテン語練習プリント』, 小学館.
——(2017)『ギリシア語練習プリント』, 小学館…ともに1700円くらい。ラテン語・ギリシア語を文字から始めて初歩の初歩の部分を独学で身につけられる本。ラテン語・ギリシア語に興味が湧いたら、まずはここから!

堀川宏(2021)『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』, ベレ出版…2600円くらい。古典ギリシア語の入門書として、独学を想定されている本なので、自力で勉強したい人にピッタリ。

山下太郎(2017)『ラテン語を読む——キケロー「スキーピオーの夢」』, ベレ出版…3000円くらいの単行本。西洋古典を原典で読みたくなったときにとっても良い本。これほど親切に設計された原典紹介の本はほかにないと思います。私も院試前にせっせと読んで勉強しました。




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