済浄坊(さいじょうぼう)
【記録◆2023年11月24日】①
「二度と行けないだろう」とおもっていた所へ行けました。
右脚の筋力が出なくなってから両腕の筋力が増えたので、脚ではなく腕で渓谷の奥へ行ける気がしたのです。
前回の写真を見た友人が《天女の衣が脱ぎ捨ててあるのかと思いました》と伝えてくれた『済浄坊の瀧』へ。
◇済浄坊渓谷◇
「天女の衣」が山の斜面にも広げられ、それが激流となるとき、ひとの通う道は塞がれます。
この先では、崩れた斜面が遊歩道を下敷きにして川まで落ちています。
うずたかく積もった岩石片の上を通って、向こう側へ下りたら、遊歩道の先へ進めるのです。
上の写真は、下りてから撮りました。向こう側が「来た道」です。
左の樹に巻きつけられたロープは、坂の上に繋がっています。
前回より頑丈なロープに取り替えられていたため、命を預けられました。
しかし、くくられた樹には、お詫びとお礼を伝えなくてはなりません。
それから、「二本杖で歩く車椅子ユーザー」が安全に行き来できる道を、自然の力に対して根気よく整備してくださっている方々にも感謝を。
渓谷の遊歩道を整え続けるのは、果てしない根気が要ることでしょう。
ここまでの写真は帰り道で撮り、時間を逆にして並べています。
瀧に辿り着くまでは、限られた体力をすべて進むことに充てたのでした。
帰宅後に確認すると、初めての訪瀑は昨年5月23日。
きょうは11月24日だから、地球が太陽の反対側に在ります。
この1年と半年は、山裾の細い道を辿るようでした。
「誰も選んだことがない在り方を択ぶ」と決め、誰とも共有できない体験を重ねてきて、「なぜ死なないのだろう」と、しばしば考えます。
昨年までは、「なぜ生きていられるのだろう」という言葉で考えたのに。
「人間の限界」という数値では、わたしを測れません。
0歳のとき、生死の境を流れる河に身を浸したためかも。
ひとの身体は、生きている間には生きようとします。
乳児の盛んに分裂する細胞が、限界を設定し直したのでしょうか。
30年以上前、生死の境を流れる河に突き落とされたとき、
「人間が命を失う基準値」は自分に当てはまらないと知りました。
奪われても奪われても、失わなかったので。
最初は悪意によって、次には「限界を探りたい」という好奇心によって、繰り返し沈められたけれど。
その時には「限界の手前」だったとしても、その後の影響は?
数十年後にまで及ぶ影響は?
(そこまで考えてくれない相手には、なにひとつ委ねてはいけません。)
◇済浄坊の瀧(下の瀧)◇
「瀧の神さま、また来ることができました」と、わたしは言いました。
半年前(5月9日)に行った『室生龍穴神社』の奥宮『吉祥龍穴』の一帯も「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」という地形になっています。
冷えていく溶岩が縮むとき、柱状の割れ目ができるのです。
吉祥龍穴では済浄坊渓谷を想って、「世界の始まりの日にあった巨大樹が倒れた後、根元だけが岩と化して残っている、というようにも感じられた」と書いていました。
前回とは季節も天気も違いますが、なるべく違う光景を載せます。
昨年5月23日の光景は、以下の記事に載せています。
◇済浄坊の瀧(上の瀧)◇
昨年5月23日の光景は、以下の記事に載せています。
◇帰り道◇
「水煙大不動明王」の石碑があるという情報を思い出して探してみました。
下の瀧の案内板は、飛ばされたのか流されたのか無くなったままですが、その近くに石碑はありません。
立ち止まって足もとから目を離すと、山の斜面に文字が見えました。
(立ち止まらずに目を離したら、かならず転ぶでしょう。)
残った脚力では上がっていけないから、カメラで読むだけにしました。
10日前に行った『蜻蛉の瀧』では龍神(水神)の像が赤い火炎に囲まれ、ここでは不動明王(光背が火炎)に「水煙」が冠されています。
ほぼ垂直の道を上ってきて振り返ると、「ここからも下の瀧が見える」と判りました。前回には振り返らなかったのか、それとも新緑に瀧が隠されていたのか、初めて知ったことでした。
遊歩道に下りてから振り返ると、ここからも、かろうじて見えました。
「上れなくなっても下りられなくなっても、視覚だけはその先へ行ける」とわかったので、「二度と会えない」とおもわずに済みます。
瀧から流れる水が透き通っているため、川底も水に覆われているようには見えません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?