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雄瀧と荒澤不動瀧
【記録◆2023年8月21日】
『蜻蛉の瀧』と『おおたき龍神湖』の間に瀧があると知り、ふだんは水量が少ないというので、台風の5日後に行きました。
直後では道が通れないかもしれません。伊勢湾台風(1959年)の時には、そのあたりで460ヶ所の林野が崩壊しています。
昨秋、300万本のコスモスが咲く『藤原宮跡』で東と西の区切りを眺め、「香具山と畝傍山の間の幅」にしか住んだことがない、と気づきました。
その細い帯に、平安京、平城京、唐古・鍵遺跡、藤原京、飛鳥京が並び、そういう地帯だからか、台風の直撃は1回しか経験していません。
けれども、「自然災害の少ない奈良」とは「大和青垣と呼ばれる山並みに囲まれた大和盆地」を指すのだと、いまは分かります。
それは、県全体の24パーセントに過ぎないと。
そして、「たたなづく青垣」と詠われた山間部のほうは台風常襲地帯とも言えるのでした。
天候を考えて瀧へ行く日を選ぶのは、県民であったとしても旅人です。
そのような立場でも、畏怖と敬意が呼び覚まされるごとにそれらを保ち、どこに在っても、ひとという存在の相対的な位置を分かろうとしなくては。
行き先には「言霊の幸わう国」とはおもえない名がつけられていたので、『おおたき龍神湖』といっしょに載せて「大瀧」と呼ぶつもりだったのに、
美しかった湖水は泥の色に変わっていて、カメラを向けられませんでした。
しかし、湖の反対側の山間に入ると、瀧の水は透き通っていたのです。
帰宅後に購入した本には、「雄滝(大滝)」という名で載っていたから、そちらの名で呼びます。
全長60メートルで、見えない所にも何段かあるとのこと。
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瀧の前に林道を護るための壁があり、その高さが身長と変わらないので、両腕を伸ばして写真や動画を撮りました。
立たないと見えないから、ステッキチェアに座ったのは休むときだけ。
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滝壺は落石で埋まっているようですが、視界に入らない下部も見たくて、壁の向こう側に差し出したカメラを下方へ向けました。
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滝壺にまで行くつもりで今回も長靴を持ってきていたけれど、わたしにはこの壁を越えられないから無茶はしません。
瀧へ行くときは常に、複数の行き先を考えておきます。道が落石や崩土で通行止めになっていた場合には違う道を通って別の瀧へ行けるよう。
雄瀧の滝壺まで行けなかった分、行き先を増やしました。
[白龍大神の社へ]
小さな橋の入り口から先は「通行禁止」となっていました。
細い参道を(写真の右上に向かって)上がっていくと鳥居と社殿がある、とのことでしたが、道に崩壊があるという4年前の情報も得ていたので、
「ここから、お参りさせていただきます」と、手を合わせたのでした。
鳥居さえも見えませんが、その向こうに、白龍大神の社、不動明王の像、荒澤不動瀧があるそうです。
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空を見上げると、白い龍の神さまが見下ろしていらっしゃるようでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1692986034139-GhUGSAAGlQ.jpg?width=1200)
そして、翌朝の5時半ごろ、なぜか換気をしようと不意におもいついて、窓を開けた瞬間、「虹龍が首をもたげている」と感じたのです。
左側から陽がのぼってきたため、虹は数分で消えました。
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