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中国に、勝ちたいのか

親しい先輩との会話での思いつき。

中国が世界第2位の経済大国になったのは、2010年。もはや12年前。もちろん日本は、第3位を維持しているが、2位との差は、なんと3倍以上。2021年のGDPが日本5.3兆ドルに対し、中国は16.6兆ドル。わずか12年で、差はここまで広がっている。ちなみに1位アメリカは22.6兆ドル、4位ドイツは4.3兆ドルで日本に肉薄している。

さてその中国に負けていることを認識している日本人は少なくない。少なくないが、多くもない。まだまだ、当時貧しかった中国、日本のODAに頼っていた中国、自転車に乗っていた中国のイメージを引きずっていないか。

もはや、全ての分野において追いつかれているか負けつつある状況の中で、果たしてそれに真っ向から勝負したいと思っている人が、いるのだろうか。

昔取った杵柄で、あわよくば残りの人生を終えたいと思っている、いわゆる「オジサン」が如何に多いことか。私もおじさんではあるが、「オジサン」にはなりたくないと思って、意識している。それでも、上記のような「オジサン」ステレオタイプに陥りやすい。成功体験にしがみつくのは、人間の性なのかもしれない。

変化に強いことが、これからのサラリーマンにとって重要らしい。変化に強くありたいと、常に思っている。しかし、今この瞬間、言われたことをやっていればお給料がもらえるといのは、ある意味、理想郷なのだ。理想郷からわざわざ飛び出すことは、勇気を通り越して無謀なことかもしれない。わざわざ狂ったことを、しなくても生きていける。

勝つとか負けるとかはともかく、私は、無謀さを持って、生きていきたいと思っている。それをやめても、生かしてはくれるかもしれない。ただ、それでは物足りないし、飼われていると感じてしまう。飼われていこと自体が悪いわけではないが、何だか、居心地が悪い。

勝負して、負けてもいいと思う。勝つことを目指すべきだが。勝負に臆病になったときは、私は死んだと思いたい。もっとも、その勝負を楽しめば良い話。ゲームを、楽しもう。

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