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千尋の瀧

【記録◆2023年4月3日②】 

「こんな細い道を通るのか」と驚くような道が続きます。

 丸太を渡した所は、打ちつけられた枕木が足を載せるたび動くため、踏み抜いてしまいそう。枕木と交互に枕木のない空間があり、足も杖も注意して置かなくてはなりません。

 ぐらつく所で振り返って撮ったため鮮明ではない写真ですが、記録として残しておきます。

朽ちた橋も隣に残っている

 左下が沢なので、高い所の細い道から見るのが怖く、足元だけを見つめて進みました。落ち葉と水が溜まっているから、足が滑らないよう一歩ごとに注意を新たにしなくては。

 以下に続く写真は、息のつける場所で撮っています

月谷川を遡るⅠ

「こんな道が続くはずはない」とおもいたかったけれど、気の抜ける所は、ほとんどありません。
 そして、たまに歩きやすい所があったら、「気を抜かないようにしよう。こんな所で足を滑らせないように」と、自分に声をかけるのでした。

月谷川を遡るⅡ

 障害が進行して歩幅も可動域も狭いから、自然の段差も作られた段差も、脚だけで越えるのはたいへん。

 だけど、舗装された道ではおもうように歩けなくなった脚で、どこまでも前へ進んでいけるのを、畏怖に占められた心の隅では愉快と感じています。

月谷川を遡るⅢ

 いまの可動域では上方へ運べない身体を、山側へ弾みをつけて移したら、頭が太い枝にぶつかって、反動で後ろに倒れかかりました。
 咄嗟にその枝を腕でつかんで、高い所から沢へ落ちるのを防ぎ、
「ダンスをしていて良かった。体幹が強くて良かった。帽子をかぶっていて良かった」と、幸運を数え続けたのでした。

月谷川を遡るⅣ

「一歩ごとに気をつけよう」と、しばしば口に出して唱えました。
 一歩ずつに命を載せている、と感じながら。

月谷川を遡るⅤ

 不意に、『千尋の瀧』が見えました。

瀧が見えた

 振り返って写真を撮ると、どこを歩いてきたのか判りません。
 このあたりは歩きやすかったのですが。

歩ける所はどこだったのか
道しるべ

 左の木に巻かれたテープは、帰り道を教えてくれているのかも。

千尋の瀧

 落差85メートル。
 この大きさ(雄大さ)は写真に取り込めない、と感じています。

少しだけ近づく

 すぐ辿り着ける瀧なら用心しつつ滝壺まで近づいたかも。しかし、すでに体力と気力をかなり消耗した後だから無理はしません。

 せっかく無事に着いたのだから、岩で滑ってはいけないと考えたのです。

もう少し近づく

 水量が多い時は飛沫が飛んでくるとのことでしたが、晴れ続きだったため程よい水量で、濡れると冷える季節ですから、ありがたく感じるのでした。

落ち口
上のほう
中ほど
下のほう

 辿り着くまでに脚の代わりをしてくれた両腕がカメラを構えられなくて、長い動画はありません。

 帰りも、「自分を鼓舞する言葉」を口にしながら進みました。

帰り道Ⅰ
帰り道Ⅱ

 途中で道を間違え、苦労して身を運んできた分が惜しいと感じたけれど、無理に進んだら危ないので引き返します。

 足元だけを見て進んできたため、来た道を見渡したときには、
「こんな道を進んできたのか」と怖くなりました。

 戻るのは、先のほうまで視界に入れてしまったため、進んできた時よりも体力と気力が要るのでした。

 逆からだと「どうしても越えられない所」を越えるときには、両手の指を土に突き立てるようにして身体を支えます。
(ヒルが生息しているらしいのに、素手で無事だったのは大幸運でした。)

 杖で身体を支えるより、近くの木につかまるほうが楽な所も多く、
「つかまらせてくれて、ありがとう」と、そのたびにお礼を伝えます。

 道に戻った後、間違って進んだ所を下から撮っておきました。この岩から下りるのは、両側のどちらを通っても無理があったでしょう。

右の端から引き返した

 木の幹に道を示すテープが巻かれていたのに、足元だけを見ていたため、わたしには目印がわからなかったのです。

赤いテープの正しい道
帰り道Ⅲ

 出口が近づいても気を緩めないようにしました。
「関門」の最後の段を下りるまでは。

 ひとつ先の橋から「出合瀧」を撮った後、欄干につかまってストレッチ。
 クールダウンは大切です。

 帰り道では、ニホンカモシカが振り返って、こちらを見ていました。


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