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大和の出雲(Ⅱ)

【記録◆2024年3月15日】②

 昨年の最後の日、「天香久山」の山頂に祀られている「國常立命」は、『地球の創成に深く関わった金色の龍神の人型』で、「天香久山」の古名は「龍王山」だった、という話を知りました。

「神代七代」の最初の神さまなのに、主祭神となっている所は大和盆地では検索に挙がってきません。「三輪山」の南麓に、ようやくみつかりました。祀られている「十二柱の神さま」の一柱として。

◇十二柱(じゅうにはしら)神社◇

十二柱神社(拝殿)

「神さま、撮らせていただきます」と、お願いをしました。

十二柱神社(本殿)
説明板

 ここは古代には、「磐座の遙拝所」だったのです。

 山中の聖地『ダンノダイラ』まで登って天壇跡や磐座の近くに行きたい、という願いは実行しません。その場所は、とても遠いので。

 麓に遙拝所がある、ということをありがたくおもうのでした。

拝殿の向かって左側

 けれども、この枝の間から鶯のように羽ばたいて、磐座まで飛びたい。
 山の奥に鎮座する「20メートル立方の巨岩」まで。

「少しだけ、あと少しだけ」と唱えつつ民家の間の細い道を抜け、二本杖で『ダンノダイラ』の方角へ歩いてみました。

 細く細くなっていく道は、それでも民家を取り巻いています。
 まるで、高い神殿の外壁に造られた螺旋階段のよう。壁の反対側には何もありません。
 車椅子さえ通れない幅で、自転車を運び上げられそうもない急坂。お酒を飲めないので想像するだけですが、酔っていたら歩けそうもない……。

 高い所まで家があるため、両腕の力で登っていける山道が現れません。
「ここまで」とします。視界をカメラにおさめましょう。

大和の出雲の南方
大和の出雲の南東

「大和には神奈備のような山が多い」と、どこへ行っても感じます。

 山の名前がはっきりしませんけれど、『かぎろひの丘』とは逆の方角から『西山岳』を見ているのかも。

 地図で「大和の出雲」周辺の山を見たら、『伊那佐山』があったので、
「島根の出雲」で、国譲りをするか、と問われたとき、「いな」か「さ」か(「いいえ」か「はい」か)と答えを求められた話を連想しました。

『十二柱神社』の狛犬は、「八体の力士像」に支えられています。

「垂仁天皇」の命により、相撲をとるため「野見宿禰(のみのすくね)」が出雲国より召喚された、という話を知ったとき、
「島根の出雲」は遠いから「大和の出雲」から来たのでは、と考えました。

 そのとおり説明板には、「この出雲に住んでいた」とあったのです。

 しかし、野見宿禰は「島根の出雲」の(最後の)王になる予定だったと、これまでの間に知っています。どのような想いで大和に来たのか、どうして島根の出雲へ帰れなかったのか、ということも……。

『ダンノダイラ』への山道まで行けなかったから、「余力があった時に」と予定していた目的地『穴師山』へ向かいます。


◇射楯兵主神社◇

 地図の表記は、「大兵主神社」となっているけれど、わたしは、
「穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社」という名で覚えていました。
 出雲の記録では、『射楯兵主(いだてひょうず)神社』となっています。

「神さま、撮らせていただきます」と、お願いをしました。

射楯兵主神社(本殿)

 クシヒカタが、先に妹たちが住んだ三輪山西麓に移ると、初代の大王は、クシヒカタに倣って葛城山東麓の『笛吹』から『穴師』に移住しました。
(母系社会なので、大王はクシヒカタの妹に婿入りしていたのです。)

 空が晴れているとき、山は霞みます。
 冬には、陽の当たる所から「昇龍のような形」で空へ還る水が、春には、山全体から立ちのぼるためでしょうか。

 霞が微かな遠近を際立たせるため、きょうは、三輪山の隣に『穴師山』が美しく浮かび上がっています。常には見分けられない「ふたつの山頂」も、はっきりと判りました。

 頂上への古道は50年以上前、すでに廃道となっていたようです。
「土地の古老に案内されて(記憶にある道を鎌で切り開いてもらって)、『ゲシノオオダイラ』と呼ばれている所に至ると、原型をとどめない小祠と大量の葺石が残っていた」とのこと。

「忘れ去られた廃道の先に、最初の王国を創った方々がいらっしゃる」と、わたしはずっと感じていたけれど、いま調べたら、登山道が整備されたのか山頂へ歩いて行けるそうです。

 それでも、「大和の出雲」から聖地『ダンノダイラ』を視たように、
『ゲシノオオダイラ』にも、身より遠くへ行ける眼差しを向けたのでした。

地下の水音

 轟々と絶えず水音がするので、足元を見ると、立っている所の下を大量の水が流れているのだと判りました。
 境内の縁(苔が途切れる所)にも、美しい水が流れています。

 奥のほうへ進んでみました。

水路だろうか

 近づけないけれど、トンネルがあって、向こう側に光が見えます。
 暗いトンネルが水路を繋いでいるのでしょうか。

浅い池

 池の水も澄んでいて、水底(みなそこ)を撮ったのに、水面(みなも)が鏡のように周囲を映していたため、深い池のよう。

先へ続く道

 神社横の道を、「あと少し、あと少しだけ」と唱えつつ歩いてみました。
(車で行けば方向転換できそうにないので。)
 わたしが行けない所は、魂にとって懐かしい場所なのかもしれません。

 帰り道で、「ここにも野見宿禰の記念碑がある」と気づきました。
『十二柱神社』からは、車で20分かかるほど離れているのに。

 出雲の(最後の)王になる予定だった人物を祭神とする『相撲神社』が、「大和の最初の王が父親を祀った神社」の摂社なのは、歴史に織り込まれた真実の糸を示すのでしょうか。

 出雲王家に対する敬意や好意が、古史古伝にも散見されます。

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