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出合瀧から上流へ

【記録◆2023年4月3日①】

 先天性の身体障害が進行を始めたのは50年前で、いずれは複数回の手術が必要になると16年前には告げられたけれど、その時点で、
「治療」にならないのなら「加療」も受けない、と決めていました。

 32年前の医療過誤による傷も、治らなかったのだから治療もできないのは分かります。

 40年近く前に亡くなった父は、火葬にすると全て灰になり、一片の骨さえ残しませんでした。「加療」には怖ろしい面があるのです。

 さて、「病院へ行かない生き方」を続けて少し取り戻せた体力は、先週、日帰りの遠出には耐えられそうだと判りました。

「1週間前に行った『下北山村』よりは近い『上北山村』へ行ってみよう」と考えたのですが、わたしが行きたい瀧は、いったん下北山村まで南下して上北山村へ続く道に入らないと、行けない場所だったのでした。

 先週と同じく、最初は『おおたき龍神湖』を目指します。

先週と同じ場所

 満開だった桜が散りはじめているだけではなく、向かいの山の様子が少し違います。彩りを増やしたのは、山桜なのでしょうか。

雑木林に混ざる桜色

 車で走る先に現れる山々は、隠していた桜の在処を知らせます。

 ひとひらの花びらも無かった路面が今週は桜色に変わって、ガードレール沿いに並ぶ樹々からは次々と、小さな花びらが舞いながら近づいてきます。

「山奥のハイウェイ(信号のない国道)」を南下して、『不動七重の瀧』へ向かう林道入り口を通り過ぎました。
 別の国道に入ったら、そこは、「林道のような国道」でした。

 林道のような道幅ですが国道なので、「ガードレールがある」「それに、カーブミラーもある」と、良い点を挙げながら進みます。

 目的地まで11キロ程の距離でしたが、時速10キロ台でしか走れない場所が何回も現れるので、到着まで何十分もかかりました。
 その間、対向車は1台も無かったのです。

 後続車も1台も無かったのですが、目的地近くで知らない瀧を見つけて、写真を撮っていたら軽トラが走ってきました。
 瀧の近くで人間を見るのはひさびさ(そこも国道だけれど)。

出合瀧(別名:月谷瀧)

 瀧の名前を帰宅後に調べると、『支流である月谷川が東ノ川と出合う所にあるので、出合瀧という』とのこと。
 目には見えるのですが、写真では樹々に遮られて見えづらいため、開けた場所を探しておいて、帰りに撮りました。

 行く道で撮れたのは、瀧の真上からの写真です。

出合瀧の真上の橋から

 川原も写っているけれど、写真だと60メートル下だとは判りません。

 その橋の手前に廃屋があり、傾斜地との隙間を通って入っていきます。

上流へ向かう入り口

 左上に写っているのが廃屋の壁で、左から壁の前を通ることになります。隙間がわずかであるのは判るでしょう。

 そして、傾斜地の上へ進みます。
 瀧の60メートルの落差も写真では判りませんでしたが、来た道を撮っても登ってきた高さは伝えられません。

「上る」ではなく「登る」です。漢字の間違いではありません。

 社会はわたしを「弱者」の枠に入れていますので、ここを関門と名づけ、「進むか退くか、ここで判断してください」と記しておきます。

 行って戻るまで、ずっと難所が続きます。
 ここだけではありません。

「瀧めぐり」をなさっている方々は身体能力が高く、先ほどの『出合瀧』の直下まで(道がないのに)行かれる方もいらっしゃいます。
 そんな方々の「楽に行ける瀧」というお言葉は万人に通用しませんので、ご注意ください。

 では、次の記事で、月谷川を遡って『千尋の瀧』へ向かいます。

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