見出し画像

不屈の樹

【記録◆2023年3月27日】①

「何にも動じないひと」と、医師から名づけられたのは32年前。
 命の終わりを目前にしても淡々としていたためです。

「目を閉じて、次に開けたら違う場所に居る」というのが判ったから、目を閉じないようにしていました。

 採血されるたび、血圧を測られるたび、圧迫された腕がどんどん内出血で黒くなっていくから、止血の働きをする物質も血液にほとんど残っていないと判りました。
 抜き取られた血液は、見たこともない薄い色でした。

 なぜ意識が無くならなかったのか分かりません。

 医師からも看護師からも、「話さないでっ」と何度も制止されるので、
「話し続けていなかったら命が消えます」と反論したら止められなくなり、たすかると誰も考えていないのが判ったため、家族を呼んでもらいました。

 そんな時でさえ、わたしの様子はふだんと変わらなかった、とのこと。
 この時にかぎらず、検査の結果が命にかかわる数値であっても、見た目はほとんど変わらないし、動けるはずがないのに頭も身体も動きます。

 初診では絶対に誤診されると判っているから、重度の貧血になった時も、身体障害が進行した時も、頼みこんで検査をしてもらいました。
「あなたのように動けるひとには必要ない」と、検査さえも断られるため。

 そして、検査の結果によって絶望的な宣告をされるたび、
「解っているのですかっ。たいへんなことなのですよ?」と(このセリフをあちこちで何回言われたことか)、各科の医師を苛立たせてきたのでした。

「わたしはもう、何にも驚かなくなっているのです」と伝えると、
「驚いてくださいよ」と文句を言われるのですが、
『告げられたとおりの予後を辿った病気』が過去にひとつも無かったので、動じるだけ無駄。

 ぜんぶが誤診だったのではなく、わたしが医師の宣告をすべて覆した、というだけなのかもしれません。

「すべて覆した」とおもっていたら、数が多くて、ひとつ忘れていました。
 32年前の医療過誤による傷が治らないままだから「危険な手術が必要」と告げられていたのを。

 でも、誤った加療で身体障害を増やしたくないので、これまでの生き方は変えない、と昨秋に決め、「命の終わりが始まっている」と仮定して日々を過ごしています(誰でも、生まれた時から始まっているのですが)。

「病院へ行かない生き方」を選んだのは11年前。

 その何年も前から積み重ねてきたのは、
「できるはずがない」「してはいけない」と禁止をされたことばかり。

 他人に逆らうのではなく、自分に従ってきたのです。

ひとひらも散らず

「今年の桜は平年より1週間以上早く満開になる」と予想されていたので、平野部で満開の桜を眺めてから山間部へ入っていこう、と考えました。

 ところが、山の懐に入り込んでも、進む先に現れるのは満開の桜ばかり。
 平地と山地の気温差を考えると意外でした。

 この桜の向こう側は千メートルを超える山で、写真を撮っているわたしの背中側にあるのは、それよりも高い山です。

おおたき龍神湖

「治らない」と告げられたら、どの場合も通院はしませんでした。
 お金と時間と体力は、意味あることに使いたいので。

 ひとりだけ、「この病気は治りません。治らないのですが、なぜか治ってしまうひともいて……あなたは、そういうひとであるような気がします」と教えてくださったお医者さまには、『病院へ行かない生き方』を選ぶまで、お世話になりました。

「治りたい」と想わなければ、「願いが叶わない」と嘆くことにではなく、「良くなること」に時間を使えます。

「良くなっていこう」と想うと、なぜか治ります。
 治るほど良くなるのは不思議ですが。

 治らない箇所については、「完全でなくてはいけない」と想いません。

 そして、「不完全でも生きていける方法」を考えます。
 たえず考えているので、たくさん考えつきます。

 昨年11月には、「瀧へ行けるのはこれが最後か」とおもっていたけれど、新しい工夫をたくさん加えたため車で移動する際の苦痛が減り(無くなっていませんが)、記事も加えられます。

『おおたき龍神湖』あたりが限界だったら、昨年に行った瀧が近くに幾つもあるから、どれかを行き先にするつもりでした。

道中にも瀧(名前は不明)

