見出し画像

すがすがしすぎる力技と不誠実――『アナと雪の女王』

2014年6月3日

 先日、ディズニー映画最新作『アナと雪の女王』を娘といっしょに見た。日本では『ポニョ』以来の動員数だそうで、確かに近所の子どもたちも幼稚園の同級生もみんな見ててみんなあの歌歌ってて、娘もすでに2度目の観賞。とにかくものすごい話題になってて『ドラゴンボール』見逃すと木曜の朝仲間ハズ レ、 ワールドカップ盛り上がらないと非国民、みたいな雰囲気。

 さて、実際見てどうだったかというと、やはり ”歌” だった、歌がすごい。あと雪。

 話題の「Let It Go」、街なかでもテレビでもやたらと流れていてすでに食傷気味だった上、「映画館でみんなで歌いましょう!」「元気づけられました!」みたいな苦手な感じの声が続々聴こえてくるから、正直ちょっと警戒していた。クライマックスでドバーンと使われて、登場人物の面々が「本当に大切なこと」とかに気づいたりしたら嫌だな、と思っていたのだが、幸いぜんぜん違う展開になってよかった。

 序盤、化け物呼ばわりされて王国を追われたヒロインが、たった一人薄暗い雪山でネガティブに歌い始めるのが「Let It Go」だ。彼女は歌いながら徐々に高揚して180度考え方をひっくり返し、10年以上抑え続けてきた力を駆使して自分だけのための氷の城をモリモリつく り、手袋もマントもティアラも投げ捨て氷の衣装を身にまとい、歌い終わる頃には ”雪の女王” として堂々君臨。気づけば朝日までのぼっている。「これでいいの!」「すこしも寒くないわ!」と、こういう歌だったのだ。

 歌が、一夜にして風景を一変させる。一人歌うことで自分を変える女。時間の経過も変身も、すべての “変化” が、誰が聴いてくれるわけでもない孤独な歌のなかだけにぶち込まれている。有無を言わせぬ力技がすがすがしい、すばらしい場面である。

 ただ、この ”雪の女王” エルサのハイテンションは、ぜひとももっと長く持続すべきだった。10年以上も閉じこもって我慢してきたのに、ようやく吹っ切れたのに「私なんてことを」と我に返って苦悩するのが明らかにあまりにも早すぎる。エルサのせいで王国が雪に閉ざされて数十年の時くらいは経過してほしかった。長く辛い暗黒時代を経て、アナとかも諦めて老婆になり、その孫たちの世代が夏を取り戻すべく孤高の女王に挑む、ということにでもなったら、もっとワクワクドキドキしたはず。とにかく残念だ。

 あともう一点。実はすごくワルイ男だったハンス王子の背景を、すこしでもよいから描いてほしかった。「末っ子」ってことくらいしか情報が出てこない。氷の怪物と戦ったり歌ったり踊ったりとそれなりに見せ場はあったものの、伝統的な”悪い魔女” の不在を埋めて物語を動かすために自ら汚れ役をかってでた功労者に対して、ラストのあの扱い(殴られて海に落ちて嗤われて投獄される)はちょっとないんじゃないか。気が動転したエルサが殺人を犯すのを食い止めたり、駆け寄るアナを待って完璧なタイミングで剣を振り下ろしたりと、最初から最後まで物語の進行を気遣い続けたハンス王子に、もうひと花咲かせてやってもよかったんじゃないか。

 こんなふうに、映画に出てくるワルモノが軽く扱われるのが嫌いだ。相応の凄惨な死に様や腐った過去などは、きちんと用意してあげてほしい。木偶じゃないのだから。物語進行を円滑にするための道具として人を使い捨てるのは不誠実すぎる。エルサとアナの両親の海難事故とかも、ハイお役御免サヨナラーって感じで、とにかく誠意が感じられない。

 同じディズニー系列の映画でも、ピクサー作品はこういった点に関して非常に誠実だと思う。あの無駄も隙も矛盾もない明晰な疾走感、冒頭わずか数分で特異な世界観を5歳児に飲み込ませる手際、画を動かすことの追求が歌や情緒を転がしてく感じ。『アナと雪の女王』には、そういう魅力はなかった。

 などと、不満をあげ連ねるとキリがないのだけど、とにかく歌とビジュアルがすごいからオッケー。後はもうどうでもいい。あの歌と雪の場面の狂ったすがすがしさの印象が、すべてを吹き飛ばしてくれる。そんな映画、とても楽しめた。

 この暑い夏、みなさんもぜひ涼しい雪の物語を楽しんでみては如何。

クラリスブックス
〒155-0031 東京都世田谷区北沢3-26-2-2F
TEL 03-6407-8506 FAX 03-6407-8512
メール info@clarisbooks.com
★クラリスブックスホームページ clarisbooks.com

★クラリスブックス古本買取ページ kaitori.clarisbooks.com

クラリスブックスブログ本体はこちら http://blog.clarisbooks.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?