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招雨瀑(龍の瀧)

【記録◆2023年5月9日】①

 40年以上前、近鉄沿線をひとりで彷徨っていた頃は、バスで『室生寺』へ向かう道が秘境のように感じられました。

 現在では20年ほど前に開通した『室生トンネル』で1737メートルの距離を駆け抜けられると知り、室生寺さえ越えて、以前は辿り着けそうもなかった『室生龍穴神社』の奥宮へ向かったのでした。

「標高1000メートルを超えて、集合意識から自由になる時」を希求する心は(注:奥宮の標高は、そこまで高くありません)「パワースポット」として知られてからの混雑を避けたくても、肢体不自由の身は、ひとが増えたため整備された道をありがたく感じます。

「平日とはいえ無人ではないだろう」と予測できましたが、室生龍穴神社のご神体が「100段の階段」の先にある、と知ったとき、
「二本杖で歩けるうちに」とおもったのです。先々月に『前鬼川』で増した「階段用の筋力」が使えるうちに行こう、と。

 当日は、ナビに従ったら室生トンネルを通らないほうへ誘導されたので、『室生川』が『宇陀川』に合流する辺りから宇陀川を越え、室生川に沿って美しい道を進みました。40年以上前にバスで通ったのは違う道だったのかと考えてしまうほど走りやすい道です(そのうえ対向車や後続車もなく)。

 そう感じたのは、瀧へ行く時にはたいてい「林道のような国道や県道」を走っているためかもしれませんが、「帰り道も、景色の見えないトンネルを抜けるのではなく、新緑や清流を眺めつつ走ろう」と決めたのでした。

 かつては容易に辿り着けなかった『室生龍穴神社』の前には、数台の車が駐車していました。それらが奥宮へ向かうと駐車できる所が無くなるので、神さまに、「順番が違いますけれど、瀧へ行かせていただきます。体力にも限りがありますので、先に階段のほうへ」と挨拶をして、車に戻りました。

 県道から林道に入ると道幅は充分でも(瀧巡りをしてきた間に「充分」の基準がおかしくなったかも)舗装が凸凹になっていて、かなり揺れました。
 それでも、ほとんど歩かずに瀧へ行けるのはありがたいです。

 途中にある『天の岩戸』には車が1台止まっていたので、寄らずに先へ。

『室生龍穴神社』のご神体は、岩山の洞窟である『吉祥龍穴』で、その前を『招雨瀑(しょううばく)』 (別名:龍の瀧)の滝水が流れています。

『吉祥龍穴』へ続く鳥居の近くにも、車が1台止まっていました。
 それだけなら、ひとは多くないでしょう。

 白い鳥居をくぐって、100段を下りはじめます。
 先々月には『前鬼川』で約260段を下りたためか、すぐ瀧が見えたように感じました。

招雨瀑

 水量が多くて大喜び。
 渇水期には岩肌を濡らす程度らしいから、雨が続いた後を選んだのです。

 まだ階段の途中ですが、高い所からだと、瀧の落ち口に向かって左上から流れてくる水も見えます。

落ち口へ向かう流れ(写真右上)

 行き先が見えているからか、二本杖で階段を楽に下りられました。
(とはいえ、車椅子ユーザーにとっては登山に等しいのですが。)

下りていく先
下りてきた所

 上ってきた方たちとすれ違ったけれど、すぐ別の方たちが来るだろう、と考え、「遙拝所」では急いで写真や動画を撮りました。
 ていねいな挨拶をしなかったお詫びと、撮らせていただくお礼を心の中で繰り返しながら。

吉祥龍穴

 遙拝所の対岸が龍の住処。
 この辺りが、古代からの磐境(いわさか)。神霊祭祀の場所です。

『室生龍穴神社』の奥宮『吉祥龍穴』の一帯は、「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」という地形になっています。冷えていく溶岩が縮むとき、柱状の割れ目ができるのです。

 そのような岩肌は、昨年5月23日に『済浄坊の瀧』へ行ったとき曽爾村で何回も見かけましたし、滝壺の向こうの岩壁も柱状節理でした。
 それは、「世界の始まりの日にあった巨大樹が倒れた後、根元だけが岩と化して残っている」というようにも感じられます。

招雨瀑(落差15メートル)

 岩肌を滑らかに流れ落ちる瀧のどこまでを招雨瀑というのか判りません。上のほうから順に写真を並べていきます。

瀧Ⅰ
瀧Ⅱ
瀧Ⅲ
瀧Ⅳ
瀧Ⅴ
瀧Ⅵ
瀧Ⅶ
帰り道で振り返って

 階段を上って、『天の岩戸』へ向かいます。

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