 目指したのは、下北山村にある「不動七重の瀧」です。

 昨年5月末、「体力があるうち最も遠い瀧へ行こう」と考えて十津川村へ行きました(それで32年前の傷痕が開いたけれど、後悔はありません)。

 下北山村は十津川村の隣なので、行けるとはおもえなかったのですが、『おおたき龍神湖』の遥か先へ「山奥のハイウェイ(信号のない国道)」が続いているのなら、そちらから行ける下北山村には楽に辿り着けるのでは、と考えたのです(県道でも、二車線なら街中の国道より速く走れます)。

 目的地までの国道には、「瀧の宝庫」という文字が頭に浮かぶほど多くの瀧が現れました。
 在るとは知らない所に在るから、目に入るのも一瞬。

 ほとんど間隔もなくトンネルが連続していれば、その隙間は瀧で、美しい白い流れが目に飛び込んできます。

 林道に入ってからも、在るとは知らなかった瀧が道中に在りました。

下り260段

「不動七重の瀧」には、わたしの脚では近づけません。

 歩くには厳しい道が瀧の直下へ続いていて、そこから「およそ900段」の階段を進むと、七重の瀧の三段目の真横にある「滝見台」へ出るそうです。

 瀧へは行けなくても、下流の河原に下りてみたいと願っていました。
 そこから瀧は見えないけれど、美しい清流を見られたら、と。

 そのためには、河原まで「およそ260段」を下りなくてはなりません。
 川面がまったく見えない高さから、階段を一段ずつ。

 街の階段であれば、二階から一階には杖をついて行けます。
 同じ動作を繰り返すのは、同じ筋肉を使い続けることなので、それ以上は厳しい。

 260段というのは、14階から下りるようなものでしょうか。

 しかし、山道は、ひと足ずつがその前とは異なる一歩です。
 階段になるよう埋められた枕木に、同一の物はひとつとしてありません。

 とはいえ、先天性の障害が両脚にあり(15年前からは車椅子ユーザー)、0歳のときの開腹手術で複数の癒着が残り(癒着は、剥がれた後にも問題が生じる)、32年前の医療過誤で筋肉は裂かれたまま……というだけではない身体ですので(規格外の部分が数え切れない)、服の下にも装具をいっぱい着けているとはいえ、脚では下りないほうが良いでしょう。

 両腕に杖を持ち、次の段に左足を下ろします。障害の進行が速かったのは左脚のほうだったから、体重がかからないよう腕に力を入れておくのです。

 そのまま右足を左足の隣に下ろします。障害の進行が遅かったため、右の可動域は左よりは少し広いのですが、骨の形成不全を補っていた筋肉までが奪われたため、現在は、右脚に体重をかけたら身体が傾いて危険です。

 両足が揃ったら、その両側に両手の杖を下ろします。
 この動作を繰り返していれば、いつか河原に着けるでしょう。

 倒れたら、底の見えない崖下へ転落しますので、慎重にゆっくりと気長に歩を進めていくのですが、かなり下りても川面が見えません。

「いま行かなかったら、次は無い」
 そう唱えては次の段に4本の脚を下ろすのでした。

やっと水が見えた

「前鬼川」の写真や動画は、次の記事にまとめます。

垂直の川岸から水平に

 清流を撮ったのですが、帰ってから見ると、天地を90度回転させたような樹が写っていました。

 重力と垂直の方向へ生長したとはおもえないので、激しい雨が降るたび、山から流れ込む水が岸を削り、この樹をここまで傾けたのか、と考えます。

「倒された」とは、おもっていないでしょう、この樹は。

重力に抗って

 天へ向かう枝のほうが、幹のように見えます。

帰り道でⅠ
帰り道でⅡ
いつか還る所

 垂直の川岸から水平に伸びる樹は、美しい水に抱き取られる時が来ても、「力尽きた」とはおもわないでしょう。

上り260段

 下りてきた時とは逆に、まず両手の杖を上の段に突き、腕の力で次の段へ身を運びます。
 この動作を繰り返していれば、元居た場所に戻れるでしょう。

 見えない行き先に目は向けません。足元だけを見ます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?