見出し画像

みたらいの瀧へ

【記録◆2023年7月7日】①

 ひとが選ばないほうばかりを択んで進むのは孤独です。

 でも、孤立はしません。
 独りで進む道こそが、独りで歩んでいる方たちと縒り合わさるのです。

 近畿地方の最高峰は、大峰山脈の八経ヶ岳(標高1915メートル)。
『みたらい渓谷』は、大峰山脈の山々に囲まれています。

 秘境であれば「ガードレールのない細い道」を対向車も後続車もないまま何十分でも進んでいけますが、ここは訪れるひとが多いため、行くのなら、「梅雨の間の平日で、天河大辨財天社の行事がない日」と決めていました。

 そして、そのような日が今年も無くて、後天的な障害も進行した現在は、
「命のある間には行けないだろう」とおもっていたのでした。
(魂が地上に留まる数十日間で、「歩けないと行けない所」を巡る予定。)

 ところが、急に日が取れて曽爾村のほうへ行く予定を前夜に立てたのに、七夕の朝に目を覚ましたら、「みたらいの瀧へ行こう」と想ったのです。
 調べてみると、「星のおまつり」もないようでしたから、大急ぎで地図を印刷しました。2年前に行ったときは、『みたらい渓谷』だとおもった所が「天川村の天ノ川のほとり」でしかなかったと後で判ったから。

[注:旧暦7月7日(今年は8月22日)に七夕祭があるそうです。]

 それでも、2年前に撮った写真は貴重かもしれません。
 県を越えての移動が制限されていた頃の梅雨時だったため他に車がなく、いまでは停車できない所で撮ることもできたので。

「みたらい渓谷へ続いている道をみつけられるだろうか?」という不安は、県道に面した「遊歩道入り口」によって消え去りました。
 2年前に気づけなかったのは、天ノ川ばかりを見ていたため。入り口は、山のほうに開いていたのでした。すぐ前に有料駐車場があります。料金は、1時間以内だと500円。わたしが杖で歩ける距離を考えると、それで充分。

 県道から、すぐに階段が始まっていました。
 この長い階段を、2年前だったら上ろうとはしなかったでしょう。当時はカメラをかまえて立つことも難しく、腕には二本杖で移動できるほどの力がなかったので。

 入り口のすぐ横に、最初の瀧がありました。
 地図には遊歩道のずっと先にしか瀧が載っていなかったから大喜び。
 そのうえ、進むごとに小さな瀧が現れます。

 実は、この記事の写真はすべて、戻ってくるときに撮っています。
「地図に載っている瀧」に限られた体力で辿り着こうとして、ひたすら前へ歩み続けたため、進むときには撮れなかったのでした。

 つまり、最後に撮った写真から載せていっているのです。

最初の瀧

 はるか上に橋が架かっています。
 帰宅後に知ったのですが、「哀伝橋」という名前でした。
(長さは85メートル、歩道部の高さは19メートル。)

あの橋を渡っていく

 岩の向こうに、二段の瀧が見えました。
 帰宅後に調べると下段の瀧は、ふたすじになっているそうです。岩や葉で向こう側の流れは見えなかったのですが。

みたらいの瀧(中段と下段)

 二本杖で這うように一段ずつ上っていくと、下段の瀧の滝壺がこんなにも美しい色だとわかりました。

下段の瀧の滝壺Ⅰ

『哀伝橋』を渡って振り返ると、また違う色に見えます。

下段の瀧の滝壺Ⅱ

 進む先に、『みたらいの瀧(上段)』が見えました。
 梅雨の晴れ間だから、想像を超えた水量です。

みたらいの瀧(総落差25m)

 進んでいくと、正面からも見られます。

みたらいの瀧(正面から)

 右側に架かっている吊り橋(長さ30m)からは、落ち口が見られます。

落ち口

 その先に、「ずっと行きたかった場所」がありました。

この先が行きたかった場所

 再び階段になっている所の手前で、土台の左に進んだら視界が開けそうと考えて狭い所に入り込むと、そこから流れの傍に下りられたのです。

 立っている所のすぐ横を、水量に見合うだけの音を立てて水が流れます。

大音声Ⅰ
大音声Ⅱ
大音声Ⅲ
大音声Ⅳ

 上の写真の左の端が、みたらいの瀧の落ち口です。 
 この流れが落ちていくのです。

 反対側に目を向けると、行きたかった所に自分が居るとわかりました。
 同じ所に立っているのに、こちら側の流れは静かです。

 けれども、すぐ傍の流れがひとの声を消してしまうから、わたしはここで声をあげて泣きました。

ここが行きたかった所

 この先にも、『光の瀧』という名の直瀑(落差15m)があるそうです。
 でも、そこまで行けなくてもいい、と想いました。
 身が届かなくても目が届く所には、小さな瀧が段になって続いています。

 泣いた理由はわからなかったけれど、帰宅後、日記には書きました。

 2023年7月7日 日記
 ここに来られたことがうれしかった。
(杖を突いても、もう、右脚がうまく使えない。)
(遊歩道入り口までは車ですれ違うのがたいへんな道だと知っていたため、観光シーズンを避けるだけではなく、梅雨の間の平日を選ぶしかなかった。わたしには、そこまで歩いてくることができないのだから。)
(今年はもう来られない、とおもっていた。そして、来年という時は当てにできなかった。)

 こんな光景を見られたのがうれしかった。
(瀧をひとつだけ見られたら、としか願っていなかったのに、流れの傍まで行けたから、この先へも進みたいとおもわないくらい満たされた。)

 ここに来るまでにも連続して瀧を見られたのがうれしかった。
(折り返した後に見ていける風景をすでに知っていて。)

 わたしはずっと泣きたいと感じていた。
 悲しいのではない。
 手から離れていったものが愛しい(かなしい)。犬たちや子どもたちとはずっといっしょに暮らしていけないから、離れてしまったことが哀しい。

 でも、哀しさは自由と結びついている。
 子どもたちや犬を可愛がれた頃は、自由が少なかった。
 なにかが無くなると、なにかが増える。
 無くなったもので再び満たしたいとはおもわない。
 満ちていた頃が愛しい(かなしい)だけ。

 誰も居ない所で、瀧に想いを聴いてもらえた気がした。
 ただ泣かせてもらっただけで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?