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目的のない人生

貴方の夢は何ですか?

「大きくなったら宇宙飛行士になりたい」

この文章を読む、または聞いた人の中で、一体何人の人間がこの夢を応援してあげられるのだろうか。

子供の頃、誰しもが何かしらの夢を持ち、またその夢を言葉にして発する事が出来ただろう。その夢を口にすることに何も抵抗を感じず、また、真剣にその夢を語っただろう。当時は、憧れてるその職業、または抱いているそれらの夢について、「どのようにしたらその目的に到達できるのか」なんて事、全くわからなかっただろう。しかし、恥ずかしげもなく、大きな声で自信たっぷりに自分の夢を語る事が出来ただろう。

では、いつから夢を語る事が困難になってしまったのだろうか。

歳を取るにつれて、「やりたい事がない」という言葉をよく耳にするようになった。このフレーズに対してある程度理解できる部分と、どうしても納得いかない部分がある。

「やりたい事がない」と言う言葉の中には、「やりたいが、現実的ではないから出来ない」とニュアンスが含まれているように聞こえてしまう。大人になるにつれて、社会の仕組みを理解しだし、そして、自分というイチ人間が、その社会の中でどの程度なのかと言う事を無意識に測りだしてしまう。そして、自分という人間が、どの程度の事ができるのか、ということにまで結びつけてしまう。

果たして、その物差しは正しいのだろうか。

もちろん不可能なことだってもちろんある。「魚のようにエラが生えてきて、水中で生活すること」や「不老不死の体を手に入れること」など、子供の頃だからこそ言えるような非科学的なことについては、歳を取るにつれて、正しい物差しを手に入れ、非現実的だということを理解していく。しかし、実現化可能な夢にまで、その物差しを使ってしまってはいないだろうか。

「社長になりたい」「空を飛んでみたい」「サッカー選手になりたい」「有名人になりたい」「好きなだけハンバーグを食べたい」「外国語をかっこよく喋りたい」

これらの事は全て実現可能である。しかし、歳を取り、社会を、己を、理解していくにつれて、これらの夢の実現過程における何かしらの部分で、「自分には無理だろう」と考え、または感じてしまい、この夢を「出来ない」という枠の箱に入れてしまっているのではないだろうか?

ここの部分に、私は警鐘を鳴らしたいのだ。

もちろん、「今」はどの夢も実現化不可能かもしれない。しかし、これらの夢を「目的」として生きていく事は、「今」でもできるのではないだろうか?そして、その目的を設定した段階で、「やりたい事がない」という言葉は、金輪際、口から出てくる事は無くなるのではないだろうか。

「やりたい事がない」なんて100%嘘なのだ。誰だって「生きている」限り、何かしらの欲望が存在する。「私は本当に欲望が無いんだ、今にでも死にたい」という人にだって欲望はある。「死にたい」という事がその人の欲望ではないか。

なんだっていい。どんなに「今」の自分から離れた夢だっていい。ただそれをもう一度自分で再確認し、人生の「目的」として設定してしまえば、少し意義のある人生になっていくのではないだろうか。

「大きくなったら〜したい」

このフレーズを、どんなに大きくなっても言う事が出来る社会が訪れることを願い、今回の記事を終わりにしよう。

では、また次の記事で。


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