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天香久山の巨石
【記録◆2024年1月9日】②
山頂から、当初の目的地へ向かいます。
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街の道路だと舗装面に合う角度で足を置かなくてはならないため、数歩で泣きたくなります。脚に巻きつけた補装具で足の向きを矯正していても。
「足を置いた所に地面がある」というのは、なんと快いのでしょう。
どこまでも、どこまでも、進んでいけそう。
斜面に作られた階段では、別人になったかのように移動速度が落ちます。
脚の可動域より段差が大きいときは、身体を斜めにしないと下段に足先が届かないため。
天香久山の山中にある巨石には行くひとが少ないのか、細い道に両側から笹がかぶさっていて、「ここが道なのか…?」と迷いはするけれど、両腕を突き出し、顔の高さの笹を二本の杖で切り開きながら進んで行きます。
竹の間の道は、葉がないから進みやすい。
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行く先に、幅6.5mの『月の誕生石』が現れました。
高さは1.5m、奥行は3.5m。
『円形黒色の斑点は、月が使った産湯の跡』『小さな斑点は、月の足跡』
と書かれた説明版があります。
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山中だと電信柱や家屋といった人工物は写り込まないから、周囲を巡って写真を撮りました。「撮らせていただきます」と、お願いをしてから。
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『ひとかかえ程の丸味のある とても綺麗な石でした 次第に大きく成り 人肌の様な温もりを残し 夕焼空を染め上げたように輝いて居りました。又 不思議 お腹の辺りに白い帯の様なものが浮き出て来ました』という民話も説明板に書かれています。石が赤ちゃんを生むと、香具山の頂から真ん丸いお月様が顔を出したそうです。
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次の目的地へ向かいます。
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遠目には祭祀場跡のように見えたのですが、案内板には載っていません。
写真を拡大して、目では見えなかったものを見ると、ひとが受け取るのは自分の内にあるものだけ、と分かります。
標識に従って進むと、幅4mの『蛇(じゃ)つなぎ石』が現れました。
高さは1.5m、奥行は2.5m。
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「天香久山での雨乞い神事のとき龍王神が大蛇に乗って降りてきて、ここに大蛇を繋いだ」とのこと。繋いだ跡が岩に残っているのです。
ここは斜面の縁ではなく、注連縄も無いので、一周できました。
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引き返して、『万葉の森』へ戻ります。
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水辺までは歩けなかったから、車に乗って池のほとりへ行きました。
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『古池』という名の池の後ろが、蛇つなぎ石の辺りでしょうか。
右脚が前方に出ないため両腕と左脚で道を辿ったのですが、こんなに長く(時間も距離も)動き回ったのは、身体障害認定を受けてから初めて。
「引き換えに何かを永遠に失っても惜しくない」とおもえたときには限界を超えられます。
「右脚がちぎれそう」と感じる程の痛みなしに進むこと、両脚で真っすぐに歩くこと、そうしたことはすでに失ったのかもしれないけれど、引き換えに得られたのは「車椅子では行けない場所」でした。
得るごとに手放していけるほど、ひとつひとつの風景に満たされます。
「この先が無くても」とおもえるまで固く、魂に結びつけているのかも。
「不治であるはずなのに自然治癒するのは、執着心が無い場合」という説を知りました。到達点を自分で決めないから(ひとにも決めさせないので)、流れに運ばれた先が終末ではないのかもしれません。
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