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不動窟鍾乳洞の瀧

【記録◆2023年9月15日】

 南へ向かう「山奥のハイウェイ(信号のない国道)」を走るたび鍾乳洞の看板を目にしていました。
 地底に瀧があるのも知っていたけれど、わたしの脚ではそこまで行けないとおもっていたのです。

 しかし、今年3月27日には「前鬼川までの260段」を往復して、「二本杖で両腕を脚に変え、山の斜面を少しずつ這うように進み続けたら、果てしない根気の流れ込む先もある」と知ったため、「閾値」が変わったのでした。

『不動窟鍾乳洞』の入り口までは、129段。その踊り場にベンチがいくつか置かれています。帰りには休憩が必要になるでしょう。
 写真の右に少し見えているのは『吉野川』です。

鍾乳洞へ向かう階段

 整えられた階段では同じ筋肉を使い続けなくてはならないため、最近は、建物の一階から二階へ行くのも時間がかかります。
 とはいえ、一段ずつしか上り下りできなくなったのは20年近く前で、「COGY(足こぎ車いす)」を使いはじめるまではそれが普通でした。

 COGYが増やしてくれた脚力で行けるはずがなかった場所へ行ってみようと決め、毎回、「これが最後かも」とおもっていたのに、「終わりの時」を視野に入れてから、そこまでの間に多くの瀧が点在することとなりました。

 先月には、『リビング・ウィル(生前の意思表明)』の書類に記入して、署名と捺印を済ませています。
 箇条書きになっている書類も見つけてダウンロードし、そちらにも署名と捺印をして、縮小コピーを常に携帯しているのです。
「治療を希望しない」という欄の全てに迷いなく13個の印をつけて。

「動ける間に」と考えた身辺整理も進み、段ボール箱(縦31cm 横41cm 高さ30cm)に書籍をぎっしり詰めて、9箱を引き取りに来てもらったのが前々日。

 生きることの様々な面を整理整頓すると、生きる場が広々とします。

吉野川

 鍾乳洞の入り口まで下りると、川面が近くなりました。
 台風の直後には泥の色になっていた吉野川が少し色を取り戻しています。

 階段のある所まで案内してくださった方が、「先月の台風で、鍾乳洞内が増水したとき、お不動様が根元から折れてしまって、まだ直せないのです」とおっしゃっていました。

 洞内に祀られている不動尊が逆さまに転落して頭を打ちつけている写真を見ていたので、
「寝ていらっしゃるのですね」と返すと、「そうです」とのことでしたが、そこへ行くと、岩に立てかけるようにして起こされていました。

 もともと安置されていた場所は、わたしの身長あたりです。
 その高さをはるかに超えて水が流入したのかと驚きました。

不動窟鍾乳洞

 洞内は暗いため、デジカメではピントが合いません。

 初めて来る場所ですが、「夢で何回も視ている」と感じました。修験道の開祖「役行者」が1300年前に発見したと伝わり、「大峯山の裏行場」として知られていますから、もしかすると魂の記憶に触れるのかも。

 ひとりしか通れない所も多く、戻ってくる方がいたら難儀したでしょう。(往復する間は誰にも会わず、出口で他の方と会いました。)

 奥には「第4窟」まであるのですが、瀧のある「第3窟」で引き返す、と最初から決めていました。障害のある身だと帰ることも考えて進まなくてはなりません(かえって慎重になるため、1回も頭をぶつけませんでした)。

 左右が狭いだけではなく上下も狭いので、這うように進んだ所も数ヶ所。そういう所ほど、わたしには楽です。腕の力だけで移動できるから。

 予想していたより早く、とつぜん轟々と音が聞こえてきました。
 その音に導かれて進んだ先は、轟音に満ちていました。

不動の瀧(35メートル)

「ここも知っている」と感じました。
 44年前、灯りを消した部屋で横になったとき、天井の隅から現れた流れが彼岸に誘ったのです。階下には命を終えたばかりの祖母が居ました。
「いっしょに行くこともできるんだ」とおもったのを憶えています。

 その後も何度か流れに巻き込まれ、20年近く前、ようやく自分の身に何が起きていたのか判りました。両脚に先天性の障害があると知らなかったため(健常者の身体を知らないと違いが判らず)、障害を補う筋肉が疲弊して、呼吸が止まっていたのです。

 医師の説明によると、「首の前にある筋肉が背中側に引っ張られて気道が狭くなる」とのこと。また、「呼吸筋が動かないと副呼吸筋が補うけれど、あなたは副呼吸筋もロック(施錠)されてしまう」と教えられました。

「なるほど、呼吸が停止して身体が弛緩すると呼吸筋が開錠され、流れから出られるのか」と納得できたのです。

 色の無い激流に飲み込まれると上下も左右も判らなくなるけれど、それは視界が昏くなるため。
 そこで聴き続ける轟くような音は、脳内の血流に伴う音なのでしょう。

 生き延びられる可能性を瞬時に探り当てる身体は、贈り物を残します。
 周囲の悪意によって瀕死となったのは2回だけですが、呼吸筋が動かなくなるのは日常だったため、ひととはかなり生存の閾値が異なるようです。

「まったく必要がなく、なんの効果もない加療」によって裂かれたときも、
「ごぼごぼ音を立てて血が流れ出た」と聞かされましたが、体内にほとんど血液が無くなっても生きていたのは、それまでの臨死体験のおかげかも。

 三途の川から帰ってきたひとは死に抗う力が増す、という話もあります。

「第4窟」には、「三途の川」と名づけられた場所があり、水面のすぐ上に橋が架かっているそうです。それで、増水時には第3窟より先が水没して、「不動窟鍾乳洞は臨時休業」となるのですね。

「三途の川の流れ」とつながる瀧は、死に満ちていません。むしろ「生」が勝って(まさって)いるように感じます。
 傍らには柄杓が置かれていて、瀧の水を汲めるようになっていました。「長寿水」という文字も、暗がりで読み取れたのです。

「不動の瀧」の下のほうは、立っている所の数センチ横を通って狭い水路へ流れ込んでいきます。暗くて映りませんでしたが、目では見ていました。
 この流れがどこから来て、どこへ行くのか、わかってはいないそうです。

 洞内は年間を通じて、平均気温13度。
 入ったときには涼しいというより寒いと感じました。

 外に出ると、今夏で最も暑いと感じるほどの残暑。
 真夏の真昼のように蝉も鳴いていました。


 洞内で不動尊の隣に、「大きな目が愛くるしいとさえ感じられる龍神」が柱のようなものに巻きついていました。
 不意の停電という「ありえない事態」にも対処できるよう鞄に入れていた懐中電灯を使えば、写真が撮れたかもしれません。でも、かろうじて見える程度が正しかったようにおもえます。

 龍神の横には、倒れた不動尊の「火炎光背」だけが残っていました。
 大和民族の根である「まつろわぬ民」の神は、権力者たちに消されぬよう隠されたと、どこかで読みました。瀧のそばに祀られる不動尊の火炎光背に「水煙」が仮託されている、という話も。

「瀧の神は女神で龍神」と知ったときには違和感を覚えたけれど、いまではそれが正しいと感じます。
 火炎が不動尊の背後から現れて、水煙に戻る時が来たのかもしれません。

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